「キモい」発言と名誉毀損の成否について

お盆休みの気分をやや引きずって、どうでもいいような事件について書きます。

山本景という、大阪府交野市選出の府議(維新の会所属)の話題です。みなさんご存じでしょうけど、山本府議が女子中学生からLINEを通じて「キモい」と言われ腹を立てて恫喝的なメールを送り、テレビで「こいつキモい」と批判したコメンテーターに噛みついているそうで、お盆のヒマな時期のニュースとしては恰好の話題でした。

山本府議は、この一件をマスコミに公開した一部報道機関と、「キモい」と発言したテリー伊藤について、BPO(放送倫理・番組向上機構)に対し、名誉毀損にあたるなどとして人権救済申立てをしたそうです。

 

BPOのことはよく知らないので、ひとまず、刑法上の意味において、テリー伊藤の発言が山本府議に対する名誉毀損になるかについて書きます。

名誉毀損とは、具体的事実を指摘して他人の名誉をおとしめる行為を言います。前回、まんだらけの記事で、窃盗犯であってもその事実をさらす行為は名誉毀損になると指摘しましたが、同様に「女子中学生にLINEで無視されて逆ギレしている」などという事実は、誰に聞かれても恥ずかしい(つまりその人の名誉をおとしめる)ということで、いちおう名誉毀損にあたります(刑法230条、3年以下の懲役または50万円以下の罰金)。

 

しかし、そうした言動が、公の利害に関することであって、真実である(またはそう信じるに足る証拠がある)場合は、罪になりません(刑法230条の2)。「真実性の証明」と言われるもので、正当な報道その他の言論・表現活動を守るための特則です。

山本府議の一件は、「こんな人が府議やってていいの?」という公の利害に関わることだし、LINEのやり取りはほぼ事実のようなので、「真実性の証明」は成立するでしょう。

(なお、まんだらけの一件は、盗品のフィギュアを返してほしいという個人的な利益に関することなので、真実性の証明は成立しません)

 

では「キモい」という発言はどうか。

キモいという表現は、「具体的事実」とはいえません。具体的でないけど人をおとしめる発言は、侮辱罪にあたります(刑法231条、30日未満の拘留または1万円未満の過料)。

侮辱罪には、真実性の証明による免責はありません。「キモい」かどうかは多分に個々人の主観によるものなので、真実と証明するのが困難だからです。いや、「見たらわかるじゃないか」という方もいるかも知れませんが、それは法的な議論でなくなってきますので。

ですので、テリー伊藤の発言は、侮辱罪にあたるといえる。とはいえ実際には、その程度で警察に告訴したとしても、取り合わないとは思いますが。

(ただ個人的には、いい歳した大人が、女子中学生の発言を受けてであれ「キモい」などとテレビで発言するのは、下品であるのは間違いなく、こういう人がコメンテーターとしてエラそうにしているから、日本人の言葉がどんどんおかしくなるのだと思います。)

 

一方で山本府議ですが、自身の一連の行為について「大人げなかったと思う」などと言って丸刈りになって謝罪しましたが、それで済む問題ではありません。

女子中学生に大人が、それも権力者である府会議員が「ただでは済まさない」などとメールしたのだから、脅迫罪にあたるでしょう(刑法222条、2年以下の懲役または30万円以下の罰金)。

だから、山本府議がテリー伊藤に対し、侮辱的言動についての何らかの責任を問うのであれば、山本府議自身、脅迫についての責任を負わねばなりません。

 

以上、私は山本府議もテリー伊藤も、どっちも見た感じ好きではないので、公平に論じたつもりです。

弁護士の「負け方」を考える

誰だったか、プロ棋士のエッセイで読んだことがあるのですが、プロは負けるとわかったら、あとは「きれいな負け方」をするような手を指してから投了するのだそうです。

たしかに、プロの将棋の試合は、棋譜がずっと残されるし、投了図(勝負がついたときの盤面)は新聞や雑誌の観戦記事に掲載される。あまりに無様な負け方はできないということです。

 

どんな勝負ごとにも、負けるときの作法みたいなものがあると思います。

弁護士なら、裁判がある程度すすんでくれば、この事件は「勝ち筋」か「負け筋」か、だいたいわかります。負けが見えてきたら、弁護士の取るべき態度としては次の3種類が考えられます。

最も望ましいのは、当然ながら、主張や証拠を補足して、何とか逆転勝訴に持っていくことです。

それが無理なら、争う姿勢だけは示しておいて、一方で相手と話しあいを進め、和解に持ち込むことです。

この2つが不可能であれば、あとは、必要な主張はすべてしたということが、依頼者にも裁判官にも相手の弁護士にもわかる程度に手を尽くした上で、敗訴の判決を聞くことになります。これが弁護士なりの「きれいな負け方」ということになります。

 

しかし、これら3つのどの方針を取るにしても、依頼者の協力は必須条件です。弁護士の口先だけで裁判の流れが変わるものではないので、主張を尽くすにも話しあいをするにも、依頼者の理解と協力がなくてはできません。

残念ながら、そこが理解いただけていないことが、しばしばあります。特に、最初は裁判に乗り気だったけど、敗色濃厚となるにつれて、打合せにも来ない、必要な資料も用意してくれない、電話しても出ない、という態度を取る方が、たまにいます。

そうなると弁護士は法廷で「依頼者と連絡が取れないため、今回は何も主張の準備ができてません」と言わざるをえなくなります。そんな状態が続くと、それ以上争う意思なしと見なされて、そのまま敗訴となるでしょう。プロとしてはかなり恥ずかしい負け方です。

 

恥ずかしい負け方といえば、最近の報道で、民主党の横峯議員が、週刊新潮の「賭けゴルフ」の記事が事実無根で名誉毀損だと訴えていた事件で、自ら「請求放棄」した、というのがありました。

請求放棄とは、簡単にいうと、裁判を起こした当の原告が、私の請求はすべて間違いでしたとして、負けを認めるものです。

昨年5月にも、旧ブログで、民主党の山岡議員の請求放棄に関して書きました。請求放棄についてはこちらをあわせてご参照ください。

これなど、弁護士としては最も恥ずかしい負け方でしょう。もちろん、請求放棄するのはあくまで原告である横峯議員や山岡議員の意思ではあります。しかし弁護士なら、裁判を起こす前の段階で、最後まで争っていけるだけの材料があるかどうか確認していなかった、つまり見通しが甘かった、と言われても仕方ないのです。

 

負けるときにはきれいに負けたい、そのためにも依頼者と強固な信頼関係を結ぶ必要がある、請求放棄の記事を見て、自戒を込めてそう思った次第です。

橋下知事の名誉毀損訴訟――逆転勝訴の意味

最近、更新頻度が落ちつつありますが、今回は橋下知事の名誉毀損事件の逆転勝訴判決についてです。

おおよその経緯は皆さんご存じだと思いますが、平成19年、知事になる前の橋下弁護士が、テレビで、光市母子殺害事件の被告人の弁護団に対する懲戒請求を呼びかけ、弁護士会に懲戒請求が殺到した。その弁護団の弁護士が橋下氏を訴えたという事件です。

平成20年10月、1審・広島地裁は、弁護団に対する名誉毀損と、不法行為の成立を認めた。前者は、弁護団への誹謗中傷により、各弁護士の名誉をおとしめたということで、後者は、懲戒請求への対処などにより業務に支障が生じた、ということです。

私は、この判決が出た直後、旧ブログにて、名誉毀損の成立は少し疑問に思う、と書きました(こちら
)。
 

憲法は弁護士に被告人の弁護をするよう定めており、それに沿って堂々弁護活動すればよく、その弁護士の名誉が橋下氏の発言で傷つくわけでもなかろう、ということです。もちろん、そうした弁護活動の必要性を理解しない人も多くいますが、それは元々そうなのであって、橋下氏の発言で新たに名誉が毀損されるわけではない、と思いました。

2審の広島高裁は、私の見解に従って(というわけではないでしょうが)、名誉毀損の成立は否定し、不法行為のみを認めました。
そして7月15日の最高裁判決は、不法行為の成立も否定し、弁護団側の請求をすべて棄却して、橋下氏の全面勝訴となった。

新聞等を読む限り、理由はいろいろ書かれています。
橋下氏の発言は不適切であるが、弁護士に対する懲戒請求という制度がある以上、その利用は広く認められるべきで、各弁護士がそれに対応すべきことも当然である。弁護活動は重要だが、弁護士はそれに理解を得るよう努力することも求められている。等々。

ただ、これらの理由はあくまで「傍論」であり、直接的な理由は、「弁護士業務に重大な支障は生じていない」ということのようです。

懲戒請求をされた弁護団の各弁護士は、それに対する答弁書を弁護士会に提出するなど、それなりの対応を求められたはずですが、実際にどれくらいの負担が生じたのかは、記事にも出てないので、よくわかりません。ただ最高裁は「受忍限度」(ガマンしてやるべき限度)の範囲内だった、と言っています。

次回にもう少し続く。

八百長裁判は間違っていたのか

大相撲の八百長問題がふたたび世間をにぎわせています。



以前、「週刊現代」の八百長報道に対し、裁判所が出版元の講談社に対し、相撲協会への4000万円超の賠償を命じました。今や講談社側は「それ見たことか」と思っているはずで、実際、相撲協会に対して逆に賠償を求める動きもあると、ネットニュースで見ました。

では、講談社に賠償を命じた判決は間違っていたのか、ということについて触れます。

まず、他人の名誉を害するようなことを言ったり書いたりすると、名誉毀損となり、刑法上も犯罪になるし、民事上も賠償問題になる。その事柄が、真実かウソかは、ひとまず問題ではない。

これまで世間は、大相撲に八百長はないと信じていたわけです。「昔から八百長は当然行われていた」と、知ったふうなことを言う人がいますが、少なくとも大半の人はそう信じていなかったからこそ、相撲の試合を熱心に観戦してきたのです。
そういう状況下で「大相撲は八百長だ」と公言すると、これは名誉毀損となると言ってよいでしょう。

ただ、報道する側にも、表現の自由、報道の自由があるし、むしろ、世の中に不正義があるのなら、それを暴くという役割も期待されている。

そこで、その報道内容が、①公共的なことがらであり、②公益を目的とした報道であり、かつ、③真実と認めることが相当だ、と思われることであれば、相手の名誉よりも報道の自由のほうを表現し、法的責任を問わないこととされています。

細かい議論は省きますが、相撲協会は公益を目的とした財団法人であり、そのため税金が安いなどの特権を得ていますので、①と②は認めてよい。

③は、きちんと調査して、相当な証拠や根拠も揃っていて、「そこまでの資料があるのなら、週刊誌側が八百長の存在を信じたとしても当然だろう」といえる状態だったのなら、その要件を満たします。

今回、八百長のやり口を具体的に相談するようなメールのやり取りの存在が、警視庁によって明らかにされました。これは、野球賭博の捜査のために力士から押収した携帯電話を調べて得た証拠のようです。
(警察が、野球賭博の捜査とは関係のない八百長の資料まで大っぴらにする権限があるのか、という点は疑問ですが、それはいずれ検討するとします)

出版社には、さすがにそこまで調べるほどの能力も権限もなく、ここまで決定的な証拠はない状態で、八百長報道をしたわけです。

もちろん、関係者からの聴き取りや裏付けなど、それなりの取材はしたでしょう。しかし、個人のブログとかではなく、大量の発行部数と読者を持つ週刊誌が報
道する以上は、相当に強力な根拠を持つことが求められるというべきで、例えば「有力な情報筋から聞いた」というだけでは、「八百長の存在を信じたとしても
当然だ」とまでは言えないでしょう。

講談社に賠償を命じた判決の趣旨は、その時点では確実とまではいえない程度の資料に基づいて八百長報道をしてしまったという点に違法性が認められたのであって、その判断は間違っていないというのが、私の個人的な理解です。