高嶋政伸の離婚裁判についての点描 2

前回の続き、といいますか、離婚裁判についての一般的な話から始めます。

誰しもご存じだと思いますが、協議離婚や調停離婚が整わないときに、裁判所の判決で離婚をさせてもらうのが裁判離婚です。

つまり裁判離婚は、夫婦の一方が離婚したくないと言っても裁判所が離婚させるわけですから、婚姻が破綻しているのか、「婚姻を継続しがたい重大な事由」(民法760条)があるのか、慎重に判断されます。

 

ですので、単に夫婦の一方が別れたいと思うだけでは離婚はできないのですが、これに関して、私が同業の先輩から聞いていて、かつ私自身もその通りだなと思うことがあります。

それは、「夫は別れたいが、妻は別れたくないと思っている」場合と、「妻は別れたいが、夫は別れたくないと思っている」場合とでは、後者のほうが裁判離婚が認められやすい、ということです。

その理由は想像できます。夫は妻に捨てられても食っていけるし、それに外で愛人ができて妻を追い出したいと考えている場合もある。それに比べて、妻は夫に捨てられると食っていけないので、妻が別れたいというからには相当の事情があると見られがちである、ということだと思います。

もちろんその考え方は、女性の経済力の向上、男女平等意識の高まりを踏まえて、今後変わっていくでしょう。

 

もう一つの理由、これは、私が過去に見聞きした極めて狭い範囲でのお話しということでお聞きいただきたいと思いますが、それは、離婚裁判に際して、自分を客観的に見ることのできる男性が少ないということです。

具体的には、妻が「別れたい」と言っているのに対して、夫は「別れたくない、自分はまだ妻や子供をこんなに愛している、妻や子のためにこれまでこんなに努力してきた」と、そういう「自分の」ことばかりを強調しようとしがちです。

では奥さんがどうして、そんなあなたと別れたいと思ったのか理解できますか? 今後、奥さんとどうやって関係を修復していこうと考えているのですか?と私や裁判官が聞いても、あまりきちんとした答えがでてきません。

(ちなみに女性は、別れたい理由、別れたくない理由、別れるための条件、関係を修復する方法など、割と合理的に話す方が多いです)

自分の思いを強調すれば裁判官はわかってくれる、と信じているのかも知れませんが、それは明らかに逆効果です。自分の思いばかりを主張する夫に対して、裁判官は「思いこみの激しい人だ、その思いこみの激しさが、夫婦関係を破綻させたのだろう」と推測します。

 

さて、高嶋政伸と美元の話に戻ります。芸能ニュースを見て言ってるだけなので、間違っている可能性も多いにありますが、東京地裁が裁判離婚を認めたのは、一言でいえば、美元の思いこみの激しさだと推測しています。珍しく、というべきか、女性側の思いこみが激しかったケースです。

高嶋政伸が別れたいと言っているのに対して、美元は(たぶんマスコミで報道されることも計算しつくした上で)「今でも愛している」とか「法廷で会えてうれしかった」という、ときに奇矯とも思える発言を繰り返すばかりであった。

今後の関係の修復に向けた冷静で合理的な主張はなく、それどころか、夫婦ケンカのときの録音テープを証拠に持ち出したりして、二人の夫婦関係をどうしたいのか、最後までよくわからなかった。

そのあたりが、高嶋政伸勝訴の原因だったと、勝手に推測しているのですが、訴えの取下げ、協議離婚で一件落着したのは前回書いたとおりです。

高嶋政伸の離婚裁判についての点描 1

高嶋政伸と美元の夫婦の離婚訴訟が決着しました。1審では高嶋政伸の離婚請求が認められ、その後、高嶋政伸が訴えを取り下げ、協議離婚が成立したようです。

 

訴えの取下げに関して少しだけ解説しますと、原告(本件では高嶋政伸)は、判決が確定するまでの間、訴えを取り下げることができます。敗訴した美元が高裁へ控訴するかしないかギリギリの時期でしたが、控訴できる間は地裁の判決は確定していないので、この時点での取下げはもちろん可能です。

ただし取下げには被告側(美元)の同意が必要です。取下げというのは、勝ち負けを決めないままに訴訟を終わらせるということですので、もし訴えられた側が、勝ち負けハッキリさせたいと考えていれば、取下げで終わらせることはできません。

今回の訴訟では、訴えを取り下げることに美元が同意し、その際、離婚条件について話し合いが行なわれて、お互い離婚届にサインして、協議離婚ということになったものと思われます。

 

芸能ニュースではこれまで派手に報道され、訴えの取下げという顛末を意外に感じた方もおられるかも知れませんが、弁護士としては、ありがちな話だなと思っています。

調停や裁判で離婚が決まった場合、離婚届に双方サインしなくても、裁判所の判断の結果として離婚が自動的に成立します。そして戸籍には「調停により離婚」「裁判により離婚」と記載されます。美元が実際にどう思ったかは知りませんが、それを嫌う人は多いようです。

私も過去の依頼者の案件で、離婚調停のあとで、互いに合意の上で協議離婚の形をとって終わらせたケースがいくつかあります。この場合は、戸籍には「協議離婚」と記載されます。

同じ話を、戦後の民法の第一人者であった故・我妻栄氏が、書いておられます。

要約すると、「離婚の話を裁判所に持ち出したとなれば、世間的には、何か因縁をつけたように見られ、再婚にも差し支える。協議離婚だといえば、穏やかな話し合いの結果だと認めてもらえる」と、多くの人が裁判を嫌うのはなぜか、という随筆の中で触れられています(作品社「日本の名随筆 裁判」)。

美元はこの裁判で有名になってしまったので、裁判で離婚を争った過去を消せないと思うのですが、やはり戸籍にそれが載るのはイヤ、と思ったのかも知れません。

 

もちろん、戸籍の記載だけでなく、今後高裁で延々と争っていくことの手間や時間を考え、また離婚条件についても双方の納得ずくで話し合える(裁判離婚となると離婚条件は裁判所が決める)ことを考えると、双方にとって、訴えの取下げにより協議離婚するメリットは大いにあったと思います。

一部報道では、訴えの取下げによって「裁判はなかったことになった」と報じられていましたが、両者にとっては、この裁判は納得ずくでの協議離婚に至る過程として、決して無駄ではなかったと思います。

 

さて、東京地裁がそもそも、高嶋政伸を勝訴させた原因はどこにあったのか、という点については、私なりに思うところもあるのですが、そのあたりは次回にでも書く予定です。