成年後見と選挙権 2(完)

前回の続き。

被後見人が選挙権を持たないとの公職選挙法の規定は、私も結論としては違憲無効で良いと考えており、今回の東京地裁判決が妥当と思います。

前回、指摘し忘れていましたが、問題の条文は公職選挙法11条1項で定められており、その1号に、被後見人が掲げられています。ちなみに、この条項には、他に選挙権が剥奪される人として、刑務所に入っている人とか、選挙違反の罪を犯した人などが掲げられています。ここだけ見ると、被後見人と犯罪者を同一に扱っているというわけです。

 

私自身の狭い経験ですが、私も弁護士ですので後見人をしたことも何度かあります。

あるケースでは、家裁で後見人に選任されるのに先立って、その被後見人(80歳程度の女性)と面談に行きました。確かに、細かい話は心もとないとはいえ、受け答えに大きな問題はありません。

親族の方が言うには「今日は若い男前の弁護士さんが家に来てくれるっていうんで、おばあちゃん、朝から楽しみにしてたんですよ。お化粧も濃いめにして」とのことでした。

この被後見人のおばあちゃんは、自分のおかれた状況(自分の判断能力が弱っていること)を把握しており、財産管理を弁護士に委ねるということも理解しています。若い男が来るから綺麗にしておこうという意識までお持ちです。私が期待に沿うほどの男前だったかどうかは知りませんが。

これくらいの理解力を持っている人であれば、選挙権を行使することに問題があるとは思えません。どの党が好きとか、どの候補者が男前だ、くらいの判断はできるでしょう。私自身も、そしておそらく多くの有権者も、その程度の判断で投票をするわけですから。

 

被後見人になる人の判断能力の程度もいろいろで、もっと重い障害や痴呆で、選挙や投票の意味すら理解しない人も中にはいるでしょう。その場合、その被後見人の選挙権を後見人が悪用して、1人で2票を投じてしまうという弊害も考えられる。

しかし、公職選挙法の問題は、それぞれの被後見人の能力を問題とせず、一律に選挙権を奪ってしまうというところにあります。

生じうる弊害は、選挙管理委員が監視するとか、選挙犯罪で摘発するといった方法で抑制すべきことです。もしその弊害が完全に除去しえないとして、少なくとも、被後見人から一律に選挙権を奪うことのほうが問題としては大きいと思います。

 

そういうことで、東京地裁は違憲判決を出しましたし、私もこの判断に賛成です。

国側はすでに控訴したようで、これには批判も向けられています。おそらく政府の考えは、裁判を続けておいて、その間に公職選挙法をきちんと改正しようということでしょう。

時間かせぎと言われるかも知れないですが、選挙の現場としては一地裁の判断に従って良いのかどうか混乱が生じかねないので、国会が正式な対応を法律で決めるということだと思います。

これは一票の格差のところでも少し書きましたが、今後、国会が裁判所の意をくんで、混乱が生じないよう法的な手当てを行なうということです。

 

この問題については以上です。引き続き、ブログテーマのリクエストをお待ちしております。

成年後見と選挙権 1

今回の記事は、大阪ミナミで小料理屋の若女将をされている島之内あけみさん(29歳、仮名)からのリクエストです。

「一票の格差」の問題を書いてきましたが、公職選挙法がらみでもう一つ、成年後見人がついた人は選挙権を失うとの規定が先月、東京地裁で、憲法違反で無効だとされました。この問題に触れてほしいとのことですので、解説します。なお、仮名だけじゃなくて小料理屋も若女将もウソなのですが、リクエストがあったのは本当です。

 

知的障害や、高齢や痴呆で判断力が低下している人について、その財産管理などを行なうのが成年後見人です。その人の親族や弁護士が、家庭裁判所の審査を受けた上で就任します。

この場合、成年後見人がついた人は、成年後見人と呼ばれ、財産管理権がなくなり、自分で契約などを結べなくなるほか、選挙権も失うと定められています。

 

成年被後見人とは、字のとおり、成年にして後見されている人のことです。

なお、これと対応して未成年被後見人というのもあり、これは知的能力とは関係なく親権者がいなくなった場合につきます。以下、長ったらしいので「成年」は省略しますが、被後見人と書いたら成年被後見人のことと思ってください。

ちなみに、比較的最近まで、被後見人は、禁治産者(きんちさんしゃ)と呼ばれていましたが、言葉の響きが悪いのか、平成11年に民法が改正され、呼び名が変わりました。

「治産」とは自分の財産を管理・処分することを意味するので、それが禁じられている人ということで言葉自体は間違っていないと思うのですが、たしかに「禁」という言葉がつくことで、法律家でない人が聞けば、何か悪いことをして財産を奪われた人、というイメージを持たれることもあったのかも知れません。

 

被後見人は財産管理権がなくなるというのは、悪い人に騙されて財産を奪われるのを防ぐためで、これは合理性があります。というより、後見制度はそもそも、そのようにして財産を失うことを防ぐために設けられた制度です。

たまに、後見人である親族や弁護士自身が、預かっている財産を横領するという事件がありますが、そこは家庭裁判所にきちっと監督してもらうことです。もちろん、そんなことをすれば横領罪で捕まりますし、弁護士の資格も剥奪です。

 

では、被後見人から選挙権まで奪うのはどうか。

選挙権を奪う趣旨は、おそらく、被後見人は知的能力が弱っているからどの候補者が良いか判断できないとか、後見人が被後見人の投票権を悪用しかねないとかいうことでしょう。

そしてもう一つ、禁治産者と呼ばれていたころの偏見もあったのではないかと想像します。

禁治産者という言葉は、明治29年にできた民法に定められました。公職選挙法は昭和25年、戦後の普通選挙制度の開始にあわせて作られたものですが、さすがに今ほどに人権意識も強くなく、禁治産者に対する無理解や偏見から、特に深く考えることもなく選挙権なしとしてしまったのではないでしょうか。

 

あれこれ書いているうちに長くなったので、この問題に対する私の考えは次回に書きます。