いま「維新」がうまくいかない理由

先日の参院選はご存じのとおり自民党の大勝でした。

私の大阪選挙区では維新の会がかろうじてトップで当選したものの、他の地方では無残な負け方でして、これはつまり、維新の会の「大阪の改革を全国に広げる」という方針に、大多数の国民はNOと言ったわけです。

 

私見ですが、日本維新の会に限らず、自分たちの行動を明治維新になぞらえて、やたら維新を唱えたがる人は、たいてい、うさんくさいです(そういえば民主党が4年前の衆院選で政権交代したとき、鳩山が「明治維新に匹敵するできごとだ」と言いました。その後のことは皆さんご存じのとおり)。

そもそも、明治維新というのは、徳川体制下で下級武士が暴発して起こった革命です。

司馬遼太郎が何かの小説の中で書いていたことですが、この暴発は、当時の世界史的状況や諸々の偶然から、結果として奇跡的に成功したにすぎないものであると。しかし、「これでいける」と思ってしまった人たち(主に末期の日本陸軍)が暴発を続け、結局、大日本帝国を滅亡させてしまったのだと。

この司馬さんの見立てが、歴史家の目からみて当たっているのかどうかは知りませんが、たしかに、二・二六事件などを起こした陸軍将校たちは、「昭和維新を起こす」と言っていたそうです。

 

ついでに、司馬さんがこれと対照的に天才だったと称する一人が織田信長で、桶狭間の戦いで今川義元の軍に奇襲をかけ勝ちますが、信長は、これは一世一代のバクチに勝ったようなものであることを理解しており、以後二度とこのような戦いぶりをすることはありませんでした。

 

さらに雑談ついでに、明治維新以外で、「維新」と名のつくもので成功したものがあるのかというと、新日本プロレスの長州力の「維新軍」くらいでしょうか。アントニオ猪木、藤波辰爾らの子分と思われていた長州力がプロレス界の秩序に反旗を翻し、その名をあげましたが、これはまあ、あくまでプロレスの世界の話です。

 

で、維新好きの人たちのことに話を戻しますが、彼らは明治維新の一面的な部分にのみ注目し、それを無理やり現代にあてはめようとします。

明治維新が最も輝かしく描かれている書物の一つとして、また司馬さんの本になりますが、「竜馬がゆく」が挙げられるでしょう。

土佐藩の下級武士の坂本龍馬が、旅をしながら長州の桂小五郎(木戸孝允)や薩摩の西郷さんら有志を仲間にしつつ、ついに大政奉還を実現させる。その後は、由利公正みたいに能力があるのに藩に謹慎させられている人物を釈放させ、明治政府を作っていく。

男であれば(たぶん女の人でも)血わき肉おどる話で、「俺もこんな改革をやってみたい」と感じた人も多いでしょう。

 

ただ、龍馬がやった改革は、関ヶ原の戦い以降270年間、関ヶ原で東軍についた家だけが国の運営に関われるという制度を固定していた状況だったからこそ、それなりの成果が上がったといえます。

この270年間、いかに能力のある人でも、武士でない人や、武士でも関ヶ原で西軍についた人は、のしあがりようがなかったのです。

 

現代は違います。どんな分野でも、能力があればそれなりに活躍ができます。国家の運営に関わりたければ、誰でも、大学に行って公務員試験や司法試験を受ければ、官僚や裁判官になれます。すでに能力主義は相当に徹底しています。

 

この、誰でも知っている事実を、維新好きの連中は見ようとしません。

国家のあらゆる制度が疲弊し、能力ある人がトップにいないなどと、ありもしない事実を掲げて勝手に嘆きながら、制度や人事をいじくり回そうとします。

今、日本維新の会のやることなすこと、全くうまく行かないのは、こういう単純なところに理由があるというのが、浅はかながら私の考えです。

次回もう少し続く。

国歌斉唱時の起立を義務づける条例の合憲性は 1

大阪府で、橋下知事主導のもと、公立学校の式典での国歌斉唱のときに、起立することを義務づける条例が制定されようとしています。

橋下知事率いる「大阪維新の会」が府議会で過半数を取っているので、この条例は可決されることになるでしょう。この条例の当否について触れます。

と言いながら、いきなり話がそれますが、私は先日の地方選挙のとき、「大阪維新の会」の候補者には投票しないようにしました。その理由は2つです。

一つめは、自らの行動を「明治維新」に安易になぞらえ、やたら維新を唱える人たちを、私はあまり信用できないということです。

これは全く私ごとなのですが、私の祖先にあたる土佐藩主の山内容堂は、幕末、天皇家と幕府(徳川家)が一致協力して国難に対処すべきであるという、いわば穏当な改革論を主張しました。しかし、維新の立役者である西郷隆盛は倒幕を主張し、「あんなやつ(山内)は短刀一本持ってきて黙らせろ」(つまり「刺してしまえ」)と言ったそうです。

明治維新はこのように、恫喝半分で成り立ったものであって、到底、現代において行なわれるべきような性質のものでもないし、現代の政治家が手本にしてはならないと思うのです。

もう一つの理由は、これは「大阪維新の会」に限らず一般論として思うのですが、
実力が未知数で評価も定まっていないけど人気だけは高いような新政党に、あまり大きな権力を与えるべきではないと思うからです。

ちなみに、同じ理由で、民主党が政権交代を果たした平成21年8月の総選挙でも、私は民主党の候補には票を入れませんでした(政権交代後の民主党の体たらくを見ていて、その判断は正しかったと思っています)。

私のよく知る人が何人か、「大阪維新の会」から市会議員になっておられて、そういう個々の議員先生方は応援したいとは思うのですが、正直なところ、「大阪維新の会」なるものは、未だによく分からない団体であるとの印象しか持ちえません。

と、不必要に前置きが長くなりましたが、国歌斉唱時の起立を条例で義務づけることについては、私は賛成の立場にあります。
そのあたりの話は次回以降に続く

大阪市は無くなるのか

統一地方選挙、大阪では、府・市とも「大阪維新の会」が躍進しました。
橋下知事の掲げる「大阪都構想」に、これで弾みがつくのでしょう。

ただ、私には、この大阪都というのが、いま一つよくわかりません。
ひとことで言えば、大阪府と大阪市を一体化し、大阪市を解消し、「二重行政」による行政の無駄をなくす、ということのようです。

しかし、府や県の中に市があるというのは、大都市ではたいていそうであり(東京23区のみが例外)、おかしなこととも思えません。

二重行政の無駄というのも、私にはあまりピンとくるものがありません。
たとえば、大阪には大阪府立大学と大阪市立大学という2つの大学があり、それが「無駄」と言う向きもあるのかも知れません。しかし、公立大学に入りたいと真剣に考えている受験生やその親にとって、2つも大学があるのは無駄だと言う気にはなれません。

何より個人的にイヤなのは、「大阪都」という呼び名です。慣れていないだけかも知れませんが、いかにも言いにくいし、語感も美しくない。

どなたかが指摘しておられ、私も確かにそうだなと思うのは、日本において「都」とは、もともとは天皇のおわす「みやこ」を意味します。
東京都には皇居があり、京都には今も御苑がある。大阪にはありません。

いや、かつては「難波宮」があったではないか、という方もおられるかも知れませんが、それなら、平城京のあった奈良は「奈良都」と呼ばれるべきことになります。
平清盛は一時的に福原に遷都したから「兵庫都」、清盛亡き後の平家は安徳天皇とともに大宰府に落ちのびたから「福岡都」と呼ばれるべきことになります。
でも奈良、兵庫、福岡でそれを言う県民の方はおられないと思います。

大阪には、天皇はおわさないけど、「みやこ」ではない都市、というところにアイデンティティを見出すべきであって、単に東京への対抗意識から「都」を名乗るのは、畏れ多いし呼びにくいだけ、というのが私の考えです。

ただとにかく、今回の選挙の結果を受け、今後の大阪府政・市政において、維新の会は無視できない存在となるでしょう。その活躍をまずは見守りたいと思います。

「大阪市をぶっ潰す」というのが橋下知事の持論ですが、生まれも育ちも大阪市である私としては、「市を府に吸収することで、いかなる具体的メリットがあるのか?」「その政策は、私たちの市を取り潰さないと実現しないことなのか?」ということを常に問うていきたいと思います。