小沢裁判の「調書不採用」の意味

民主党の小沢一郎被告人に対する裁判について。

今週報道されたところでは、「小沢先生の了承のもとでウソの記載をした」と述べる石井秘書の供述調書が、証拠として採用されないことになったとのことです。この話、刑事訴訟の手続を知らないと理解しにくいので、専門的にならない程度に述べてみます。

 

小沢被告は、ご存じのとおり、何億もの政治資金を受け取りながら帳簿にちゃんと記載しなかったという政治資金規正法違反の容疑で裁判を受けています。

それに対し小沢被告は「私は知らない、秘書が勝手にやったことだ」と、容疑を否認しています。その弁解自体、政治家としてはどうかと思いますが、刑事事件としては「小沢被告の指示や了承のもとに秘書がウソを書いた」という証拠がない限りは、有罪にできない。

 

その有力な証拠が、検察が秘書を取り調べて作成した供述調書であったわけです。

しかし弁護側は、検察が密室で取調べをして作った調書など、裁判官の前に提出すべきでない、と申し入れることができる。その場合は、秘書を証人として法廷に呼んで、裁判官の前で一から証言させることになります。

 

検察が作った調書には「小沢先生に指示されました」と書いてあり、裁判官の前では「私が勝手にやりました」と証言することになる。

このように、調書と証言が食い違うときには、どちらを採用するかが問題となりますが、本来は、法廷での証言がいちばん重要なはずです。例外的に調書のほうを採用してよいのは、「調書のほうが特に信用できる状況のもとで作成された場合に限る」と刑事訴訟法に書いてあります。

 

ただ従来は、法廷での証言よりは、調書が重視される傾向がありました。それは、検察官は法律の専門家だから、証人に対して無茶な取調べなどするはずがない、一方、法廷では証人は被告人に遠慮して本当のことを言いにくい、と信じられてきたためです。

しかし最近は、冤罪事件が次々明るみに出たり、検察官が無茶な取調べどころか、証拠を偽造したりする(郵便不正事件)ケースも出てきて、検察官の取調べにも相当に注意の目が向けられるようになったのです。

そして今回、検察側の調書は採用しないと、裁判長は決定しました。圧力や利益誘導があったとのことです。つまり取調べの検察官が秘書に「指示されたと認めないといつまでも釈放されないぞ」とか「認めればお前の罪は軽くしてやる」などと言ったと推認され、そんな状況で自白したと言っても信用できないというわけです。

検察側が、いかに「取調室では小沢被告に指示されたと言ってましたよ」と主張したとしても、正式に採用されていない証拠に基づいて有罪判決を書くわけにはいきません。

 

今後、検察側としては(注:検察審査会の議決に基づいて、弁護士が検察官として起訴したので、検察側も弁護士です。ややこしい話ですが)、秘書の供述調書がなくても、「秘書が勝手に何億ものウソの記載をするはずがないでしょ、あなたも知っていたのでしょ」という状況証拠で立証を行うことになります。

小沢被告が「全く知らなかった」というのも常識的に考えて充分あやしいのですが、グレーゾーンなだけでは有罪にできないのが刑事訴訟の大原則です。状況証拠でクロに持ち込めるか、今後の裁判に注目したいと思います。

小沢一郎の元秘書、3人の「被告」に有罪

小沢一郎の元秘書ら3人に、政治資金規正法違反で有罪判決(26日、東京地裁)。さかんに報道されたとおりで、特にここで付け加えるほどの話はありませんが、少し触れます。

 

裁判上の争点としては単純で、秘書らが、ゼネコンから億単位のお金を受け取っていながら、それを政治資金として帳簿に記載しなかったことが虚偽記入にあたるか、またそれが秘書らの共謀によるものであるか否かが争われました。

3人の秘書が罪を自白したとされる供述調書が、検察側の威迫や誘導によるものだという理由で証拠として採用されず却下されたという、郵便不正事件で厚労省の村木氏に無罪判決が出たときと似たような経緯をたどりましたが、お金の流れや帳簿の記載などの証拠からして、3人を有罪にしたようです。

 

今後、小沢一郎の裁判が控えていますが、ここでは、小沢一郎が秘書らにそういった虚偽記入を行うよう指示したか否かが問題になるでしょう。

こちらのほうは、検察側がいったん不起訴にしたところ、検察審査会の決議に基づいて起訴された(マスコミのいうところの「強制起訴」)という経緯をたどりました。検察が、有罪かどうか微妙だと思って起訴を見送ったわけですから、どういう結論になるかは予測がつきません。

ただ、民主党の大好きな「国民の目線」で考えると、ボス(小沢)が指示もしないのに、秘書だけの判断で億単位のお金を帳簿に記入しないということは考え難いでしょう。

私も職業柄、お金を預かることは多いですが、事務員は私の指示がないことには1円のお金も動かしませんし、帳簿に載らないようなお金を私に代わって受け取るようなことはありえません。私に限らず、ほとんどの自営業者はそうでしょう。

もっとも、グレーなだけでは有罪にできないのが刑事裁判であり、小沢一郎が「黒」である証拠や証言が出てくるのかどうかが注目されるところです。

 

少し話が変わって、これも以前に書いたことですが、新聞などでは今回有罪になった秘書を「石川被告」などと表現していますが、小沢一郎については、起訴され刑事裁判を受ける立場であるのは同じなのに、「小沢氏」「小沢元代表」と書かれています。

検察審査会の議決に基づく強制起訴の場合、マスコミは「被告」呼ばわりしないのか、とも思っていたら(それもおかしな話ですが)、一方で、JR脱線事故の報道では「JR福知山線脱線事故で、業務上過失致死傷罪で強制起訴されたJR西日本の元社長、井手正敬、南谷昌二郎、垣内剛の3被告の公判前整理手続きの…(以下略)」と「被告」の肩書を使っているものも見受けられます(上記は9月27日の「MSN産経ニュース」から引用)。

結局、小沢一郎に遠慮してるのだな、としか思えない報道ぶりなのです。このようにマスコミは、同じように「刑事被告人」の立場である人に対し、ある人は「被告」と書き、ある人は「氏」と書くのです。このことは、刑事事件報道を見る際に、少し念頭に置いていただきたいと思っています。

前原外務大臣の辞任は当然と思う

前原外務大臣が、政治資金規正法に反して外国人から政治献金を受けていたことで引責辞任した件について(カンニングの話の続きはまたいずれ)。
聞けば、地元・京都の焼肉店の経営者とかで、以前から前原大臣と面識があったとか。

私の実家に近い鶴橋でも、在日韓国・朝鮮人が経営している焼肉店が多数あり、私もそういう方々の多くと個人的に親しかったりもします。そうでなくとも、一
見すると大した問題じゃないと感じる向きもあるかも知れませんが、私自身は、あれこれ考えてみて、やはりこれは大問題であると思っています。

私自身の仕事と無理やり結びつけて考えてみるとします。
私は弁護士として、依頼を受けて依頼者の代理人として民事事件を扱いますが、時に、紛争の相手方の人が、私と話がしたいと言ってくることがあります。

このとき、相手方にも弁護士がついていれば、頭越しに交渉することは弁護士としての仁義に反するから断りますが、弁護士がついていない相手であれば、直接の対話に応じることがあります。

私に限らないと思いますが、民事事件において弁護士は、相手方をこてんぱんにやっつけてやりたいと思っていることは、あまりない。相手の言い分も聞いて、双方の利害を調整の上、納得できる落し所が見つかるのであれば、それに越したことはないと思っている。

それでも、依頼者と相手方の利害がどうしても衝突する場合は、当然、依頼者の利益を第一に考えなければなりません。そういうときに、弁護士が、相手方と会うだけでなく、その相手からお金をもらったりすると、依頼者は不信感を抱くし、弁護士倫理にも反します。
ただ、弁護士は在野の一私人ですから、依頼者からクビにされ、弁護士会からお叱りを受ければ終わりです。

しかし、前原氏は国会議員という公人であり、しかも外務大臣です。
日本の政治家は、日本に定住する外国人の利益や生活を配慮すること自体は良いとしても、利害が衝突する場合には日本人のことを第一に考えてもらわないと困るのです。

民主党の方々は、民主主義というものについてやや異なる考えを持っているようです。
私などは、民主主義とは、その国の国民が、その国の政治に関与し判断することを言い、その場合の「国民」とは「その国の国籍を持っている人」のことだと考えます(従来の政府解釈であり、最高裁判例であり、ほとんどの民主主義諸国の考え方でしょう)。

ところが民主党は、そこに一定の定住外国人を含めるようです。
どちらがいいのかは、私にはわかりませんし、ここで議論するつもりもありません。

しかし、民主党がそういう考えを持っているのであれば、政権交代のあと、さっさと公職選挙法を改正して外国人参政権を認め、政治資金規正法を改正して外国人が政治献金できるようにすればよかったのです。

政党政治家が、民主主義に基づく法改正を行うことなく、お金だけは外国人からもちゃっかりもらっていた、ということになれば、私のような政治の素人だって、日本の政治が外国にカネで買われている、という懸念を抱くわけです。

前原外務大臣の公人としての意識の薄さに恐ろしい思いがします。辞任は当然です。