ハワイにて思ったことなど 2014夏 その4

アメリカ流の合理的な会話というのは、用件を伝えるにはたいへん便利なものです。

話があちこち行って恐縮ですが、私が去年、ハワイアン航空の飛行機でハワイに行ったとき、シャンパンのお代わりを何度も頼んだら、最後には「もうない」と言われました。たぶん私が飲み過ぎたせいです。

今年はスコッチのハイボール(スコッチ・アンド・ソーダと言えば通じるようです)をよく飲んでいたのですが、去年のこともあってお代わりを頼むときに遠慮してしまい、「すみませんが、スコッチはまだありますか」というのは英語でどう言えばいいのだろうと考えてしまいました。

でも、キャビンアテンダントの人たちは多分そんなことを気にしていないので、単に「スコッチ・アンド・ソーダ プリーズ」と言えばよいのだろうと、途中から考えを切り替えて、何度も注文しました。幸い、品切れにはなりませんでした(ちなみに、スコッチの銘柄はデュワーズのようでした)。

 

日本人のこの、何を言うにしてもまず「すみませんが」と相手をおもんばかる心が、自分の思考や認識を相手に伝達するに際して、不必要なワンクッションを置いてしまうのです。そういう社会で育ってきたものだから、日本人は議論が下手なのだと思います。

もっとも、前回書いたとおりで、これはどちらが優れているというものではなく、その国の歴史や風土によって、あるべき会話の態度は異なってくる、というだけの話です。

 

ただ、議論を通じて学問的な探究を突き詰めていくという場面においては、アメリカ流の合理主義というものはきっと強いのだろうなと思います。

今回、青色発光ダイオードの研究でノーベル物理学賞を受賞した中村教授は、かつて勤めていた日本の会社(日亜化学)を提訴し、思っていたほどの和解金を獲得できないと知るや、会社や日本社会に対する文句をさんざん言って、アメリカに飛び出していきました。

(ちなみに私が司法修習生だった約15年前、社会見学で徳島の日亜化学本社に行き、そこの研究者だったころの中村氏の話を聞いたことがあり、また、その後の日亜化学との訴訟では、私の同期の弁護士も中村氏の代理人の一人をやってたりしたこともあって、この件は当時から興味を持っていました)

中村教授の、研究者としての能力はもちろん、何ごとにも臆せず世界に飛び出して自分の能力を世に問うという姿勢は、とても素晴らしいものであり、息子にもそこは見習ってほしいと思います。

しかし一方で、無名のサラリーマン研究者であった中村氏に青色発光ダイオード開発のために巨額の予算を投じたのは、間違いなく日亜化学であり、その恩を忘れて後ろ足で砂をかけて飛び出すようなことをする人間に、うちの息子はなってほしくないとも感じています。

 

夏の終わりにハワイで1週間ほど過ごし、またこのたびのノーベル賞の受賞の報に接して、アメリカ的なものの考え方に対する複雑な思いを抱きました。

次回、話をすべてまとめて完結する予定です。