強制起訴 初の無罪判決を受けて 2

検察審査会の議決を受けて起訴された事件が、無罪となりました。

これを受けての感想は、ごく大ざっぱに言えば、二種類に分かれると思われます。

1つは、やはりプロの検察が起訴できないと考えた事件を、素人の集団が多数決で決めれば起訴できるというのはおかしい、という考え方。もう一つは、これでいいんだ、検察がうやむやにしようとした事件を、裁判で白黒明確にできたのだから、無罪判決ならそれで構わないんだ、という考え方です。

 

後者の考え方は、戦後の刑事訴訟法の有力な学説とも一致します。

起訴すれば必ず有罪にならないといけない、と考えること自体がおかしい。だから無理な自白を得ようとしたりして、警察・検察で厳しい取調べが横行してしまう。捜査はごくあっさり片づけて、白黒つけるのは裁判所に任せればよいのだ、という考え方です。

 

しかし、その考え方は、弁護士など法律家なら理屈としては分かるとしても、多くの人々の実感からはずいぶん離れているのではないかと思います。

起訴された人にとっては、その後に長く続く刑事裁判を受けることになり、公開法廷で裁かれるという立場に甘んじなければならなくなる。

公務員や企業にはたいてい、起訴休職という制度があり、起訴されただけで、もう職場に出てはいけないことになる。最近では郵便不正事件で無罪判決を受けた厚労省の村木局長が長らく休職させられました。

 

それに何より、マスコミや世論が、逮捕されたり起訴されたりするだけで、その人を犯人扱いするかのような報道をすることは日常茶飯事です。

検察審査会はどんどん起訴議決をすればよい、その上で裁判で白黒つければよい、と考えるのであれば、まずそこを変える必要があると思います。

たとえば、逮捕されたり起訴されたりした人を、容疑者とか被告人とか呼ぶのをやめるべきだと思います。スマップの稲垣メンバーと民主党の小沢元代表に限らず、被害者も加害者も「さん」づけで報道すべきことになります。

役所や企業の起訴休職制度も即刻廃止されるべきことになります。

このようにして、有罪判決が確定するまでは、その人は「無罪」と推定されるべきである、という感覚を、弁護士だけでなく、世間一般が通有すべきことになります。

 

しかし、偉そうなことを言って恐縮ですが、世間一般が刑事事件を見る目というものは、まだそこまで成熟していないと思います。

起訴されれば世間の目もほとんど犯人扱いになる。起訴された被告人も心身ともに大きな負担を受ける。検察は、起訴という行為がもたらすそのような効果をよくわかっていたからこそ、慎重になり、有罪確実といえる状況でない限りは不起訴としてきたのです。

検察審査会の議決による強制起訴という制度が、今後も承認されていくのか、それは刑事事件を見る目がどれだけ冷静で成熟したものになりうるかにかかっていると思います。そこが変わらないのなら、将来、強制起訴という制度自体を考え直すべきことになるでしょう。

強制起訴 初の無罪判決を受けて 1

強制起訴事件で無罪判決が出ました(那覇地裁、14日)。

 

強制起訴とは、簡単におさらいすると、検察が起訴しなかった事件に対し、検察審査会が起訴すべきだと決議すると、検察はその事件を起訴して刑事裁判に持ち込まないといけなくなるという制度です。

検察審査会は国民から選ばれる審査員で構成され、かつてその決議には法的な拘束力はなかったのですが、近年の法改正で制度が変わりました。

検察が起訴するつもりのない事件でも、強制的に起訴させられるから強制起訴というのだと思うのですが、あくまでマスコミ用語で、法律上はそんな用語はありません。

 

これも以前に述べましたが、起訴するしないを、検察審査会の多数決で決めるということに、私としては疑問を感じなくもありません。もっとも、この制度に意義があるとすれば、グレーゾーンの部分にある事件について、裁判所の判断を仰ぐことができる、ということにあるでしょう。

たとえば、裁判所は、90%くらいの確実さで「こいつが犯人だ」と思えば有罪判決を出すとしたら、検察はやや慎重に、95%くらいの確実さがないと、起訴しないかも知れない。無罪判決というのは、少なくともこれまでの考え方からすれば、検察側の「失態」であるからです。

ですから、これまで、90~95%のところにある事件は、裁判に持ち込めば有罪にできるけど、検察が慎重になって起訴せず、不起訴でうやむやになってしまう、ということもあったと思います。それを起訴に持ち込んで、有罪とはっきりさせるという意義はある。

 

しかし一方で、容疑の度合いが89%以下の事件であったらどうか。これは裁判に持ち込んでも有罪にはなりません。それでも検察審査会が起訴すべきだと決議すれば刑事裁判になる。そして無罪判決が出る。今回の事件がまさにそういうものでした。

 

ちなみに事件の内容は、会社の未公開株を買えば将来確実に値段があがるからと言われて株を買って損をしたという、詐欺事件でした。

詐欺が成立するには、犯人が最初から騙すつもりだった(価値のない株であると知ってて売った)ことを立証する必要があります。だから、「結果的に株価は上がりませんでしたが、最初は会社の業績もよく、株価は上がると思っていました」と言われると、「騙すつもり」だったことの証明ができず、無罪にならざるをえない。

この手の事件は、もともと、有罪に持ち込むのが難しい部類に入ると思われます。

 

今回の無罪判決を受けて思うところについては、次回に続く。