送迎バスの津波事故と幼稚園の責任

幼稚園の送迎バスが津波に巻き込まれて園児が亡くなった事件で、仙台地裁が園の責任を認めて賠償を命じました(17日)。大きく報道もされたので、ご存じのことと思います。

ニュースで第一報を見たときは、厳しい判決だな、と思ったのですが、事案を知るにつけ、これはやむをえないかな、と思っています。

 

事件は、平成23年3月11日の東日本大震災の日、宮城県石巻市の私立幼稚園でのことでした。地震が起きたあとに、園長の判断でバスを出発させました。

幼稚園は高台にあったのに、バスが低地を通行したため、結果としてバスは津波にのまれ、5人の園児が亡くなりました。

裁判での争点は、園長がこのとき、園児を帰すとこういう結果になりうることを予見できたかどうか、ということです。

園長が、この地震がここまでの大地震だとは思っていなかったでしょうし、怖がっている園児たちを早く親元に帰してあげたいと思ったのも理解できなくはない。

もっとも、注意力を働かせれば、大きい揺れが来ている以上、津波が来るかも知れないことは予測しえただろうし、テレビ・ラジオや町内の緊急放送で注意深く情報を集めていれば、いまバスで帰すのは相当危険だということも分かったように思えます。

 

ここの園長がどんな方なのかは存じませんが、東北の気のいいおっちゃんで、園児思いの人だったのだろうと、勝手に思っています。しかし、平時はそれでよくても、異変が起こったときには即座に情報を収集し、園児を守るために的確な判断を下す必要があります。

それに、幼稚園として親から保育料を受け取って子供を預かっているわけですから、高度の注意義務が求められることになります。

そういうことで、幼稚園側が控訴するかどうかは知りませんが、私はこの判決で妥当だと思っています。

 

私が懸念しているのはその先で、園児の遺族は、きちんと賠償が得られるのかどうか、ということです。

判決が命じた賠償は総額1億数千万円です。幼稚園を運営する学校法人に支払い能力があるかどうかは存じません。学校法人も園長個人も、払えなくなって破産でもされると、賠償が得られないという可能性もある。

だから何でも民間にやらせるというのは間違いなんだ、と私のいつもの話に結び付けようというつもりではありません。世間の親としても、何かあったときに賠償金を取れないから私立でなく公立に行かせようとか、そこまで考える人もいないと思います。

しかし、こういう事件が起こったときに、民間組織の脆弱さということを痛感せずにはいられません。

 

私の息子と同じ年頃であろう、亡くなられた園児さんたちの冥福を祈ります。

やっぱり市立幼稚園の民営化に反対する 2

続き。

前回書いたとおりで、大阪市の各区長が市立幼稚園民営化への理解を求めて、各幼稚園を回っておりますものの、民営化を不安視する保護者側と、ご理解くださいと繰り返す大阪市側との相互理解に至る見込みは到底ありません。

しかし、これは言ってしまえば仕方のないことで、幼稚園民営化に限らず、国政・市政上の問題については、いかに説明や議論を尽くしたところで、万人が納得しうる回答に到達するのは不可能なのです。

 

たとえば、私は前回、長く残っているものにはそれだけで価値がある、だから大阪市の公立幼稚園は残すべきだ、と書きました。

しかし、橋下市長と各区長と、維新の会の面々からすれば、長く残っているものなど、官僚主義などの旧弊のカタマリであり、既得権益の巣窟であり、そんなものは徹底的に打破していかなければならないと考えているに違いありません。

両方の見解について、どっちが正しいとは言い切れません。前回書いたとおり、市立小学校の民間校長が早速失敗していることなどを見ると、私は私自身の価値観が正しいと信じますが、市長や維新の連中もまた、自分たちの価値観が正しいと信じています。そうなると、これは議論で解決する類の話ではなくなります。

 

日本や欧米などの先進国は、憲法によって各人の価値観や言論の自由を厚く保証しているので、いかなる価値観も一応は尊重されることになります。これが立憲主義、自由主義の考え方です。

その上で、価値観がぶつかったときには、議会の多数決で物事を決めることになります。それが民主主義です。

 

橋下市長と維新の会は、いま明らかに勢いを失っていますが、大阪での過去の選挙に限っていえば圧勝を続けています。橋下市長の失策、失言が続き、維新の会から離党者が出たとは言え、いまでも支持者はそこそこ多いでしょう。

幼稚園民営化の具体的プランは、区長の言うところによればこの8月には発表され、大阪市議会でそれに対する信が問われます。維新の会は当然、賛成に回りますし、いつも日和見の公明党も賛成に回れば、過半数を制して可決されます。

 

そうなったら私はどうするかと言われれば、憲法の下で民主主義により決めたのなら、もう仕方がないと思っています。

幼稚園がもし民営化によってガタガタになったとしても、自分の息子くらいは立派に育てる程度の自信はあります。そして息子が大きくなったら、幼稚園のころに混乱が生じるのを止めてあげれなかったことを詫びたいと思います。

そして、

「お前が幼稚園に行ってたころは、橋下とかいう市長と維新の会って政党がすごく人気があったんや。でもなあ、お父ちゃんは、あんなの最初から、うさん臭いと思って一票も入れたことはなかったぞ。口だけうまい連中にあんまり大きい権力を持たせたらアカンのや」

ということを、合わせて聞かせてやりたいと思っています。

 

もう一回だけ続きます。飽きてなかったらお付き合いください。

やっぱり市立幼稚園の民営化に反対する 1

最近、この話題が多くてすみません。特に興味のない方は読み飛ばしてください。

 

大阪市では今、市政はゴタゴタとしておりまして、府の水道事業との統合は否決、大阪市営地下鉄の民営化は継続審議、橋下市長の目論んでいた大阪都構想など最近話題にすらならない、という状況です。

それでも、市長は今もなお、大阪市立幼稚園・保育所の民営化は、意地にでもなっているのか進めようとしていて、公募で市長に選ばれた各区長が、幼稚園などを回って民営化に向けた説明会を開いています。

 

我が大阪市西区の高野区長は、仕事熱心で、橋下市長の号令のもと、任務を忠実に遂行しようとしているのは分かるのですが、説明会で言っていることはムチャクチャです(これは高野区長が不誠実なのではなく、橋下市長が何も考えてないためです)。それをいちいち挙げるとキリがないので、少しだけ紹介します。

 

区長が幼稚園に来て言うには、市立幼稚園を廃止するのは、財政難が主たる理由でなく、民間を活用することで幼児教育の底上げ、つまり全体のレベルアップをする、ということにあるのだそうです。

では、それは具体的にどのように行われるのですか、との問いに対しては、「幼児教育のカリキュラムを作成していく」とか「教育委員会に幼児教育のスペシャリストを招き、教育委員会が幼児教育に積極的に関わっていく」とか、官僚が頭の中だけで考えたみたいな答弁に留まります。

その程度の、「これから考えていきます」みたいなやり方で、幼稚園に限らずあらゆる公的制度を潰そうとしているのが、今の市長とその子飼いの区長たちです。

 

ところで先月、公募で大阪市立小学校の校長に選ばれた人が、3か月で辞めてしまったという一件がありました。公教育に民間の力を投入すればうまくいく、という市長の考えが、この一事をもってしても、誤りだったことが露呈したわけです。

しかも橋下市長はこのことについて釈明を求められて「自分に人事権はないから責任はない。教育委員会の責任だ」と言いました。このように、大阪の公教育は、何があっても責任を取らないトップにかき回されているのです。

 

区長は幼稚園でこうも言いました。「公立幼稚園を残したいというのであれば、公立を残すだけの積極的な理由は何か、公立でないとできないことは何か、それを聞かせてほしい」と。

 

私は、古いもの、長く続いているものというのは、長く残るだけの良さがあって続いているのであって、そのこと自体が貴いものだと考えています。

私がよく行く老舗のバー「サンボア」は創業以来95年、京都・大阪を中心にのれん分けしつつ続いています。もっと大きな話になると日本の天皇は2000年以上続いています。

大阪の市立幼稚園は、いまきちんとした資料が手元にないですが、園の数を徐々に増やしながら、130年以上続いているはずです。

 

しかし、市長や区長はそういったものに価値を見出さないようで、公的制度や施設は潰せば潰すほど良いと思っているのでしょう。さらに言えば橋下市長はその時々で最も大衆受けしそうなことを言う(その意味では姿勢は一貫している)ので、行政の継続性や安定性、それに市民が寄せる安心や信頼感というものに重きを置かないのです。

これまで長年続いてきたものを潰すと言ってる側が、潰すだけの積極的な理由を何も説明せずに、潰さず残しておいてほしいという人に対して「潰さない理由を説明しろ」と言っているわけですから、相当に乱暴と言いますか、本末転倒な議論のやり方です。

 

ゴタゴタと書きましたが、次回もう少し続くかも知れません。

市立幼稚園の民営化に反対する(続)

少し前に、大阪市の公立幼稚園民営化に関する話を書きました。私が幼稚園児の子を持つ親であるという理由でこの問題には興味を持っているのですが、それにとどまらない問題も含んでいると思うので、もう少しだけ書きます。

(前回の記事はこちら

前回も書きましたが、大阪市のホームページによりますと、公立幼稚園を民営化する理由は、①市の財源上の負担軽減化、②公立と私立の保育料の負担の平等、③民間でできることは民間でやるという理念、といったあたりです。

 

①については、前回触れました。公立幼稚園を全廃すると、市の予算が年間25億円浮くそうですが、国と大阪府の私学援助が増える(年間10億円)という問題があります。

国と府が私学援助をヤメます、と言うと、幼稚園が潰れるか、保護者が年間20万円程度を支払って支えるかしないといけなくなるのですが、大阪市が今後の国と府の負担について、確約を取るなど何らかの手当をした形跡はない。

そもそも、年間25億円というと、大阪市の年間予算(約2兆6600億円)の0.1パーセントです。0.1パーセントを浮かすために、公立幼稚園を全廃し、その教職員を全員クビにするという了見が、私には理解できません。

 

②の、公立と私立の負担の平等という点も、「平等」と言われると反対しにくい雰囲気になってしまいますが、多分にマヤカシが含まれています。

私立幼稚園に入学させる親は、公立に入れたかったけど抽選にもれてやむなく、という人もいるにはいると思いますが、積極的に私立を選ぶ人もいます。教育内容、ブランドイメージ、施設、制服、バス送迎などです。ちなみに私の亡き祖母も私立幼稚園に私を入れたがり、そのため私はバスに乗って私立幼稚園に通っていました。

「公平」を唱える大阪市(具体的には市長)が、保護者アンケートの統計を取って、実際に不公平感を持つ親がどの程度いるのか検証したのかというと、その形跡はありません。頭の中で考えただけの「公平」です。

 

③の、民間でできることは民間でという理念は、市長に限らずスローガンとして好きな人は多いですが、これも前回書いたとおりで、それを徹底するなら、警察庁と自衛隊と裁判所くらいを残しておいて、大阪府も大阪市もなくしてしまえばいいのです(当然、大阪都も要らない)。

おそらく多くの人は、それはさすがに極端だ、と思うでしょう。ですから問題は、官から民へという抽象的なスローガンで片付くことでなく、どの部分を「公」が担い、どこを「民」がやるか、そのベストの線引きはどこか、ということです。その検証作業もされたとは思えません。

そして、公立幼稚園を廃止するという、そこで線を引くならその積極的な理由づけは何なのか、という説明もされているとは思えない。

抽象的理念から、いきなり飛躍して具体的な結論を導いてしまうのは、市長の悪いクセですが、この問題に限らず、こういう議論の仕方には注意しなくてはいけません。

 

民間に任せれば多様なニーズを取り入れて幼稚園教育が充実する、という説明もされていますが、幼児教育という、一種の高度な専門性を要する領域に、「市民ニーズ」を取り入れるというのがそもそも私には理解できません。

また、ニーズというのであれば、私がそうであるように「子供は公教育で育てたい」というニーズも現にあるのであって、そのニーズに限っては無視してしまう理由もわかりません。

 

こんなよくわからない理由で公教育を解体させてしまっては、大阪市の将来に禍根を残すように思えます。この問題は現在進行形のことで、今後も現場リポート的に触れるかも知れませんが、興味のある方はお付き合いください。

市立幼稚園の民営化に反対する

今回は完全に私ごとの話ですがご了承ください。

 

大阪市には「大阪市歌」というものがあり、長年、大阪市民をやってきた私はその存在すら知りませんでしたが、息子が地元の市立幼稚園に入園したとき、年中・年長の園児たちが入園式で歌っているのを聞いて初めて知りました。

どんな歌かというと、出だしは「高津の宮の昔より、よよの栄を重ねきて、民のかまどに立つ煙」(後略)と、かつて仁徳天皇がいつも上町台地の高津宮から大阪平野を眺めて、人々の家のかまどに煙が立っているか(つまり食糧が行きわたっているか)心配しておられたというエピソードにちなんだ、なかなか良い歌詞なのです。

息子は4月になったら、年中クラスの園児として新入園児を迎え、入園式でこの歌を歌わなければならないので、いま幼稚園で練習させられているらしく、家に帰ってきても断片的に歌っています。

しかし、大阪市は幼稚園を民営化して、その運営を民間の学校法人に委ねる方針のようなので、幼稚園でこの歌は歌われなくなるかも知れません。大阪市から切り捨てられようとしているのに熱心に市歌を覚えようとしている息子を見ると切なくなります。

 

そんな感傷はさておき、幼稚園の民営化の当否について少し書きます。

大阪市に限ったことではないですが、公費の負担を減らすことを目的とした公共機関の民営化は、各所で進められていることと思います。

民間にできることは民間でやってもらうと、大阪市の担当者なども言っているようですが、その理屈だと、民間でできない(またはさせるべきでない)ことと言えば、国防、警察、司法くらいでしょうから、大半の公的機関を消滅させるべきこととなります。

市役所や府庁も要らなくて、民間か、国の出先機関にやってもらえば良いことになりますが、しかしそれは地方分権の流れに反することでしょう。

 

大阪市の幼稚園に関しては、財源上の疑問があります。

とあるデータによると、大阪の市立幼稚園では、児童1人あたりに市が年間約57万円の予算をつけているそうです。私立の場合は、それが約85,000円で済む。大阪の市立幼稚園の児童は約5200人だから、全部を民営化すると、この差額に人数をかけて約25億円の予算を浮かせることができるそうです。

もっとも、幼稚園に予算をつけているのは市だけではありません。国や府も援助しています。国と府の援助は、市立だと年間わずか約500円ですが、私立だと約20万円です。私立でも親の払う保育料が高くなり過ぎないよう、国と府が大幅に負担しているのです。したがって、すべてを民営化すると、国と府の負担が10億円多くなります。

市は予算をカットできるが、国と府は負担が増える。大阪府の財政だって、この先わからないし、橋下府政でもっと悪化したとも一部報道で言われています。今後、府も予算をカットすると言い出すことは充分考えられる。

国と府が負担しきれなくなると、あとは、その年間20万円を親が払うか、学校法人に負担してもらうしかなくなります。幼稚園に子供を通わせられなくなる親も出てくるかも知れないし、また負担に耐え切れずに破綻する学校法人が出てくるかも知れない。

そんな不安を残すのですが、それでも、大阪では維新の会が勢力を保ってゆくでしょうから、公共機関の解体が今後も進んでいくでしょう。

ただ、自民党政権になって、児童教育を無償化するという話も出てきているようですが、国の予算でこれをやるというのであれば、わざわざ公立幼稚園を民営化させる予算上のメリットはなくなるので、それに期待をつなぎたいと思っています。

 

繰り返しますが、大阪市の考えは、市は負担したくないから国と府に依存するというものであって、地方分権に反することです。また市の予算と権限でもって子供を教育するということを放棄するものであって、仁徳天皇が聞いたらお怒りになることでしょう。

まとまらないままですが以上です。