音楽と嘘と法的責任 1

出遅れた感じがしますが、佐村河内守さんのことについて触れます。

といっても、私自身はこの方をほとんど知りませんでした。この人のCDを一度だけ聴いたことがあって、それは、私の行きつけの堀江かいわいのバーで、音楽好きのマスターが「耳の聞こえない日本人の音楽家ということで注目を集めているそうです」と言って、交響曲ヒロシマだったか何かを流してくれたのです。

私自身は、ピンとこないと言いますか、日本人の音楽家ならまだ喜多郎の「シルクロード」(「笑い飯」が奈良県立民族博物館の漫才で「ぱぱぱーぱぱー」と口で言ってるあの音楽です)のほうが、ずいぶんいいと思いました。

 

その音楽が、そもそも佐村河内さんの作曲ではなく、ゴーストライター(新垣さん)が作った曲だったということで大騒ぎになっていますが、このことに関して私の感想を述べます。

 

もともと、音楽や芸能の世界では、その宣伝に、ある程度の誇張や虚偽は頻繁に含まれています。

全く話が変わりますが、1970年代にブルース・リーの映画がヒットしたとき、アメリカのジョー・ルイスという空手家が主人公を演じた「ジャガーNo1」という映画が作られ、この映画のキャッチコピーとして、ジョー・ルイスは「ブルース・リーをノックアウトした男」と紹介されていました。

ジョー・ルイスがブルース・リーと戦ってノックアウトしたという事実はなく、このキャッチコピーは明らかに虚偽なのですが、これが問題になることはありませんでした。

その理由は、この映画が全くヒットしなかったこともありますが、当時そのキャッチコピーを真に受ける人がほとんどいなかったためです。

もし、誰かがこのキャッチコピーを真に受けて「映画を観たけどジョー・ルイスがぜんぜん強そうじゃなかった、カネ返せ」と言ったら通るかといえば、それは無理でしょう。

ブルース・リーをノックアウトしたかどうかは、映画の「サイドストーリー」でしかなく、その部分に多少のウソがあっても、映画の価値自体は変わらない、ということです。

 

佐村河内さんの「耳が聞こえないのに自分で交響曲を作曲した」というウソも、それと同じレベルの話であると、当初は感じました。

それで憤っている人がいたとしたら「あんなパッとしない音楽に、耳が聞こえないって触れこみだけで乗ってしまうのがおかしい」というのが、正直なところ、私の第一印象でした。

ただ、佐村河内さんは、多くの人が同情を寄せてしまいやすい、感動させられてしまいやすい部分に対して、それとわかって意図的にウソをついているあたりが、やはり悪質なのだろうなと、今は感じています。

この「ウソ」についていかなる法的責任が発生するかは、次回に述べます。

当ブログの1年を振り返る

早いもので今年も残すところ1日半です。皆さまの1年はいかがでしたでしょうか。

ここで、自分自身の1年を大げさに振り返ろうというつもりもないですが、当ブログのこの1年を、データに基づいて回顧してみます。

管理人用のページで、今年の1月1日から今日12月30日の朝までのアクセスについて、見てみましたところ、総訪問者数はのべ49,706人、ページビューではのべ94,758ページをご覧いただきました。

 

このサイトに来られた方の検索キーワードのトップ3は以下のとおりです。

1位は、普通ですが「山内憲之」で、832件。

ちなみに、同姓同名の医師が宮崎県におられるので、誰かが宮崎の山内医師のことを調べようとしても私の拙文ばかり出てくるわけで、申し訳ないなあと思っていたのですが、今年、Facebookでその山内憲之さんから友達申請が来まして、とても嬉しかったです。

2位は、「司法試験 勉強法」で777件。

私が司法試験予備校講師を兼業していたころに書いたもの(これ)が、今でもよく参照されているようです。私のころからは司法試験もずいぶん様変わりし、どこまで役立つのかは分かりませんが。

3位は、「弁護士 話し方 豊かな言葉」で690件でした。

ここ数年、夏から秋にかけて、この検索キーワード数が伸びるので、何だろうと思っていたら、小学校の国語の教科書で、いろんな職業の人の豊かな言葉の使い方を調べてみようというテーマがあって、それで検索が増えるのだと、とある教員の方からご教示いただきました。

 

ブログ記事のうち、今年よく参照いただいたテーマのトップ3は以下のとおりです。

1位 「豊かな言葉について弁護士が考えたこと 1」 5,558件。

去年の記事ですが、突出してアクセスが多いです。上記の教員の方のご教示により、「豊かな言葉」と書けば検索数が増えると味をしめて書いたものです。すみません。

2位 「冷凍庫写真の店員に店舗閉鎖の責任を問えるか」 1,563件。

今年、大きな問題になりました。世間一般的にも、耳目を引いたのでしょう。

3位 「市立幼稚園の民営化に反対する」 964件。

個人的な思い入れで、シリーズ記事にしましたが、ご覧下さった皆さんありがとうございました。

 

来年も引き続き、本業の片手間に、思ったこと感じたことを書かせていただきます。

では良いお年をお迎えください。

幼稚園民営化案、大阪市議会で否決

報道としては小さな記事でしたが、大阪市の公立幼稚園民営化案が、11月29日、大阪市議会にて否決されました。

正確に言うと、59の公立幼稚園のうち19園を廃止または民営化する議案が提出されたものの、14園については否決されたということです。残り4園は廃止が可決され、1園は認定こども園に移行することが可決されました。

実はこの結論、議決の日の少し前から、私もあるルートから聞いておりました。廃止される園の関係者には大変でしょうけど、園児が減少しており、また廃止後も園児の受入れ先があるなど、事前調整の上での結論であったかと思います。

それにしても当初、橋下市長と維新の会は、59園すべてを廃止または民営化すると言っていたので、大幅な後退といえます。純粋な意味での民営化(公立幼稚園を私立幼稚園にする)という意味では実現はゼロです。

 

私は、息子が公立幼稚園に通っているという私的な事情もあって、幼稚園民営化には反対してきました。その理由は当ブログでたびたび述べてきたとおりです。

橋下さんのことですから、公立幼稚園の関係者と、その存続を求める保護者たち(私も含めて)のことを、「民意を無視して既存の制度と既得権にしがみつく敵対勢力」として、攻撃してくることも想定していました。と言いますか、たぶん橋下さんは常套手段として、世論をそう誘導しようとしたのだろうと想像しています。

そして、大阪市では維新の会と公明党が仲良しだったので、その連立で過半数を制して、民営化の流れは変えられないだろうと、一部保護者の間では言われていました。

 

その流れが変わったのは、今年の夏から秋にかけてでしょうか。「民間でできることは民間で」という掛け声のもと、橋下市長に市政改革、教育改革をやらせてみたら、失敗続きだったのは、市民の方の記憶にも新しいでしょう。

民間からの公募で区長や校長になった人たちが、自分のやりたかったことと違うと言いだして3か月で辞めるわ(港区の公立小学校長)、セクハラするわ(東成区長)で、次々と問題を起こし始めた。

橋下さんは、校長辞任については「教育委員会のせい」と言い、区長の不祥事については「指導して現場に戻す」と言って、誰も責任を取らないまま現場の混乱だけが続いた。そんな状況で、橋下さんお得意の世論誘導ができるはずもなかったのでしょう。

 

市議会の否決を受け、橋下さんは、改めて幼稚園民営化の方針を策定し、来年2月の議会に提出する、と言っているそうです。この問題に限らず、最近の橋下さんは、「支持率が下がっても最後までやる」と言い出したようですが、「民意」を背景に権力と既存の制度を批判してきた橋下さんが、今後は民意を無視すると公言したわけです。

民意に耳を傾けようとせず、権力を行使し続けることにこだわる人のことを、世間では「権力亡者」と言いますが、この話はこの程度にさせていただきます。

 

幼稚園民営化についての話は、ここで一区切りといたします。個人的な感情の入った記事でしたが、もしお読みいただいた上で大阪市政の現状に少しでも興味を持ってくださった方がいたとしたら、感謝申し上げます。

「反原発」運動に思う

このところ、法律と関係ない話題が多くてすみません。

小泉元総理が反原発とか脱原発とか言い出して、少しだけこの問題がにぎやかになってきたので、私なりの考えを整理しておきたいと思い、触れてみる次第です。

 

過去にもここで書きましたが、私は以前、息子を連れて歩いているときに、もう少しで車にひかれそうになったという経験が二度あり(一つは変な薬を飲んでた人で、後に逮捕され、もう一つは前方不注視で交差点に入ってきたトラックで、すぐ後ろの人が巻き込まれた)、そのとき、原発を廃止するくらいなら先に自動車を廃止したほうが良いと、ある程度本気で考えました。

原発廃止論者でそこまで考えている人がいるかどうか知りませんが、そういう思想は古くからあります。有名なところでは「自然に帰れ」と言ったルソーで、文明や科学技術を否定する考え方です。

 

もう一方の考え方としては、文明や科学技術は確かに事故その他の矛盾を生じさせるが、それをも含めて受け入れ、肯定せざるをえない、というのがあります。思想家で言えばニーチェがたぶんそういう考え方だったかと思います。

私は、原発から自動車からすべて廃止してしまうというのは、やはり極論だと言わざるをえず、この考え方に与したいと思います。

 

原発廃止論者がすべてルソーみたいに考えているわけではないと思うので、そういう人たちは、科学技術のうち原子力発電のみを否定し、その他は受け入れる、という考え方を取っていることになります。

そうすると、科学技術の発展の中で、原発だけを切り離して否定する理由があって然るべきだと思うのですが、そうした議論はあまり聞かれません。

 

小泉元総理は、フィンランドの核廃棄物の処理場で、何百メートルの穴を掘ってそこで核廃棄物を10万年ほど保存しないといけないという話を聞いて、原発は廃止しないといけないと思ったと、講演で語ったそうです。

しかし、考えてみれば、そういった矛盾や不都合は、あらゆる科学技術に含まれています。

自動車は毎日、全国どこかで交通事故を起こし、人を死なせています。被害者が子供だったとしたら、その子はその後の楽しい子供時代、青春時代を否定されます。その子が成人すれば、結婚して子供も産んだでしょうし、さらにその子が子を産んだでしょう。

そう考えると、交通事故1つで、今ある命と、今後産まれるはずだった命が、たくさん奪われたことになります。

「核廃棄物を残すのは10万年後の人類に対し無責任だ」と感じる人もいると思いますが、交通事故1つあれば、10万年後に存在しているはずの多くの命は奪われるのです。無責任どころの話ではなく、存在自体を否定されるのです。

 

交通の発達による交通事故に限らず、工業の発展は産業廃棄物による公害や、不慮の事故による死亡事故を生じます。医学・薬学の発展も、時に医療事故や薬害による被害を生じさせる。

ですから、ルソー流でない原発廃止論を取る限りは、他の科学技術が含む不都合は承認するのに、原発の不都合のみはなぜ否定するのか、明らかにする必要があります。

その点を、多くの人にとって共感しうる程度に説明できる思想が出てくれば、反原発運動は、一層の深みと広がりを持つことになるでしょう。

今はそういう思想がないので、反原発運動は、個々の市民の寄せ集めの市民運動にすぎず、また、落ち目の政治家が寄り集まるための掛け声にしかなりえていないのです。

 

ハワイにて思ったことなど 4(完)

前回書いたとおりで、私は一人、ワイキキのシェラトンホテルのバーに乗り込んで、マティーニを飲んできました。

マティーニの味はまあ、それなりでした。ただ、慣れや雰囲気もあると思うのですが、やはり、日本の行きつけのバーで飲むマティーニのほうが、繊細で冷たくて美味しいと思いました。

 

ワイキキでは、ジンかウォッカかを聞かれただけですが、日本の、北新地でも心斎橋でも銀座でも、きちんとしたバーに行けば、バーテンダーが、好みの味わい(どれくらい辛口にするかなど)を聞いてくることが多いです。

もし何も聞かれなかったとしても、バーテンダーはこちらの反応を見ていて、口に合っているかどうか気にしています。そのあと、「お食事前だと思ったので、食前酒向けにキリッと辛口で作ってみたのですが、お口に合いましたでしょうか」などと尋ねてきたりします。バーテンダーに限らないと思いますが、日本人はそれくらいに仕事が丁寧で、かつ相手のことを思いやるのです。

もちろん、私はハワイのホテルの気楽なバーで飲んだだけであって、ニューヨークなどで本当にきちんとしたバーに行けば、技術・接客とも日本のバーテンダーを凌駕するくらいの人はいると想像しています。

でも日本の場合は、それくらいのバーテンダーが、そこかしこにいる、という点がすごいのだと思います。

 

西洋人がよく、日本の大衆的なチェーンの居酒屋に行って、女子アルバイトの接客が親切丁寧で感動して帰ったといった話も聞きます。

その反対で、私はハワイのとあるレストランで、多少不快な思いもしました。その西洋人の店員がもともと無愛想なのか、それともこちらが東洋人であるためかは知りません。詳細は書きませんが、日本人の接客態度というのは世界中さがしてもなかなか得がたいものだと感じました。

かように、誰もが、誰に対しても、分け隔てなく、親切丁寧な対応をしてあげることができるというのが、我々日本人の良さなのだと思っています。

 

ちょうど、私のハワイ滞在中に、2020年のオリンピック開催地が東京と決まりました。日本では朝5時だったそうですが、ハワイでは朝10時で、「Tokyo」と読み上げられる瞬間を私もテレビで見ていました。

「おもてなし」という言葉は、早くも使い古された感じになってしまって書くのも恥ずかしいですが、多くの日本人が持っているはずのその精神は大切にしたいし、オリンピックに際しては、これまで以上に外国からの訪問客を感動させて帰らせたいと思います。

そして私は、また今度ハワイに行くときのため、またオリンピックのときに増えるであろう外国からの観光客のため、改めて英会話を勉強し始めました。

ハワイにて思ったことなど 3

ずいぶん時間が経って時期外れになりましたが、ハワイ旅行雑感の続き。

 

旅行期間中に、いちどは現地のバーで飲んでみたいと思っていたので、ある夜、子供が寝てから、一人でホテルのバーに乗り込みました。

シェラトンワイキキの「RumFire(ラムファイア)」というバーで、バーと言っても日本のホテルみたいに蝶ネクタイ締めたバーテンダーがいるわけではなく、ワイキキビーチに面した開放的なホールで、大音響の音楽をバックに、たくさんの人(たぶん100人はいる)がそれぞれのテーブルを囲んでワイワイと酒を飲んでいました。

私はやや圧倒されながらも、空いている小さいテーブル席を一つ見つけて、座っておきました。そのうち、白人の女性店員が気付いてくれたので、その店お勧めの(と、テーブルのメニューに書いてあった)ラムをオーダーしました。出てきたのはショットグラスに入ったストレートでした。量的にはシングルなので、すぐ飲んでしまいます。

 

2杯目は、私の好きなマティーニを、と思い、メニュー表には書いてないのですが、ホテルのバーでマティーニを作れないはずはなかろう、ということで、先ほどの女性店員に言ってみると、「ジン?ウォッカ?」と聞いてきました(マティーニのベースにするお酒を聞いている)。

ジン、と答えると、その女性はさらに早口で何か言い出したので一瞬面喰いましたが、「ボンベイ・サファイア」というのが聞き取れたので、ジンの銘柄を聞いているのだと思い、「ゴードン」と答えました(ちなみにゴードンを選んだのは、ジンの銘柄のうち発音が一番簡単と思ったから)。

すると女性店員は申し訳なさそうに目をしかめたので(つまりゴードンは置いていない)、次に発音が簡単そうな「ビーフィーター」と答えると、女性店員はうなずきました。

引き続いて、ベルモットの銘柄は何か、ジンとベルモットの比率をどうするか、ステアかシェイクか…と、あれこれ聞かれると思って身構えましたが、女性はそれだけ聞くと奥に引っ込んだので、ホッとしました。

 

その女性店員は、マティーニを出したあと、忙しく店内を行き来しながらも、私の前を通り過ぎるときには何度かこっちを見て「You,OK?」と気遣ってくれていました。北新地や銀座のバーで強い酒には飲みなれた私でも、こういう店で周りから見れば、あやしげなアジア人がカッコつけて強い酒を飲んでいるなと思われたのでしょう。

ちなみに店内の客は見る限りみな白人でした。日本人は、ホテルにはたくさん泊まっているはずなのですが、ここでは見かけませんでした。一瞬だけ、日本語を話す女性の4人グループが店内に現れましたが、どうしてよいかわからなかったのか、何も飲まず帰っていきました。

幸い私は、酒という世界共通の言語を持っていたので、こういう世界を垣間見ることができたのであって、どんなことでも、知っておいて損はしないものだなと思いました。

次回、ハワイ旅行記完結編。

ハワイにて思ったことなど 2

ハワイでの話。続き。

今回、私たちはJTBのパックツアーで行きました。とは言っても、飛行機と宿の手配をしてもらった他は、ほとんど自由行動でして、唯一のイベントというのが、遊覧船でクルーズに出かけて船上で朝食を食べるというものでした。天候にも恵まれ、これもまた楽しいクルーズとなりました。

船はずいぶん大きく、200名は優に乗れると思われました。しかし、このとき乗船したのは日本人ばかりせいぜい3、40名程度でした。

私は、船の燃料代、乗組員(ハワイアンの踊り子さんを含む)の人件費、食事代などを含めて、この程度の客の入りでペイするのだろうかと、つまらないことを不安に思っていました。

食べ物はバイキングで食べ放題、アルコール類だけは別料金で、カウンターでカクテルを作ってくれるのですが、朝からわざわざお金を払って酒を飲んでる客は私一人だけでした。

 

クルーズの後半に、子供だけが参加できるゲームが行なわれまして、これは、船上にいる乗組員たちと簡単な英会話をし、うまく答えられたらスタンプを押してもらえて、スタンプが揃うとオモチャをくれるというものでした。

会話の内容は、「名前は?」「年齢は?」「好きな食べ物は?」という程度で、しかも質問文はスタンプカードに書いてあるのだから、最初に親が答えを教えておけば、たいていの子供は答えることができます。

それでも、4歳のわが子が、白人のキャプテンやハワイ人の踊り子さんたちと英会話している光景は、親として大変たのもしく、子供に早期の英語教育は不要と考えている私でも、うちの息子は才能があるんじゃないか、と親バカ的なことを思ってしまいました。

 

最後に、クルーズの感想についてのアンケート用紙が配られました。それですべてが分かった気がしたのですが、アンケートの回収先は「ベネッセ・コーポレーション」でした。

世の親バカに対して、この機会に子供の英語教育に目覚めさせようという企画だったのでしょう。船の運航が赤字になっても、ベネッセがスポンサーなのだから大丈夫なのでしょう。

アンケートを提出すると、以後ベネッセから、しまじろうのイラスト入りの英会話教材のパンフレットとかが次々送られてくるのであろうことを少し煩わしく思い、楽しいクルーズを提供してくれたことに感謝だけして、アンケートの提出は控えておきました。

 

それにしても、ベネッセに限らず、日本の企業は相当ハワイに入り込んでるんだなと、この旅行で実感しました。

JTBのツアーだと、JTBがホノルル市内で運行している巡回バスに無料で乗れます。JTBに限らず、日本旅行とか、HISとか、たくさんの旅行会社が専用の巡回バスを走らせているのを見ました。

経済発展著しい隣国・中国も、日本のマネをして、巡回バスを走らせていたようですが、本数は圧倒的に少なかったです。ちなみにハングル文字の書かれた巡回バスは見なかったので、韓国の旅行会社はそこまで入り込んでいないのでしょう。

こういうところにも、日本の先人が苦労して現地に入り込み、ハワイの地元の人々と良好な関係を築くとともに、後から来る我々に快適な旅ができるようにお膳立てしてくれていたのだ、ということを感じたのでした。

ハワイにて思ったことなど 1

今回は私ごとの雑談です。

少し前にもここで書きましたが、9月上旬に妻子とともにハワイに行っておりました。ハワイに行ったのは初めてですが、思いのほか、楽しく過ごしました。

 

ワイキキビーチに面したホテルのレストランで、ハワイの先住民の女性がフラダンスを踊るのを観ながらディナーを食べたりするのは、たしかに楽しい経験でしたが、一方で、やや複雑な思いもしました。

それは、間違っていれば現在、日本の国もハワイにようになっていたかも知れない、ということです。

ご存じのとおり、ハワイはアメリカ領です。いま、ウィキペディアで調べた程度の知識だけで書いていますが、18世紀末にカメハメハ大王が統一したハワイ王国は、その後、列強(イギリス、フランス、アメリカ)の侵略を受け、19世紀末にはハワイ王国が滅び、アメリカに併合されました。

 

もし日本も同じ道をたどっていたとしたら、今の日本には皇居も伊勢神宮もなく、その跡地にゴルフ場やレストランができていたかも知れません。レストランでは、日本人の生き残りが、ディナータイムに盆踊りでも踊っていたかも知れません。

これは決して荒唐無稽な想像ではなく、江戸時代に日本に黒船がやってきてからというもの、欧米の列強は、あわよくばハワイみたいに征服しようと、本気で考えていたはずです。

そうならなかったのは、先人たちが命がけで国を守ろうとがんばってくれた結果であり、最後には第二次大戦で敗れたとはいえ、連合国側に「この国を滅ぼすのは無理だ」と思わしめたからです。

そんなことを、夜の太平洋を眺めつつ、かつてはこの海に散っていったであろう先人たちに感謝の思いを捧げました。

 

そして、現在では隣の国が、あわよくば尖閣諸島やら沖縄やら日本本土やらを奪ってやろうと狙っています。自分の息子のためにも、国をどう守るかを、一人一人が自分自身の問題として考えていかなければならないと、思った次第です。

今ここで、憲法を改正して国防軍を…という話をするつもりはありません。ハワイでおっさんが酔っ払いながら考えた話を、憲法改正に結び付けるのは大いなる論理の飛躍であるのは承知しております。

ただ、日本の先人がもし、何の打算や戦略も見通しもなく、平和的解決を、対話を…などと繰り返すだけであったとしたら、今の日本はハワイのようになっていただろうなと、ちょっと怖くなったことは付け加えます。ハワイの現地人は、それくらい気のいい人ばかりでした。

 

今後もヒマがあれば、思い出したようにハワイで感じたことを書くかも知れません。

いま「維新」がうまくいかない理由 続き

前回の続き。

日本維新の会を典型に、やたら「維新」という言葉が好きの人の行動の特徴としては、①従来の制度や機構を潰せば潰すほど良いと思っていること、それから、②従来の組織のトップを入れ替えて、特に民間から人を登用したがること、が挙げられると思います。

そしてそれは、前回書いたとおり、明治維新の一側面だけを見て、それを無理に現代にあてはめようとする勘違いから来ると思います。

大阪では、水道事業の統合と、市営地下鉄の民営化が、上記①にあたります。水道のほうは議会で否決され、地下鉄は継続審議となりました。ここでも度々触れている市立幼稚園の民営化も、①にあたりますが、これは後で触れます。

 

それから、大阪市内24区の公募区長や、公立小中学校の校長の民間からの登用は、上記の②にあたります。公募区長の一人は1年もしないうちによく分からない理由でクビになり、校長は3か月で辞めてしまったことは、多くの方がご存じのとおりで、早いうちから失敗続きと言えます。

これも前回書いたとおりで、身分や階級が270年に渡り固定していた幕末のころならともかく、能力主義が浸透している現代では、公募したところで由利公正みたいに優秀な人が来るとは思えません。

 

そして、また幼稚園民営化の話ですみませんが、今、大阪市で現在進行中の問題でもあるので、もう少しだけ触れます。

橋下市長と公募区長らが熱心に進めようとしていた市立幼稚園の民営化は、当初「平成26年度をもって全廃」とされていたのが、少しずつ、トーンダウンしています。

今、どうなっているかというと、私たちが伝え聞くところでは、各区の幼稚園のうち、最低1つは民営化するようにと、橋下市長が各区長に指示を出したそうです。私の住む西区には5つの市立幼稚園があり、そのうち1つが民営化の対象となるということです。

 

ちょうど昨日のニュースなどでも、橋下市長の方針として、平成27年度以降、3期に分けて徐々に民営化していくことにした、と報道されました。

これも私たちがすでに伝え聞いていたとおりで、「1期目」というのが、各区最低1つの幼稚園を民営化するということです。2期目以降はというと、どうせ実現できなくなってウヤムヤにするつもりでしょう。

 

この顛末に、「従来の制度や機構を潰せば潰すほど良い」という、維新好きの連中の勘違いが如実にあらわれています。

市立幼稚園を民営化する意義やメリットが本当にあるのなら、市民の前や市議会の場で堂々とそれを主張し、全面的な民営化を進めていけば良いのです。意義もメリットもないのなら、民営化は一切ナシにすればいい。選択肢はそのいずれかしかないはずです。

まずは一部だけ廃止、などというのは、市長や維新の会の意地とメンツだけからくる、姑息な手段です。しかし彼らは、潰せば潰すほど良い、と考えているわけですから、「5つの幼稚園を潰せればベストだが、それができないなら1つだけでも潰せればベターだ」、と考えます。そこには民営化の大義など何もありません。

これが大阪で行われようとしている「維新」です。嗤うべき維新です。

いま「維新」がうまくいかない理由

先日の参院選はご存じのとおり自民党の大勝でした。

私の大阪選挙区では維新の会がかろうじてトップで当選したものの、他の地方では無残な負け方でして、これはつまり、維新の会の「大阪の改革を全国に広げる」という方針に、大多数の国民はNOと言ったわけです。

 

私見ですが、日本維新の会に限らず、自分たちの行動を明治維新になぞらえて、やたら維新を唱えたがる人は、たいてい、うさんくさいです(そういえば民主党が4年前の衆院選で政権交代したとき、鳩山が「明治維新に匹敵するできごとだ」と言いました。その後のことは皆さんご存じのとおり)。

そもそも、明治維新というのは、徳川体制下で下級武士が暴発して起こった革命です。

司馬遼太郎が何かの小説の中で書いていたことですが、この暴発は、当時の世界史的状況や諸々の偶然から、結果として奇跡的に成功したにすぎないものであると。しかし、「これでいける」と思ってしまった人たち(主に末期の日本陸軍)が暴発を続け、結局、大日本帝国を滅亡させてしまったのだと。

この司馬さんの見立てが、歴史家の目からみて当たっているのかどうかは知りませんが、たしかに、二・二六事件などを起こした陸軍将校たちは、「昭和維新を起こす」と言っていたそうです。

 

ついでに、司馬さんがこれと対照的に天才だったと称する一人が織田信長で、桶狭間の戦いで今川義元の軍に奇襲をかけ勝ちますが、信長は、これは一世一代のバクチに勝ったようなものであることを理解しており、以後二度とこのような戦いぶりをすることはありませんでした。

 

さらに雑談ついでに、明治維新以外で、「維新」と名のつくもので成功したものがあるのかというと、新日本プロレスの長州力の「維新軍」くらいでしょうか。アントニオ猪木、藤波辰爾らの子分と思われていた長州力がプロレス界の秩序に反旗を翻し、その名をあげましたが、これはまあ、あくまでプロレスの世界の話です。

 

で、維新好きの人たちのことに話を戻しますが、彼らは明治維新の一面的な部分にのみ注目し、それを無理やり現代にあてはめようとします。

明治維新が最も輝かしく描かれている書物の一つとして、また司馬さんの本になりますが、「竜馬がゆく」が挙げられるでしょう。

土佐藩の下級武士の坂本龍馬が、旅をしながら長州の桂小五郎(木戸孝允)や薩摩の西郷さんら有志を仲間にしつつ、ついに大政奉還を実現させる。その後は、由利公正みたいに能力があるのに藩に謹慎させられている人物を釈放させ、明治政府を作っていく。

男であれば(たぶん女の人でも)血わき肉おどる話で、「俺もこんな改革をやってみたい」と感じた人も多いでしょう。

 

ただ、龍馬がやった改革は、関ヶ原の戦い以降270年間、関ヶ原で東軍についた家だけが国の運営に関われるという制度を固定していた状況だったからこそ、それなりの成果が上がったといえます。

この270年間、いかに能力のある人でも、武士でない人や、武士でも関ヶ原で西軍についた人は、のしあがりようがなかったのです。

 

現代は違います。どんな分野でも、能力があればそれなりに活躍ができます。国家の運営に関わりたければ、誰でも、大学に行って公務員試験や司法試験を受ければ、官僚や裁判官になれます。すでに能力主義は相当に徹底しています。

 

この、誰でも知っている事実を、維新好きの連中は見ようとしません。

国家のあらゆる制度が疲弊し、能力ある人がトップにいないなどと、ありもしない事実を掲げて勝手に嘆きながら、制度や人事をいじくり回そうとします。

今、日本維新の会のやることなすこと、全くうまく行かないのは、こういう単純なところに理由があるというのが、浅はかながら私の考えです。

次回もう少し続く。