音楽と嘘と法的責任 1

出遅れた感じがしますが、佐村河内守さんのことについて触れます。

といっても、私自身はこの方をほとんど知りませんでした。この人のCDを一度だけ聴いたことがあって、それは、私の行きつけの堀江かいわいのバーで、音楽好きのマスターが「耳の聞こえない日本人の音楽家ということで注目を集めているそうです」と言って、交響曲ヒロシマだったか何かを流してくれたのです。

私自身は、ピンとこないと言いますか、日本人の音楽家ならまだ喜多郎の「シルクロード」(「笑い飯」が奈良県立民族博物館の漫才で「ぱぱぱーぱぱー」と口で言ってるあの音楽です)のほうが、ずいぶんいいと思いました。

 

その音楽が、そもそも佐村河内さんの作曲ではなく、ゴーストライター(新垣さん)が作った曲だったということで大騒ぎになっていますが、このことに関して私の感想を述べます。

 

もともと、音楽や芸能の世界では、その宣伝に、ある程度の誇張や虚偽は頻繁に含まれています。

全く話が変わりますが、1970年代にブルース・リーの映画がヒットしたとき、アメリカのジョー・ルイスという空手家が主人公を演じた「ジャガーNo1」という映画が作られ、この映画のキャッチコピーとして、ジョー・ルイスは「ブルース・リーをノックアウトした男」と紹介されていました。

ジョー・ルイスがブルース・リーと戦ってノックアウトしたという事実はなく、このキャッチコピーは明らかに虚偽なのですが、これが問題になることはありませんでした。

その理由は、この映画が全くヒットしなかったこともありますが、当時そのキャッチコピーを真に受ける人がほとんどいなかったためです。

もし、誰かがこのキャッチコピーを真に受けて「映画を観たけどジョー・ルイスがぜんぜん強そうじゃなかった、カネ返せ」と言ったら通るかといえば、それは無理でしょう。

ブルース・リーをノックアウトしたかどうかは、映画の「サイドストーリー」でしかなく、その部分に多少のウソがあっても、映画の価値自体は変わらない、ということです。

 

佐村河内さんの「耳が聞こえないのに自分で交響曲を作曲した」というウソも、それと同じレベルの話であると、当初は感じました。

それで憤っている人がいたとしたら「あんなパッとしない音楽に、耳が聞こえないって触れこみだけで乗ってしまうのがおかしい」というのが、正直なところ、私の第一印象でした。

ただ、佐村河内さんは、多くの人が同情を寄せてしまいやすい、感動させられてしまいやすい部分に対して、それとわかって意図的にウソをついているあたりが、やはり悪質なのだろうなと、今は感じています。

この「ウソ」についていかなる法的責任が発生するかは、次回に述べます。