性同一性障害と戸籍、そして親子 2(完)

前回の続き。

特例法に基づいて男性になった元女性(A)と、その妻の女性(B)が産んだ子(C)の間に、戸籍上の父と子の関係を認めると、最高裁は判断しました。その法律解釈については、前回書いたとおりです。

私の考えとしては、結論としては肯定的に捉えています。積極的な賛成ではなく、最高裁がそう言うんならそれでもいいか、という程度の肯定ですが。

 

たしかに、最初に聞いたときは、私も違和感を覚えました。Bの卵子と第三者の精子から産まれた子が、ABの子として戸籍に記載されるというわけですから。そんな事態は、民法が制定された戦後すぐのころには想定されていなかったでしょう。

しかし、戸籍というのは、「しょせんその程度のもの」なのです。社会の中で、誰と誰が家族・親子であるかということを公的に明らかにするための行政文書に過ぎない。

かつては、血縁(遺伝子)が実の親子関係を決める唯一の手がかりでしたが、今やそれが多様化した。平成15年に戸籍上の性別の変更を認める特例法ができたことは、家族というものの多様化を、わが国の法律が承認したことを意味する。「家族観」は人それぞれだけど、特例法が存在する以上、条文の解釈としてはそう読まざるをえない。

 

さらに突きつめると、戸籍上、子供の父親であるということ自体に、さして重大な意味があるわけではありません。

戸籍上の親子関係があるということの最も大きな意味は、親が死んだときに子供に相続権があるということでしょう。しかし実際には、嫡出子であれ私生児であれ、父親が「この子に私の財産をやる」と遺言を残せば良いわけですから、相続の上で戸籍は決定的な要素ではない。

あとは、戸籍上の親は親権を持ち、子供の住居所を指定できるとか(民法821条)、子供が商売するときに許可を与えることができる(民法6条)といったこともありますが、いまどき未成年の子供が親元を離れて丁稚奉公したり商売を始めたりすることも、まずないでしょう。

あと、親は未成年の子供が勝手に結んだ契約を取り消すことができるので(民法5条)、たとえば子供が勝手にアダルトサイトの利用契約を結んだ場合に取り消せますが、これは別に父親でなくても、母親がしてもよい。

 

このように、戸籍上の父親であるということに、取り立てて大きな意味はないのです。

父と子の絆の意味は、法律の条文や戸籍の紙切れとは別のところに存在するのです。子供にとって父親たるにふさわしい存在であるかどうかは、それぞれの父親の問題であって、その点は、血のつながった親子であれ、養子であれ、今回みたいな元女性の子であれ、変わるところはありません。

今回の最高裁の判断は、親子のあり方、特に親の値打ちはそれぞれの家族が決めることであって、裁判所としては法律に特定の価値観を持ち込まず、条文どおりあっさり適用します、と言わんとしているのであって、それはそれで一つの解釈であろうと考えています。