為替デリバティブ被害相談1 為替デリバティブとは(前編)

相談者 前回に続き、小島さん(50代、男性)。中華料理店「康楽」店主。


山内「こんにちは、小島さん。改めてのご相談とは、また何かあったんですか?」

小島「ええ、私個人の先物の件は、先生のおかげで片付いたのですが、今度は、うちの会社のほうが…」

山内「え、会社って」

小島「先生にはお伝えしていなかったのですが、うちの店、3年前に法人化して『株式会社康楽』になったんですよ」

山内「そうだったんですか。ずっと個人事業主として中華料理屋をやっているかと思っていました」

小島「多角化経営をと思いましてね。親族に手伝わせて、餃子をインターネットで通販したりして、いろいろやり始めたんですよ」

山内「たいしたものですね。では、多角化経営に行き詰ったとか…?」

小島「いえ、幸い、お店も通販も、業績はいいんですよ。でも、銀行への支払いがね…。言いにくいですけど、デリバティブとかいうやつですよ」

山内「ああ、もしかしたら、為替デリバティブですか。通貨オプションとかかな」

小島「そう! それです。さすが、先生もご存じなんですね」

山内「最近、その手の相談が増えてますよ。円安に備えましょうとか言われて契約したら、逆に最近は円高になって、大変な状況になっているんでしょう?」

小島「そうなんです。3年前に、お店を会社にして通販を始めるときに、USB銀行から資本金を借りたんです。餃子はよく売れて、借入れは少しずつですが順調に返済していたんです。で、2年前、銀行の担当者が店に来て、通貨オプションとかいうのを勧めてきたんです」

山内「担当者は何と?」

小島「会社として、海外に目を向けてやっていくには、外貨の準備が必要になるし、円安になると外貨が高くなるから、そのリスクに備える必要があるとか言ってきました」

山内「しかし失礼ながら、商品先物取引のことも分かっておられなかった小島さんが、海外通貨でオプション取引をするとか言われても、いっそう分からなかったのでは」

小島「全くそのとおりです。今日は契約書を持ってきているんですが、先生、わかりますか?」

山内「なるほど…。ええと、ざっと解説しますね。今から2年前、1ドルがだいたい90円くらいだったでしょうか、そのときに、あなたの会社は毎月、1ドルあたり80円で、1万ドル手に入れる権利を得ています」

小島「それはどういうことですか」

山内「1万ドルを手に入れようとしたら、当時の相場で、1ドル90円ですから、90万円が必要となるはずです。ところが小島さんは、80万円で手に入れることができた」

小島「なるほど、ドルが安く買えるわけですね」

山内「そうです。安く手に入れた1万ドルで、海外のモノを買うこともできるし、買うモノがなければ、国内でドルを円に換えると90万円もらえるわけだから、差額の10万円が儲かるわけです」

小島「ああ、そうそう、2年前は、月々ちょっと小遣いが稼げてましたなあ」

山内「で、稼いだ小遣いはどうしたんですか?」

小島「宗右衛門町のキャバクラで…って、まあその話はいいじゃないですか。いやでもねえ、最初は儲かっていたのに、円高が進んだあたりから、逆にこっちがお金を払わないといけないって言われたんですよ」

山内「ええ、そういう契約内容になっています。1ドル80円以上の円高になると、今度は銀行が、あなたの会社に対して、3万ドルを売りつける権利を得ることになります。しかも1ドル100円という高値で、です」

小島「と、いうことは…」

山内「あなたは3万ドルを月々手に入れますが、代わりに1ドルあたり100円でその代金を払うわけですから、毎月300万円、銀行に支払わなければならなくなります」

小島「うちの今の状態がそれです。ドルをそんなに持ってても仕方ないので円に換えるんですけどね」

山内「今の相場は1ドル79円くらいだから、国内で3万ドルを円に換えると237万円が入りますよね。300万円で買ったものを237万円で売るわけだから、差し引き63万円、毎月損をしているわけですね」

小島「そんな大変な契約だったのかあ。先生、いつまでこれが続くのですか?」

山内「契約書には、5年契約って書いてあるので、あと3年続きます」

小島「え!円高が続く限り、あと3年も、毎月多額のお金が出ていくわけですか? 何とかなりませんか?」

山内「この問題は最近、訴訟や調停の申立てが増えています。この件も、任せていただければ代理人として手続きを進めさせていただきますよ」

 

(続く)

為替デリバティブ被害相談2へ

オセロ中島にみる民事訴訟への対応のあり方

オセロ中島のことについて軽く触れます。

ネットニュースで見たところでは、東京にある個人事務所の賃料を半年以上も滞納し、明渡しを求める裁判を起こされたそうです。14日にその裁判の口頭弁論が開かれたのですが、オセロ中島は出廷しないまま審理は終結し、2週間後の2月28日に判決が出される予定とのこと。

弁護士から見ればよくある裁判ですが、これを題材に、いくつか解説を加えます。

 

まず、賃貸借の賃料については、いかに借主の立場が法的に保護されているとはいえ、3か月も滞納すれば、賃貸借契約を解除されます。オセロ中島は、昨年6月から滞納し、3か月経った9月に契約解除の通知を受けたようです。3か月滞納しているから、解除は有効といえるでしょう。

 

それでも出て行かなければ、家主側が原告となって、「立ち退け」という裁判を起こされる。それに対し、被告側がまともな対応をするのであれば、以下の3つの出方が考えられます。

① 何か正当な言い分があるなら、法廷に出て、書面または口頭で主張する。

② 話し合いによる解決を求めるというのであれば、その意向を裁判所に伝えておく。そうすれば、裁判官が仲裁の役目を果たしてくれます。

③ 第1回口頭弁論の日時がどうしても都合が悪くて法廷に行けないなら「詳細は次回までに主張します」という簡単な答弁書だけ提出しておけば、第2回は事前に時間を調整してくれます。

自分自身が法廷に出るのでなく、弁護士に依頼することもできます。そうなれば、弁護士が代わりに法廷に立つことになります。

 

オセロ中島はこのどれをも行わず、訴えられたことに対して無視したわけです。するとどうなるかというと、原告側の主張に対し何も争いはないと見なされて、審理は終結し、すぐに判決が出ることになります。原告の主張を争わないわけですから、基本的には原告側の求めるとおりの判決が出ます。

本件で、すぐに審理が終結して2週間後に判決が出るというのは、こういう理由です。

 

書面一本出しておけば良いものを、何の対応もしないという被告の対応は異常です。被告側がこういう対応を取るのは、以下の2つのいずれかの理由であることが大半です。

A 原告の主張に対して被告には何も反論がないので、争っても仕方ないと考えている場合か、または、B 前回書いた未公開株詐欺や先物詐欺のように、被告が、判決が出るまでに資産を隠して雲隠れしようとしている場合です。

いずれも、被告としてのまともな対応ではありません。普通の人にとって裁判を起こされるということは人生の一大事であり、いずれの理由にせよ、その一大事に何の対応もしないというのは、人生を半ばあきらめている人だろうと感じます。

 

オセロ中島だって、然るべき人に相談すれば、きちんと対応してくれたはずです。それを勧める人もいたでしょう。オセロ中島は、それも聞き入れないくらいに、人の意見に耳を貸さなくなったのかも知れません。

週刊誌などによればオセロ中島は自称占い師みたいな人に入れあげているようですが、こういう人も、前回書いたとおり、話をややこしくする人々の一例といえます。

今後は、オセロ中島に立ち退きを命ずる判決が出て、それでも立ち退かないなら強制執行で無理やりにでも出させることになります。それは占いよりももっと確実に予想しうることです。目を覚まして今からでも弁護士に相談に行ってほしいものです。

なぜ裁判は長い時間がかかるのか、モンテスキューの言葉から考える 2

モンテスキューの話しの続きです。前回、裁判に長く時間がかかる根本的な理由は、個人の自由を守るためである、と書きました。

モンテスキューは「法の精神」の中でこう言っています(第6編・第2章、要約)

自分の財産を返却させるため、あるいは何らかの権利侵害に対し賠償を得るために市民の払う労苦との関係で見れば、裁判の手続きはあまりにわずらわしいと思われるだろう。しかし、市民の自由と安全との関係でみれば、それはむしろ簡易に過ぎると思われるだろう。

裁判に払う労苦、出費、遅滞は、各市民がおのれの自由のために払う対価なのである。

 

モンテスキューは近代の裁判制度との対比として、大昔のトルコでの裁判制度を以下のように紹介しています。

トラブルになった当事者(つまり原告と被告)は、裁判担当の役人のところに出頭すると、役人は双方の話をだいたい聞いて、あとは、その役人が棒を持ちだしてきて、当事者の一方または双方の脚を棒で叩いた上で、家に帰すのだそうです。

モンテスキューが「法の精神」の中で紹介している諸外国の制度の中には、誤解に基づくものも結構あるそうなので、トルコで昔このような裁判が本当に行なわれていたかどうかについては私も知りません。しかし、未開の国では似たようなことが行われていたでしょう。

こうした制度であれば、裁判はその日のうちに終わります。しかし、そんな制度を利用したいと考える人はいないでしょう。人はいつでも、訴える立場になることもあれば、訴えられる立場になることもあります。そのときに、一方または双方が脚を叩かれて終わるという裁判が合理的であるはずがない。

正しい裁きを下そうとすれば、双方の主張と反論を尽くさせて、それを証拠に基づいてきちんと吟味するというプロセスは必須になるのです。

 

と、ここまで説明しても、紛争の当事者は、納得されないことが多いでしょう。

「互いの言い分を時間をかけて聞かないといけないのは、どちらが正しいかが微妙なケースでしょう。私の事件に関していえば、私の言い分が正しいのは明らかではないですか」と、そういうニュアンスのことを言う相談者もしばしばおられます。

しかし、人と人の紛争において、当事者の一方がそのように思っている場合は、まず間違いなく、相手も同じように思っています。

結局、どちらも自分の言い分が正しいと思っているから紛争になる。その際にどちらを勝たせるかを合理的に決めようとすれば、時間がかからざるを得ない。それは裏返してみれば、訴えられる立場になったとしても言い分は充分に聞いてもらえるという安心につながるのです。

現に、現代の日本の裁判でも、刑事事件では冤罪がたまに生じ、民事事件でも、地裁・高裁・最高裁と判断がそれぞれ異なることも多々あります。我々が不当な判決で自由や財産を奪われないためには、裁判制度はまだまだ「簡易にすぎる」というモンテスキューの言葉も、決して誇張ではないように思えます。