芸能ネタ二題

久しぶりに芸能ネタです。軽く二題ほど。

 

酒井法子の弟(以下「のりピー弟」)が脅迫罪の容疑で逮捕されました。

元夫の父親のスキーショップで、姉が逮捕されたことでインネンをつけたそうです。

脅迫罪は、他人に対し「害悪を告知する」つまり身に危害を及ぶかのようなことを言うことで成立します。

「殺すぞ」などというのが典型ですが、のりピー弟が何を言ったのか、報道によりまちまちです。

「姉が逮捕されたのはお前らのせいだ」と言うだけでは、害悪の告知に当たらないようにも思えます。「今から店に行くぞ」と言うのも微妙です。ただ、のりピー弟は暴力団員であるらしく、そのような輩がすごんで言えば、「店で何をされるかわからない」という恐怖を与えることになり、脅迫に該当しうるでしょう。

「このままじゃ済まない」とも言ったとありますが、ここまで来ると脅迫罪と認定しやすいでしょう。その後の仕返しを予定するかのような発言だからです。

 

このように、脅迫罪というのは、ある意味では言葉尻を捉えて処罰するという犯罪なので、言葉の中身だけでなく、言った人の属性や、言った時の状況などによって、その成否が検討されるのです。

 

もう一題。

 

ジャニーズの赤西仁が、事務所に無断で黒木メイサと結婚した一件で、ジャニーズは罰として赤西の国内公演を中止し、キャンセル料などの損害を赤西個人に負わせると言いだしたそうです。果たしてこんなことが法的に通るのかと、私は疑問です。

結婚は本人の自由意思でしてよいはずであり、事務所に話を通さず結婚したことは、たしかに芸能界のオキテに照らせば問題なのかも知れないですが、それなら、芸能界のオキテに従って処分すればよいのです(仕事を干すとか)。そうではなしに、損害賠償という法的責任を負わせることができるかというと、これはかなり理屈としては困難です。

 

ジャニーズが本気でこの「罰」を実行するのかどうかは知りません。しかしジャニーズがこんなことを言いだすと、必ずマネする経営者が出てきます。

会社の従業員が会社の内規に反したとか、ちょっと仕事でミスして取引先に迷惑をかけたからなどと言って、過大な賠償額を見積り、それを給料から差し引くなどという、二流三流の経営者は結構いるのです。

従業員のミスが会社の損害に結びつくというのであれば、それは会社のチェック体制がよほど甘いのであって、どちらかと言えば会社側の責任と言えなくもない。

今回のジャニーズの子供じみた措置を、いい大人がマネしないことを祈ります。

なぜか「小沢被告」と書かないマスコミの不思議について

前回の話の続きを書こうとしているのですが、小沢一郎が起訴された後も、新聞・週刊誌は「小沢被告」という表現を使わず、「小沢氏」「小沢元代表」などと書いています。



起訴されて刑事裁判を待つ身になった人を、刑事訴訟法上「被告人」といい、マスコミ用語ではなぜか「人」を省略して「被告」と表現しています。これまで、どんな人であれ、起訴されれば新聞・テレビでは「被告」と呼ばれてきたと記憶しています。

記憶に新しいのは酒井法子です。
ついこの前まで「のりピー」と言われていたのが、覚せい剤所持容疑で逮捕状が出た直後から「酒井法子容疑者」となり、起訴後は「酒井法子被告」と書かれるようになりました。

私自身は、それらの人が裁判関係の書類などの上で「被疑者(容疑者のこと)」「被告人」と呼ばれるのは仕方ないとしても、新聞やテレビであえて「容疑者」「被告」という肩書をつけるのは、あまり望ましいことではないと思っています。

容疑者、被告といっても有罪判決が確定するまでは「無罪の推定」を受けるということは、私たち弁護士ならわかっているつもりですが、一般の人はその時点でどうしても「犯人」と同一視してしまいがちになるからです。

しかし、新聞その他マスコミがあえて「被告」という表現を使うのであれば、同じ立場の人には等しくその用語を使うべきなのであって、小沢一郎に「被告」の肩書をつけていないことは理解できません。

このあたりのマスコミの意図というのは全く察しかねますが、もしかしたら、プロの検察が起訴したのではなく、素人集団の検察審査会の議決に基づく強制起訴だから、まだまだ有罪になるかどうかわからない、と考えているのかも知れません。

そうだとしたら、主権者である国民の意思にもっと耳を傾けよ、と常々言いながら権力批判をしているマスコミが、国民の意思による決定を軽んじていることになります。
 もし審査会の多数決による強制起訴なんておかしい、信頼できないんだ、と考えているのであれば、新聞で堂々とそういう論陣を張ればよいのです。

そういうわけではないとしたら、他に考えられるのは「起訴されたのが小沢一郎だから」という理由しかありませんが、これでは完全に、マスコミが政権与党、権力者におもねっていることになります。

小沢被告の裁判については、今後粛々と手続きが進み、判決文はいつか公開されるでしょう。結論が有罪であれ無罪であれ、その中で判断の理由が明確に示されるでしょう。
果たして、マスコミが小沢一郎を被告と呼ばない理由は、いつかどこかで明確に示されるのでしょうか。