袴田事件 再審決定に思ったこと 1

前回の予告どおり、袴田事件に触れます。

これは、さかんに報道されていてご存じだと思うのですが、昭和41年、静岡の味噌の製造会社の専務の自宅が放火され、4人の死体が発見されたという事件です。

元プロボクサーの袴田巌さんが逮捕され、警察の取調べの段階ではいったん自分がやったと認めましたが、裁判の段階では無実を主張しました。しかし裁判所の認めるところとはならず、静岡地裁は昭和43年、死刑判決を下し、最高裁で昭和55年に死刑判決が確定しました。

袴田さんは昭和41年の逮捕以後、ずっと身柄拘束されていたのですが、先月、静岡地裁の再審開始決定を受け、釈放されました。

 

まず前提として、捕まった人がどこに入れられるのか、という話をします。すでに過去にも書きましたが、今回の事件の根っこにもその問題があると思うので、改めて書きます。

 

① まず、警察に逮捕された人は、警察署にある留置場に入れられます。そこで警察署の刑事の取調べを受けます。

袴田さんは静岡県下の警察署に留置されて取調べを受け、この段階でいったんは「自白」しました。

 

② 取調べが終わって検察に起訴され、刑事裁判を受ける立場(被告人)となった人は、拘置所へ移され、裁判の日を待つことになります。

犯罪が比較的軽微で、身元もしっかりしているなどの理由で、拘置所に閉じ込めておく必要はないと判断されると、一定のお金を預けて出してもらうこともできます。これが「保釈」です。

袴田さんは、4人殺害という重大嫌疑を受けていたので、当然、保釈はされていません。

 

③ 裁判で有罪となり、懲役の実刑判決を食らうと、今度は刑務所に行きます。そこで刑期に服する間、いろんな仕事(刑務作業)をします。

袴田さんは、この刑務所には行っていないはずです。現に袴田さんが釈放されたとき、出てきたのは東京の小菅にある東京拘置所からでした。

 

このように、死刑囚は③の刑務所ではなく、②の拘置所にいることになります。

理由は知りませんが、私の理解では、刑務所とは社会復帰のための場所であり、刑務作業も社会復帰の準備に他なりません。しかし死刑囚は社会復帰を前提としていない。死刑執行を待つだけの身です。だから純粋に「待つ」ことだけを目的とする施設である拘置所に入っているのだと思われます。

 

ですから拘置所の中では、裁判の日を待つ被告人と、死刑執行の日を待つ死刑囚の、2種類の人が拘置されていることになります。

そして死刑囚の部屋は独房で、他の死刑囚と会話も禁じられ、死刑執行の日は伝えられることなく、その日が来たら、看守が朝とつぜん迎えにきて、そのまま死刑台に送られる、という話も、多くの方がご存じかと思います。

袴田さんは昭和41年の起訴後、48年間を拘置所ですごし、そのうち最高裁判決後の36年間を、確定死刑囚ということで、絞首刑になるのは今日か明日かという気持ちですごしてきたことになります。

次回へ続く。