「豊かな言葉」について弁護士が考えたこと 1

ここしばらくの謎が解けた思いです。「弁護士 話し方」という検索ワードが急増した件について、小学校の先生からコメントをいただきました。5年生の国語の授業で、「豊かな言葉の使い手になるためには」という単元をやっているのだそうです。

学校の先生の予習のためとか、児童の調べ物として、検索されることが多いのでしょう。小学生の目に触れることもあるのだとしたら、以下そのつもりで、文章をやや易しくして書きます…。

 

「言葉」を学ぶためにこのブログを見てくださっている皆さん、こんにちは。

「豊かな言葉」ということを学校で勉強されているそうですが、私たち弁護士は、どちらかというと、「訴えますよ」などといった、殺伐(さつばつ)とした言葉を使うことが多いので、参考になることは少ないと思います。

ですので、ここは私が、昔、言葉について考えたことを、少しお話ししたいと思います。

 

私は中学生のころ、クラスで図書係をやっていて、図書室でよく、プラトンという大昔のアテナイ(いまのギリシアの首都のアテネにあたります)の哲学者が書いた本を読んでいました。ちなみにどうしてそんな本を読もうと思ったかというと、何となくカッコいいと思ったからです。

それはともかく、プラトンの著作の中でも一番好きだったのは、「ソクラテスの弁明」です。

 

ソクラテスは、プラトンのお師匠さまにあたる、えらい哲学者です。この人がどういうふうに毎日をすごしていたかというと、アテナイの街をうろうろしながら、当時「ソフィスト」と呼ばれた知識人をつかまえては議論をし、その人たちを言い負かしていたそうです。

ふつうに考えて、イヤな人ですよね。私も、バーや居酒屋で飲んでてソクラテスが隣に座ってたら、決して話しかけてほしくないと思います。

でもソクラテスとしては、本当の「知」とは何かを追い求めていて、うわっつらだけの知識でいい気になっている人たちの目を覚ましてやりたいと思っていたのでしょう。

 

しかし、ソフィストたちは面白くありません。そこで誰かが「ソクラテスは街で若い人をつかまえては邪教(悪魔の教え)を吹き込んでいる」と、アテナイの裁判所に訴えた。

邪教を教えた人の罰は、よくて国外追放、最悪の場合は死刑です。

その裁判の終わりにソクラテスは、自分の処分はどれくらいが良いと思うか、発言の機会を与えられました。このときソクラテスがひとこと「すんません、せめて国外追放くらいにしといてください」とでも言えば、それで収まったでしょう。ソクラテスに対し同情を寄せる人もいたからです。

しかしソクラテスはこう言いました。「私は本当の『知』を得ようとして、世の中の若者のためになることをやった。だから私にふさわしい処分は、迎賓館(げいひんかん、VIPルームみたいなものです)で豪華な食事をすることだ」と。それで裁判を見に来ていた人はみんな、ソクラテスはけしからんと考えてしまい、死刑の評決となりました。

ここのところは、現代の私たちでも理解できると思います。重い犯罪をしたと疑われて裁判にかけられ、死刑か無期懲役かのせとぎわにある被告人が、泣いて反省するのではなく、「俺、ええことしたんやから、銀座のすし屋で特上にぎり1人前とお酒を出してや」などと言ったら、誰だって、「こいつは死刑でいい」と思うでしょう。

かくて、ソクラテスには死刑判決が下りました。

 

相手に対して発した言葉、相手に良かれと思って言った言葉が、時として、このような結末をもたらすことがあります。

次回につづくので、宿題の提出に間にあいそうなら、また見に来てください。

弁護士が教える「相手を説得する魔法の言葉」

安っぽいハウツー本みたいなタイトルですが、ここ何回かお読み下さった方には「また看板倒れのタイトルだな」とお察しのことと思います。その通りです。このシリーズはこれで最後にしますのでお付き合いください。「弁護士の説得させる言葉」という検索ワードも結構見られるので、それについて少々。

もちろん、ドラクエの呪文でもあるまいし、こういう場面でこう言えば問題が解決する、などという便利な言葉はありません。これは私個人の考えですが、そもそも人は言葉で動くものではないと思っています。


それで思いだすのは、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」の一節です。薩摩藩と長州藩を同盟させ、倒幕の原動力を作ったのが土佐藩の坂本龍馬と言われているわけですが、当時、犬猿の仲だった2つの藩の手を握らせた決定的な一言は、坂本龍馬が西郷隆盛に言った「長州が、かわいそうではないか!」であったとのことです。

史実かどうかは知りませんが、これで薩長同盟が成立しました。もちろん、その時代背景や、同盟を組むことの利害得失、龍馬と西郷さんの信頼関係など、いろんな要素が前提としてあって、最後にこの一言で西郷さんを動かしたわけです。それらを抜きにして、口先だけで西郷さんや長州の木戸孝允をいくら口説いたって、同盟は成立しなかったでしょう。

たとえば、誰かが高嶋政伸に対して「美元が、かわいそうではないか!」と言ったところで、この2人が仲のよい夫婦に戻るとは思えません。口だけでは人を動かせないのです。

 

私の浅い経験の中から一つだけ紹介します。

それも泥沼的な離婚裁判で、私は奥さん側の代理人でした。もちろん詳細は書けませんが、長い調停と裁判を経て、ようやく裁判上の和解により離婚条件がまとまりかけました。私は奥さん側の意向を踏まえて、考えうる最高に近い和解案にしましたが、一点だけ、ある財産の所有権をめぐって夫婦が合意できなかった。

裁判を続けていけばその財産を取れないことはないと思いましたが、私には、そこまでこだわる合理性があるとは思えませんでした。

裁判所で当事者が熱くなっているのを、双方の弁護士が割って入り、私はちょっと離れたところでその奥さんの目を見て言いました。「もう、これくらいでいいんじゃないですか」と。奥さんは大きく息を吐いたあと、「わかりました」とのみ言い、離婚条件がまとまりました。

最後、私の一言でまとまったわけですが、それには当然、私がそれまでがんばって奥さん側の意向を離婚条件に反映させてきたこと、そのため奥さんが私を信頼してくれていたこと、長々と離婚裁判を続けることの非合理性を理解する聡明さがその奥さんにあったことなど、いろんな前提条件があります。

それなくして、依頼者にいきなり「これくらいでいいじゃないですか」と言ったら、誰だって弁護士が手抜きしていると思うでしょう。

 

このように、相手を説得させた言葉のみを色々拾い集めてみたところで、それ自体に意味はないのです。

前提であるところの、目の前にいる相手(弁護士の場合は依頼者)のために努力すること、そしてその相手から信頼を得ること、素養(弁護士なら法律知識)を広く持つよう心掛けて、この人が言うなら間違いないだろうと相手に思わしめること、それが肝心なのだと思います。

弁護士の説得の仕方 2

「弁護士の説得の仕方」ということで、引き続き書きます。

私の結論は前回書いたとおりです。弁護士は証拠によって事実を明らかにし、それによって自身の立場の正当性を主張するのであって、それを抜きにして口先だけ、物の言い方だけで事件を解決することはない、ということです。

すでにこのブログやホームページで度々書いたのですが、それでもやはり、「相手を説得してほしい」という相談や依頼は多いです。

前回書いた立退き料のほか、契約上のトラブルとか交通事故とかの際の損害賠償や、離婚や不倫の慰謝料など、金額が問題となる場面で弁護士に頼めば「相手とうまく交渉してくれる」と思う人は多いのでしょう。

 

では、そういう依頼に際して弁護士はどう動くか。前回、刑事事件を例に書きましたが、今回は交通事故を例にあげてみます。

交通事故の被害者からの依頼で、賠償問題を交渉することになれば、弁護士としてはまず、どういう状況で事故が起こったのか、どれだけのケガを負ったのかということを、証拠(警察の実況見分調書とか、医師のカルテなど)によって確認します。

あとは被害者のケガに応じて、賠償額の算定基準というものがあるので、それに当てはめて計算し、加害者(またはその保険会社や、その代理人の弁護士)に提示します。

仮に、基準をあてはめてみたら、400~500万円くらいの賠償金が取れそうだというときに、被害者側の代理人は基準の範囲内で目いっぱいのところ、つまり500万円くらいを請求することが多いです。

加害者にも弁護士がついたら、弁護士同士、裁判になったら賠償基準に照らしてどれくらいの判決が出るか予想がつくので、加害者側としては、基準の範囲内で下のほう、つまり400万円くらいで交渉してくるでしょう。

では、400万か500万か、どうやって決めるかというと、「口のうまいほうが勝つ」わけではありません。双方の当事者の落ち度やケガの度合いなどの事実関係について、証拠に照らして、有利な材料をどれだけ出せるかで決まります。

 

弁護士の交渉のやり方として、特に最近、誤解されているなあと感じるのは、弁護士は「とにかく最初は大きくふっかける」と思われている点です。橋下弁護士が知事になり市長になって、政策決定過程でそのような手法を用いたことから、それが弁護士一般のやり方みたいに思われているフシはあります。

私が依頼者に、予想される賠償額はこれくらいだと伝えると、その2倍くらいでふっかけてください、という人も多いですが、それは政治家やヤクザならともかく、弁護士の交渉のやり方ではありません。多めに請求するとしても上記のように基準に照らして限度があります。

基準に照らして400万~500万くらいが落としどころであるケースで、被害者側の弁護士がいきなり「1000万円払え」と言ったとしたら、加害者側の弁護士は、冷静に話し合う意思がないとみて、「だったら裁判でも何でもどうぞ」と交渉を打ち切るでしょう。

それで裁判をやったところで、証拠も何もないのに1000万円の賠償が認められることなどありえない。弁護士間の交渉でふっかけても放置され自滅するだけなのです。

 

当ブログへの検索ワードを見ていて、どんな話し方をし、どんな言葉を使えば交渉や説得で有利になるのか、という情報を求めている方が多いのだなという印象を受けましたが、弁護士としては、交渉の材料(つまり自分側に有利な事実や証拠)がどれだけ出せるかがすべてであるということを、重ねてお伝えしたいと思います。

弁護士の説得の仕方

「弁護士 話し方」という検索ワードで当ブログに来られる方が多いので、あざといようですが前回、「弁護士の話し方」というタイトルの記事を書いたら、アクセス数がずいぶん伸びました。さらにあざとく「弁護士の説得の仕方」ということで書いてみます。

このテーマ、けっこう誤解されている方も多いのですが、弁護士の話し方に特殊な方法がないのと同様、説得の仕方についても、弁護士に特段のスキルやテクニックがあるわけではありません。

 

私の過去の経験で雑多に書いてみます。私が弁護士になった当初、上坂明弁護士のもとでイソ弁(雇われ弁護士)をやっていたころの、ある相談者の話です。

大先生が出るまでもないということで私が担当しましたが、見るからにチンピラのような風貌の人で、相談内容は、借家の立退きにからんで立退き料がほしい、といったことでした。

事案からして、立退き料はゼロか、よくてせいぜい100万円くらいと私は考えたのですが、チンピラがいうには「最低でも500万円は取ってほしい」と。私が「それは明らかに無理ですよ」と答えると、チンピラは「上坂先生は殺人罪を無罪にしたことがあるんでしょう? それを見こんで来たんですよ」と言いました。

 

たしかに上坂先生は、過去に2、3件ほど、殺人罪で起訴された被告人を無罪にしたことがあります。このチンピラはたぶん、上坂先生が、検事や裁判官を言い負かしたり、被害者の遺族を恫喝したりして、黒を白と言いくるめたとでも理解しているのでしょう。それなら、ゼロ円の立退き料を500万円にすることはわけもないと。

ヤクザならともかく、弁護士はもちろん、そのような解決方法を取りません。上坂先生がどのようにして無罪を取ったかというと、例えば以下のような話を聞いています。

ある被告人が、夜間、A地点で被害者を殺害し、B地点まで運んで遺棄したと疑われている。上坂先生は、知り合いの弁護士に「死体」の役を頼んで、同じ場所で同じ時間に、それを再現してみたわけです。結果、A地点とB地点の間の距離や地形からして、被告人が遺体を運ぶのは物理的にほぼ不可能であることがわかった。そうしたあたりから、検察側の主張を突き崩していったとのことです。

弁護士はこのように、事実と異なる主張に対し、それはおかしいでしょうという証拠を出すことによって、自らの主張の正当性を明らかにしていくわけです。事実や証拠を抜きにして、口先だけで相手を丸めこむようなことはしません。

 

ちなみに、上記のチンピラですが、私がこのことを話しても理解しませんでした。

「だったら他の弁護士を探してください」と私はイソ弁の分際で言いましたが、温厚な上坂先生の意向もあって、引き続き私がその人の訴訟を担当することになりました。結果としては、調停やら裁判やらの末に、相手の譲歩もあり、100万円くらいの立退き料を払ってもらい、それでチンピラも満足しました。

言って分からない人には、「ではあなたの言うとおりにやってみましょう」ということで長い裁判をして、その人が疲れてきたころに「このへんで手を打っときませんか」と当初予定のとおりに話をまとめる。これは私がたまに使うやり方です。「説得の仕方」といえるかどうかはわかりません。

弁護士の話し方

ここ最近、当事務所のホームページに、「弁護士 話し方」という検索キーワードで来られる方がたいへん多いです。

管理者用ページの情報によると、9月に入ってから今日まで、「弁護士 話し方」「弁護士の話し方」の検索ワードで計82件のアクセスがありました。また、「弁護士 話し方 気をつけていること」で20件、「弁護士 説得」「弁護士 説得の仕方」で計20件のアクセスがありました。

これで検索すると、当事務所の(旧)ホームページに私が約6年前に書いたコラムが出てくるみたいです。今でも見れますので興味のある方はどうぞ。

 

ついでに、全く関係ないですが、「難波 ゲイバー シカゴ」で5件くらいのアクセスがあります。これは私が9年前に若気のいたりで書いた、難波のゲイバーのママ(?)を紹介したコラムです。今となっては恥ずかしい内容なので人目につかないところに格納したつもりが、検索すると出てくるようです。

 

横道にそれましたが、なぜ「弁護士 話し方」という検索が増えているのか私にはわかりません。もしこの検索ワードで当ブログ記事に行きあたった方は、どういう情報を求めて検索されたのか、よろしければコメント、メールなど寄せてください(従来より、ブログネタのリクエストを歓迎しております)。

 

ひとまず、弁護士の話し方、説得の仕方や、その際に気をつけていることなどについて情報を求める方が多いようですので、簡単に書きます。

かといって、我々の業界内に特殊な秘伝があるわけではありません。

私が弁護士になりたてのころから意識してきたのは、当たり前のことですが、「相手の話をよく聞く」「一般の人が聞いてわからないような専門用語は使わない」「尊大にならない」ということです。これはどういう分野の人にでも求められることだと思います。

ただ、弁護士として12年やってきた今は、これも程度の問題であると思っています。

依頼者の話をよく聞くと言っても、全然関係のないことばかり話す人もいて、それをずっと聞いているのは互いに時間の無駄になるし、肝心なことが聞けないままに相談が終わってしまいかねない。

専門用語はつかわずに、尊大にならずに、と言っても、場合によっては、小難しい話も交えて上から「こうだ」と言ってやらないと納得しない人もいる。

結局、相談に来た人はどういう情報を求めているのか、そしてそれをどういう言い方で伝えれば納得をするのか、それを相手の顔を見ながら決めている、という部分も多いにあります。

 

また横道にそれますが、上記のゲイバーのママは、たぶん客の顔を見て、お酒を飲みたいのか、映画や音楽の話がしたいのか(ママは古い映画に詳しい)、ゲイの世界の濃い話が聞きたいのか、判断しているのだと思います。

人と接する仕事であるという点では、弁護士もゲイバーのママも同じであり、そこに決まった方法論やマニュアルがあるわけではありません。

余力があれば、次回は「弁護士の説得の仕方」について書きます。

国会のゴタゴタとハマコーの死についての雑感

今回も雑談みたいな話で恐縮ですが、消費増税に向けた民自公の三党合意がゴタゴタしてきた中、元衆院議員のハマコーこと浜田幸一氏が5日、亡くなりました。

 

ハマコーといえば、国会の廊下でイスを投げながら、「自民党はお前らのためにあるんじゃない、子供たちのためにあるんだ」と叫んでる映像が有名で、死亡を伝えるニュースでも、その映像が繰り返し流れていました。

あのシーン、ハマコーは何をしていたかというと、背景には「自民党40日抗争」と言われるゴタゴタがあります。

学生のころ、筑波大の花井等教授(当時)の日本政治史の講義を興味深く聴講していた私は、戸川猪佐武の「小説吉田学校」や、その劇画版(さいとうたかを画)を熱心に読んでいました。その中でも、最も面白くない場面、政治家が右往左往して何をしているのか私にはよく理解できなかった場面が、この「40日抗争」のくだりでした。

一言でいえば、当時の大平正芳総理と福田赳夫前総理の権力争いです。次の総理大臣候補を自民党の議員総会で決めることになって、主流派が大平総理を指名するのを避けようとして、福田を支持する反主流派が会場前にイスやテーブルでバリケードを作り、総会が開けないようにしたのです。

そこにハマコーが現れてバリケードを破ったあたりの場面が、例の映像です。映像としては面白いですが、その背景は、上記のような、よくわからない権力争いでした。

 

現在、国会がゴタゴタしているのは、民主・自民・公明の三党で、野田総理が進めようとする消費税や社会保障関連の法改正に合意したにも関わらず、今になって自民党が「法案の採決後に衆議院を解散せよ、そうでないと総理大臣に対する不信任決議を行う」と言いだしたためです。

民主党や野田総理の好き嫌いと、消費増税の当否についてはさておきますが、こればかりは自民党がずいぶんおかしなことを言っているように思われます。どうしてこんなことを言いだしたのか、これもよくわからない話です。

衆議院の解散権は内閣にあり、それを最終的に判断する権限は、内閣のトップである総理大臣にあります。総理大臣は、自身が必要と思えば、必要なときに衆議院を解散できるのであって、野党の人から、解散権を行使する場面や時期について指図をされるべき法的根拠はどこにもない。

自民党としても、そんな先例を作ってしまうと、自分たちが与党に戻れたときに、他の党から、法案の成立に協力する代わりにその後で衆議院を解散せよ、などという要求を受けるかも知れないのに、そういうことに考えが及んでいないのだとしたら、すっかり野党ボケしてしまったとしか言えません。

 

亡きハマコーは、思い返せば、大臣経験もなく、ガラも悪いし、バリケードを壊したこと以外に記憶に残る活躍もしていないのですが、今の自民党の体たらくを見たら、つまらない条件闘争をするな、と一喝してくれたのではないかと思います。

ミストのない大阪を歩いて思う

このところ、1か月近く更新が空いてしまいました。幸いというべきか本業も忙しく、自宅での子供の遊び相手と、幼稚園のPTAの手伝いも慌ただしく、ブログに書こうと思うネタがちらほら思い浮かびながらも、それを文章にまとめる余裕がありませんでした。

 

昨日今日、思ったところを雑多に書きます。

今日(7月17日)、近畿地方も梅雨明けしたそうで、確かにちょっとで歩くだけでも参ってしまいます。

先ほど、大阪地裁へ行った帰りに、淀屋橋の大阪市役所前を通過したら、この暑い時期なのに、「ウォーターミスト」の噴霧器が設置されていませんでした。確か橋下市長の方針で、この夏からやめることになったと、新聞か何かで読んだのを思いだしました。

市役所前のミストは、ここ数年、大阪の夏の風物詩みたいなもので、私も裁判所へ行く途中にこれにあたっていくのが好きだったのですが、経費削減と言われると、仕方のないような、せつないような気がします。

 

一方で、橋下市長が打ち上げているプランの一つに、「道頓堀川をプールにする」というものがあります。ミナミの道頓堀川の水質をある程度きれいにすること自体は良いのですが、そこで「泳ぐ」という発想に、私は違和感を禁じ得ません。

私の勝手な解釈ながら、道頓堀というのは、川面のネオンを眺めて橋を歩くのが風情あるのであって、川に入るものではないように思います。阪神が優勝したときに道頓堀川に飛び込む人はいますが、あれは生粋の大阪人ではなく田舎出身の馬鹿者です。大阪を本当に愛している人なら、あんなドブ川に飛び込んでヘドロまみれの姿でミナミの街を歩こうとはしないですから。

 

かと言って、だから水質をきれいにするんだ、というのも、何だかピントがずれているような気がします。

昨日の休日、私は息子と散歩がてらミナミへ行き、道頓堀川の両脇の遊歩道を久々に歩きました。遊歩道は割と面白い試みだと思っていましたが、私が懸念していたことが、昨日現実になっていました。遊歩道に浮浪者が何人か寝っ転がっていたのです。

大阪市では、遊歩道や公園を整備しても、いや整備すればするほど、浮浪者がそこに集まってくるという現実があります。もし道頓堀川が泳げるくらいにきれいになったら、簡単に想像できることですが、道頓堀川が浮浪者の水飲み場、体洗い場になるでしょう。貧困対策は別途きちっとやってもらうとして、私は浮浪者のたまり場になった道頓堀川は見たくありません。

 

大阪の人間は、私も含めて、「おもろいこと」が好きです。おもろいことをやるためにある程度税金を使っても許されます。しかしそこで打ち出されるプランというものは、大阪市と市民の現実を踏まえた、地に足のついたものであってほしいのです。

今日の暑い淀屋橋を歩いて、そんなことを考えました。

身近に起こった交通事故、そして原発再稼働に思うこと

今回は法律と関係なく、私ごとと雑談を書きます。


最近、私はクルマにからんで怖い思いを2回、味わいました。

一つは、ゴールデンウィークの最終日、5月6日の朝です。私は息子を連れて西区の自宅かいわいを散歩していました。木津川に沿って北から南へ、京セラドームに向けて歩いていたとき、私たちのすぐ横の車道で一時停止していたワゴン車が急発進し、曲がり角で曲がりきれずに、付近の町工場の壁に激突して、そのまま走り去っていったのです。

ちょうど、京都・亀岡で暴走車が多数の児童を死傷させた事故のあった直後でもあり、おかしな人が乗っているのではないか、もしまた私たちのほうに走ってきたらどうしようかと、家に帰るまでの間、非常に怖かったです。

3日後くらいに、その運転手は逮捕されました。脱法ハーブを吸引した上でレンタカーを運転し、福島区や西区でひき逃げ・当て逃げを繰り返したということで、今月12日、危険運転致傷罪で起訴されたと、新聞で見ました。

 

もう一つは、新聞には載っていなかったようですが、身近で起きた交通事故です。

6月7日の朝、私がいつものように、出勤途中に妻と一緒に息子を地元の幼稚園に送り出す道中で、私たち家族3人が交差点の横断歩道を渡ったすぐ後ろで、自転車に乗った男性が、交差点を左折しようとした大型トラックに巻き込まれるという事故がありました。

被害者の方は、命に別状なかったと聞きましたが、これも一歩間違っていれば私たちが巻き込まれていたかも知れないと思うと、今でも怖ろしい思いがします。

 

話は飛躍しますが、私は、これほどまでに他人に危害を加えるクルマなどというものを、いちど廃止してみたらどうかと、たまに考えることがあります。最近、車がらみで変な事件が多いし、私自身も立て続けに怖い思いをしたので、いっそう思います。

もちろん、クルマが世の中からなくなれば、ものすごい不便が生じるでしょう。物流は壊滅的になり、救急患者の搬送などに支障が生じて死者が出るかも知れません。大半の人は「そんな社会は考え得ない」と思われるでしょう。もちろん私自身も、これが現実味のない極論であることを理解しています。

 

しかし、クルマによる犯罪や、交通事故が毎日のように生じており、日本全国で死者が出ない日はないでしょう。

その失われる人命をどう考えるかという点については、クルマ社会というものを受け入れる以上、「命を落とす人はかわいそうだけど、クルマは便利だから仕方がない」と考える他ない。クルマを容認することは、「世の中の利便性のために、ある程度の犠牲はやむをえない」という選択をすることを意味します。

 

さらに話は飛びますが、政府は大飯原発を再稼働させると判断しました。私としては、当然の判断であったと思います。クルマは、無免許の未成年者や、脱法ハーブを吸引した馬鹿が運転していることもありますが、少なくとも原発は、それに比べれば随分マシなはずです。

原発を停止・廃止すべきだと考える方々には、クルマが今日も明日も、人を死なせ続けるであろうことをどう考えるのか、原発がダメだとしたらクルマはなぜその存在を許されるのか、聞いてみたいです。

 

亀岡の事件では、遺族の方々が加害者に厳罰を求める署名活動をしていて、(その当否はともかくとして)、その気持ちはよくわかると、つい先日書きました。もし遺族の方がここで「クルマを廃止せよ」という署名活動をしたとすれば、おそらく大半の人は、それは極論だ、と思われるでしょう。

同じように、福島の原発事故を受けて、菅元総理や東電など関係者を厳罰にせよ、というのであれば、まだ理解できるのです。しかし、原発自体を廃止せよ、というのは、結局、交通事故が生じるからクルマを廃止せよというのと同じ論理であって、私にはどうも現実味のない極論でしかないと思ってしまうのです。

 

まとまりのないまま長々と書いてしまいましたが、以上で終わります。

スタッフ募集は終了させていただきました。

事務連絡的な話で恐縮ですが、先日のブログで触れたスタッフ募集の件、締切りとさせていただきました。

多数の…というと誇張ですが、多少のお問い合わせをありがとうございました。

女性限定での募集とさせていただいたことについても、幸い、当局からのおとがめをいただくことなく済みました。

今後とも、弁護士・職員共々、ご依頼に基づき職務に邁進してまいります。

秘書募集中(女性限定)です

今回は当事務所の内幕の話もからんでいます。

当事務所において、いつも明るい笑顔で業務に従事してくれ、依頼者にも、出入りの業者さんにも人気が高く、たまにスタッフブログでも話題を提供してくれた女性秘書のMさんが、かねてからの目標であった海外留学に出るため、この夏に当事務所を退職することになりました。

 

ということで、当事務所では女性職員を募集中です。

詳細は当事務所のツイッターも書いておりますので、ご興味お持ちの方はあわせてご参照ください。

 

ところで今、「女性職員を募集中」と書きましたが、採用にあたって男性限定とか女性限定とかいうのは、たしか、男女雇用機会均等法で禁じられていたのではなかったかなあと思い出しました。と、弁護士がそんな頼りないことではいけないのですが、条文を参照してみました。

その第5条に「事業主は、労働者の募集及び採用について、その性別にかかわりなく均等な機会を与えなければならない」とあります。必ずしも「男性限定」「女性限定」と表示してはダメだと、明確に書いているわけではありません。

 

いちおう、当事務所ではこれまで、採用にあたっては男女ともに均等な機会を提供してきたと思います。男性だから(または女性だから)採用しない、ということは基本的にありませんでした。でも、今回は当事務所の紅一点がいなくなってしまうということで、女性限定で募集しています。ご了承ください。

男ばかりの法律事務所なんて、むさくるしいし、相談に来られるお客さんだって、男に茶を出してもらってもマズイだろうと思います。男女差別でなく適材適所です。

こんなことを書くと、男女雇用機会均等促進委員会か何かが文句を言ってくるかも知れませんが、言ってきたらそのときで考えることにします。

 

そのような次第で、当事務所では現在、女性限定で事務職員を募集しています。詳細は当事務所までお電話またはメールを、お待ちしております。