JR西の脱線事故、無罪判決は妥当と思う

JR西の脱線事故で業務上過失致死罪に問われたJRの前社長の山崎氏に対して、神戸地裁が無罪判決を出しました(11日)。

山崎前社長は、事故当時、鉄道本部長として鉄道の安全管理に関わっていたということから起訴されたのですが、判決は、簡単に言えば、事故を予見できなかった、としています。

100人以上の乗客が死亡した悲惨な事件であり、遺族の方々の感情は察するにあまりあります。でも、個人的には妥当な判決だと思っています。

 

ここでも同じ話を繰り返し書いてきましたとおり、企業が人命にかかわるような事故を起こした際に、企業が「使用者責任」(民法715条)に基づいて遺族に対し賠償金を支払うのは当然です。しかしそのことと、企業の中の特定の誰かに刑事罰を科するというのは全く別問題であるということです。個人を罰して刑務所に行かせるには、よくよくの事情が必要です。

個人に刑事責任を問いうるほどの「予見」や「過失」とはどういうものかという議論は専門的になるので控えます。ただ、それは誰しも、自分の身に置き換えてみれば想像しうると思います。

 

たとえば私の事務所にも事務職員がおり、裁判所に行くときなどに自転車を使うことがよくあります。そのとき、(職員には悪い例えですが)自転車を人にぶつけてしまい、大ケガさせたり死亡させたりしたらどうなるか。

私は、上記の使用者責任を負い、被害者に賠償金を払うことになるでしょう。それだけでなく「あなたも刑務所に行ってもらう」「自転車で市内を移動させるんだから、事故が起こることくらい予見できたでしょ」ということになれば、これは正直なところ、たまったものではない。

もし、従業員が事故を起こしたら雇用主も刑事罰を受ける、という法律や判例ができてしまったら、私は直ちに全従業員を解雇するでしょう。そこまでのリスクを負えないからです。私だけでなく、人を雇う多くの人は同様に考えるでしょう。

 

繰り返しますが、本事故の遺族や被害者の方々の気持ちはよくわかります。これまた、自分の家族がもしこの事故で亡くなっていたら、と自分の身に置き換えてみれば、容易に想像しうることです。

しかし、本事故に限らず、いかに悲惨な被害が生じたからといって、関係者個人が誰か刑務所に行かないと気が済まない、と考える人がいたとしたら、それは誤りであると考えます。そんな風潮ができてしまうと、いずれ自分の身にはねかえってきます。