内閣不信任と一事不再議 2

前回の続きで、「一事不再議」(いちじふさいぎ)について。

似たような言葉で「一事不再理」(いちじふさいり)というのがあります。これは、刑事裁判の大原則で、一度裁判が終わったら、同じ事件を再度裁判にかけてはならないということで、憲法39条に定められています。


国会での一事不再議とは、一度審議が終わった議案を、同じ会期中に再度審議しなおすことはできないということです。

これは、明治憲法には規定があったのですが、現在の日本国憲法には定められていません。とはいえ、一度多数決で決まったことについて、もう一度評決しなおすのは時間の無駄だから、当然のこととして、そういう慣行が形成されてきました。

今年の通常国会の会期は8月いっぱいまでで、その間、同じ議案を審議することはできないことになります。


しかし、「内閣不信任」という決議案のタイトルが同じでありさえすれば、一事不再議が機械的に適用されるわけではないはずです。

これは、刑事裁判での一事不再理を考えてみれば明らかです。たとえばある人が本屋で万引きして窃盗罪で裁判を受け、執行猶予となり釈放されたが、その直後、スーパーで万引きしたとします。

窃盗罪の裁判を一度受けたから、スーパーの万引きは同じ窃盗罪で裁けないかというと、それは明らかにおかしい。1件目の窃盗と2件目の窃盗は「別の事件」であって「一事」ではないので、刑事裁判にかけることができます。

国会でも、「一事」といえないような事情の変化があれば、審議は可能です。憲法の教科書では、「事情の変更により合理的な理由があれば、再提案も可能」(佐藤幸治)などと書かれています。

 

菅総理は、東日本大震災の後、意味なく視察に行って現場を混乱させ、災害対策基本法などの法律を活用できず、無駄な会議体をつくってばかりいた。そうした対応のまずさが、6月の不信任決議案の提出の理由となった。

その後、早期辞任をにおわせて不信任案が否決されるや、「辞めるとは言ってない」と詐欺としか言えないロジックで総理の座に居座り続け、震災復興に明確な方針を示すこともなく、原発問題等では思いつきの発言を繰り返した。

これでは、不信任案の否決という執行猶予判決の後に、改めて別の罪を犯したのに等しい。

すぐ辞めると思わせておいて辞めようとしないのは、不信任案の否決の際に想定されていなかった(総理大臣がそこまでのペテンを使うとはさすがに誰も思わなかった)事情の変更が生じたと言えるのであり、もはや「一事」ではない。

ですから、小沢一郎でも誰でもいいから内閣不信任決議案を提出しないことには、本当に、「不信任案が一度否決された後の内閣は好き放題してもクビにできない」という、最悪の慣行ができてしまうのです。

教育不足の板長のごとき総理

この度の震災で被害を受けた方々にお見舞い申し上げます。

報道は地震一色でして、伊藤リオンが東京地裁で懲役1年4か月の実刑判決を受けましたが、もはや「え、リオンって誰だっけ?」と思わしめるような、小さな扱いで済まされています。

未曾有の大災害を前に、法律家のブログとしてはどんなアプローチが可能かを考えあぐねた末に、ここはひとまず雑談でも書いてみることにします。

居酒屋評論家として有名な太田和彦さんが、ダメな店の典型は客の前で店員を叱る店だ、とどこかで書いておられ、私もまさにその通りだと思います。

少し高級な店で、板長が客の前で若い板前さんを叱りつけて、そのあと板長が客に「いやすいませんねえ」と笑顔を作ってみせるようなことがあります。

板長としては、仕事は厳しくやっていると見せつけたいのだろうけど、理由は何であれ、食事中に人が叱られているのを見せられると、お酒や食べ物が不味くな
るし、何より、営業中に店員を叱らないといけないのは、普段の教育ができていない証拠だと、そんなことを書いておられました。

私が菅総理に対して気色の悪さを感じるのも、まさに同じ理由です。

菅総理は今般の原発の問題で、東京電力の本店に乗り込み、職員に「どうなっているんだ」「覚悟を決めろ」などと、報道陣に聞こえるように怒鳴りつけたそうです。そのあと記者会見で国民に対し「心配をおかけします」などと述べたとか。

少しは法律家らしいことも書きますが、災害に対する国の責務がどうあるべきかは、法律にきちんと書いてあります。
昭和34年の「伊勢湾台風」を受けて昭和36年にできた「災害対策基本法」がそれで、さらに平成11年には「原子力災害対策特別措置法」という法律が定められています。

詳細は省きますが、これらの法律によると、国は、原子力災害の予防や事後対策のために必要な措置を講じなければならない、と定められています。

菅総理をトップとする日本国政府は、原発が暴走しないよう、関係省庁や電力会社に然るべき指示をして安全な仕組みを確立し、もし事あらば速やかに対処できるような体制を作っておかねばならなかったのです。

今回の東京電力の対応は、確かに素人目に見てモタモタしている印象を受けますが、それでも彼らは現場で文字どおり命がけでやってくれているのだと思います。
そして彼らが命を賭けないといけないような状況に陥らせた最終的な責任は、法律を読む限り、どうしても政府にあると考えざるを得ない。

その政府のトップが、自らの職責を果たさなかったことを棚にあげて現場を怒鳴りつけるという光景に、普段の教育をしないくせに板前をしかりつける板長と同じような不快感を持ってしまうのです。