亀岡の暴走事故は「危険運転」と言えるのか

京都・亀岡で無免許の少年が自動車を居眠り運転で暴走させ、多数の児童が死傷した事件で、遺族の方々が少年らに「危険運転致死傷罪」の適用を求め、署名活動や再捜査の申入れをしているというニュースがありました。

この事件は極めて悪質で悲惨なものであり、遺族の気持ちは察するにあまりあることに全く異論はありません。私自身、幼稚園児の子を持つ親として、恐怖と憎悪を感じました。

 

しかし、ここで度々申し上げているとおり、こうした署名活動には、私はいつも違和感を禁じえません。

一つには、検察の判断が、署名の多さや遺族の声の大きさで左右されるのは不合理だろうということです。これは過去にも触れたとおりですので、あわせてこちらをご参照ください。

 

もう一つは、これも述べたことがありますが、この危険運転致死罪(刑法208条の2)という条文が、運用如何では極めて危険なものであり、その適用にはもっと慎重であるべきだと思われるということです。

通常の交通事故死に適用される自動車運転過失致死は、上限が懲役7年ですが、危険運転致死罪が適用されると、上限が懲役20年となり、他の条文(道交法違反など)との組み合わせによっては、最高30年までの懲役刑が可能となります。

どういう場合に危険運転致死罪が適用されるかというと、条文には、「アルコールや薬物で正常な運転が困難な状態で自動車を運転した」「車を制御困難な高速度で走らせた」、「高速度で通行妨害目的で他の車に接近した」、「高速度で赤信号を無視した」、こういう事情で人をひいて死なせた場合に適用されることになっています。

特に最後の部分など、ドライバーの方は怖いと思うのではないでしょうか。交差点で信号が変わりそうだから、ちょっとスピードを上げ、赤信号だけど、他の車が交差点に進入してくるギリギリくらいで通過した、という状況は、決して珍しいものでないと思います。その状況で人をはねて死なせてしまうと、懲役20~30年もありうるというわけです。

 

もっとも、上記のような事例で危険運転致死罪が適用されたケースは、私はまだ聞いたことがないし、実際には、もっと悪質な赤信号無視の事案に限られるのであろうと想像しています。

しかし、危険運転致死罪の適用を求める活動というのは、その適用を拡張してほしいと言っているわけです。それでいけば、私が上に挙げた事例でも、ばんばん危険運転致死罪を適用すべきだ、ということになりそうです。

「無免許運転だったのに適用されないのはおかしい」という声もありますが、「無免許運転」というのは、危険運転致死罪の条文のどこにも書かれていないのです。


繰り返しますが遺族の気持ちは痛いほどによくわかります。

「危険運転致死罪」なんていう条文ができてしまったせいで、通常の「自動車運転過失致死罪」があたかも「危険」じゃない事故であるかのような印象になってしまい、こんな悲惨な事故を「危険運転」と言ってくれないのはおかしい、という気持ちもあるでしょう。

しかし、今回の事故は危険運転致死罪の条文に書かれておらず、この条文ができたときには想定されていなかったはずのケースです。今回、危険運転致死罪の適用を認めてしまうと、間違いなく、今後一気にその運用の幅が広がります。条文にないけど結果からみて悪質な事故だから条文の解釈を広げてしまう、という先例ができてしまいます。

その摘発の対象となるのは、私たち自身かも知れないのです。検察には冷静で厳密な判断を求めたいと思います。

署名で検察は動くのか

前回の続き。

兵庫県加西市で、月食を観に行った小学生の兄弟が、酔っ払い運転のトラックにはねられ死亡しました。神戸地検がこの運転手の男性を、自動車運転過失致死罪(7年以下の懲役)で起訴したところ、遺族の方が、より重罰の危険運転致死罪(20以下の懲役)の適用を求めて署名運動し、検察側はそれを受けて、危険運転致死罪に訴因変更(起訴した罪名を変える手続き)をしたそうです。

危険運転致死罪と自動車運転過失致死罪の境目は微妙で、福岡の3児死亡事故で最高裁は危険運転致死罪の適用を認めたことは記憶に新しいと思います。それについては過去の記事を参照。

私だって、息子が酔っ払いのおっさんの車にひかれて死んだら、その運転を重罰に処してほしいと考えるでしょう。しかし、今回の経緯については、2つの疑問を禁じえません。

 

一つは、署名をした人たちが、どこまで本気であったのかということです。

前回、私は自分自身で考えた文書でない限り、自分の名前を署名する気にはなれないと書きました。それは、文書に署名するということは、その内容について責任を負うことを意味するからです。

今回、危険運転致死罪の重罰を積極的に適用せよ、という声明書に署名した人は、それが自分自身にはねかえってくる可能性についてきちんと考慮したのでしょうか。

危険運転致死罪は、酔っ払い運転でなくても、速度を上げた際や、車線変更をした際に事故を起こしたときにも適用される可能性があります(詳細は上記の過去の記事へ)。

自分自身がそういう状況で事故を起こしたとき、警察や検察から「あなたはかつて危険運転致死罪の適用を広く求める署名をしたではないか、だからあなたも重罰に処されても文句はないでしょ」と言われかねないことをしているわけなのですが、そこまでの覚悟をして署名した人が、果たしてどれだけいたのか。

 

もう一つは、検察が何罪で起訴するかという判断が、署名活動によって決められることへの疑問です。今回の訴因変更の理由は、署名活動がすべてではなかったと思いますが、それでも重要な要素の一つにはなったはずです。少なくとも世間はそうみたでしょう。

もちろん検察は、起訴するかどうか、どの条文を適用するかという判断において、被害者の感情を充分にくみ取ることが求められます。しかし今回の件で、署名活動は被害感情の表現の有力な手段となるという先例を作ったわけです。

私の知る限り、多くの被害者は「犯人は憎いけど、その裁きは検察官や裁判官に委ねて、裁判の動きを静かに見守ります」という態度を取ります。そういう方々に「私たちも署名活動をしなければ軽く扱われてしまうのか」という、不必要なプレッシャーを与えることになるのではないかと懸念します。

また、署名活動で検察の判断が変わるのなら、容疑者側の身内は「あいつは本当はいいやつだから罪は軽くしてやってくれ」という減刑嘆願の署名を集めることになり、署名合戦に発展するかも知れない。このようにして、署名の多い少ないで罪の軽重が決まるとなれば、誰でもおかしいと感じるでしょう。

 

私は、今回の事故は悪質だし、このケースでは危険運転致死罪の適用でも良いと思っています。しかし、今回のような運用を一般化するのは非常に疑問であると感じます。

募金と署名はお断りしています

もう何年も昔の話ですが、千日前を歩いていたら、小さい西洋人の女の子が寄ってきて、きれいなポストカードのようなものを手渡されました。私がそれを受け取ると、女の子はもう片方の手で募金箱らしきものを出して私の前に突きだしました。

私はその女の子に、「申し訳ないが私は趣旨のよくわからない募金には一切応じないことにしているのです」という旨のことを懇々と説いてあげたのですが、日本語だったのでさすがに理解しかねたようです。ただ「このおっさんカネ出さんな」ということは分かったらしく、私の手にあったポストカードを取りあげて去っていきました。

どういう人たちのどういう募金活動だったのか、今でもわかりませんが、かわいい金髪の女の子が寄ってきて、しかもポストカードまで受け取ってしまったら、断りにくい人も少なからずいるでしょう。

 

これはつい先日の話ですが、休日、自宅近くのスーパーに妻子とともに買い物に行き、スーパーを出たところで、やや年配の男性から、原発のナントカで署名をお願いします、と言われました。

このときも私は「いえ何であれ署名はお断りしていますので」と言って断りましたが、スーパーの周りには何人か、同じように署名用紙をもっている人々がいて、署名に応じている人もいました。家族連れで休日の買い物に来ていて、突然、複数の男性から署名を求められたら、これまた、断りにくいかも知れません。

たぶん、原発を止めよう、と考える方々が署名を集めているのだと思うのですが、私自身は原発でも、飛行機や車でも、科学技術には何らかのリスクを伴うものであり、多数の人の生活の利便性のためには、そのリスクとつき合っていかないといけないと考えています。少なくとも、多数の署名が集まったからといって「じゃあ原発は止めましょう」と言っていいような性質のものでもないと思います。

 

そういう議論はともかくとして、私は基本的に署名活動には応じないことにしています。たとえばこのブログは私の実名で公表していますが、そうである以上、大した内容ではないながら、文章は一字一句、私が考えています。もちろん、弁護士としての本業で文書を作成する場合でもそうです。

そうではなしに、突然、見も知らぬ他人に文書を見せられて、あなたの考えもこれと同じでしょ、だったらサインしてくださいね、と言われても、普通に考えて、そんなものにサインする気にはなれません。

 

かわいい金髪の女の子に迫られても、おじさん達に囲まれても、募金や署名は断れる程度の神経を持っていて良かったな、と私は思っています。

署名といえば、兵庫県加西市で酒酔い運転で子供2人を死なせた男性が、署名運動の結果(かどうか分かりませんが)、自動車運転過失致死罪から、より重罰の危険運転致死罪での起訴に変更されたという記事があったので、それを書こうとしていたのです。今回は完全に雑談で終わってしまいましたが、次回に続く。