DNAだけで親子の縁は切れない 1

前回、PTAのことについて書いたら、意外な反響があって驚いています。反響と言っても、ご意見・ご感想・参考情報のご教示などのメールが2件と電話が1件だけなのですが、普段、ブログの内容に関してメールや電話いただくことなど滅多にないものですから。

で、その話はいずれ書かせていただくとして、今回は昨日の最高裁判決を取り上げます。

DNA鑑定の結果として実の父と子でないと判明したとき、戸籍上の親子であることを取り消せるか否かの点について、最高裁は「取り消せない」と言いました。

 

この問題は昨年の末に、大澤樹生と喜多嶋舞の間で、その子が実は大澤と血がつながっていなかったという話のときに紹介したと思います(こちら)。

この2人がどうなったかは知りませんが、実際、「親子関係不存在」を訴えて、最高裁まで争っていた夫婦がいたわけです。

 

法律上は何が問題かというと、民法772条1項で、「妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する」とあります。最高裁で争われていた事案は、妻が婚姻中に他の男性の子供を身ごもったようなのですが、この規定のために、血のつながった父親でなく、戸籍上の夫の子とされたわけです。

もっとも、この規定が合理性ある条文であることは、争う余地がないと思われます。この規定がないと、とんでもないことになります。

たとえば子供が産まれたとき、父親が喜び勇んで役所に出生届を出しに行く。母と子の関係は、出産に立ち会った医師が出生証明書を書いてくれるから問題なく証明できる。しかし父と子の関係についての証明書はない。

役所の戸籍課で「この赤ちゃんの父親があなたであることの証拠はあるんですか。なければ出生届は受付できませんよ」と言われたら、怒り出さない父親はいないでしょう。

世の中の大半の夫婦において、妻が婚姻中に懐胎すれば、その夫が父親といえるでしょう。その事実(難しく言えば「経験則」)を制度にしたのがこの規定です。

 

婚姻中に他の男性の子を身ごもるというのがどういう状況の下で行われたのかは、特に詮索しません。ただ、DNA鑑定の結果として血がつながっていなかったら父子関係を否定することができるとすると、明らかに不合理なことが生じるでしょう。

一つは、妻の側が愛人の男を作って、その男性の子を産み、夫の子供であると偽って育てさせておいて、あとから「あなたは父親じゃないから縁を切ってくれ」などと言いだすことが可能となる。

もう一つは、夫の側でも、妻が別の男性との間に作った子がかわいくて、「俺の子供として育てよう」と言って戸籍にいれておきながら、「やっぱりやめた、籍から出てくれ」などという身勝手が可能になる。

(本件事案がそうであったということではありません。あくまで極端な例として考えうるケースを書いております)

 

上記の過去のブログ記事の中でも、DNA鑑定だけで親子関係不存在を認めて良いかどうかについては慎重に考えている法律家が多い、という話をしましたが、結論としては今回の最高裁の判決で妥当だと考えています。

もう少しだけ次回に続く。

PTAへの加入は「義務」か 3(完)

前回の続き。たとえばある保護者、便宜上「Aさん」としますが、子供の小学校入学の時点で、PTAへの加入を拒否したらどうなるか。

次回に続くと勿体つけましたけど、結論はすでに出ています。結社の自由という大原則があり、PTAが任意団体である以上、AさんをPTAに加入させることはできない。

 

その結果どうなるかというと、いろいろなことが想像されます。

たとえば、どこの学校にも、PTAが主体となって開催する行事があると思います。地域参加の運動会や、バザー、夏祭りなど、PTA会員が準備・運営し、必要経費はPTA会費から出たりもするでしょう。

これらはPTAの行事である以上、会員でないAさん家族は参加できないことになります。そのことに法的問題は全くありません。小学校の義務は義務教育を教えることであり、PTA関係の行事に全生徒を参加させるような法的義務はないからです。

 

それから、たとえば子供同士や保護者間でトラブルがあったとか、子供が地域でちょっとした問題を起こしたということがあったとします。その場合にはPTAの役員が間を取り持ったり、町内会長など地域の協力を取り付けたりして、丸く収めにかかることもあるでしょう。

その場合でも、Aさん一家に関しては、そんな労は取らない、自分で解決しろ、と言うべきことになりそうです。

 

PTA会員でない人は、行事にも参加できない、何かのトラブルに巻き込まれても手助けしない、だってPTAにはそんな義務はないんだから、というのが法的な帰結ということになります。

しかし、そんなことは、小理屈の好きな弁護士なら平気で言えるかも知れませんが、普通の心ある保護者一般はとても言えないでしょう。Aさんはともかく、その子供がかわいそうだからです。

そうすると、周りのPTA会員の人たちは「まあAさんもお子さんと一緒にどうぞ」と行事に参加することを認めてあげることになる。結果、Aさん一家は、PTA会員が苦労して費用も出して開催する各種行事に「ただ乗り」することになるわけです。

Aさんなら「いや、うちはそんなただ乗りはしない」と言うかも知れません。それならAさんは自分の子供に対し、「うちはPTAの行事に参加してはいけないんだよ」ということを語って聞かせてやらないといけない。それはどう考えても子供に良い影響を及ぼすとは考えられない。

 

以上、私の考え方を整理しますと、保護者はPTAに加入する法的義務などない。しかし、教育現場においてはPTAの存在は子供の育成や諸々の問題解決のために不可欠であって、そこに加入するのは親としての当然の義務であると考えています。

PTAに限らず、人の世には、多数の人のちょっとずつの善意や協力の集まりによって、いろんなことがうまく回っているということが、多々あると思います。そこに法的観点を持ち込んで、それに参加する法的義務のあるなしを問題にすること自体がナンセンスであるというのが、私の結論です。

PTAへの加入は「義務」か 2

前回の続き。

PTAというのは法的に言えば「社会教育関係団体」という団体の一種であることがわかりました。私も昨日知りました。

そして、われわれ国民は、ある団体を作ったり、団体に加入したりしなかったりするのは自由で、入りたくもない団体への加入を強制されることはありません。

結社の自由というもので、憲法21条1項には「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と定めてあります。

 

もっとも、例外は多々あります。

たとえば私たち弁護士は、司法試験に受かって司法研修所を卒業しても、それだけでは弁護士としての業務ができません。各都道府県の弁護士会を通して日本弁護士連合会(日弁連)に加入し、その名簿に登録する必要があります(弁護士法8条・9条)。つまり、弁護士会と日弁連に加入することが強制されています。

私は、日弁連が出してる意見書(特定秘密保護法を廃止せよとか、死刑制度を見直せとか、取調べを可視化せよとか)には、たいてい反対の立場なのですが、だからといって日弁連の登録をはずしたり、弁護士会費を納めなかったりすると、弁護士として活動できなくなります。

その理由はいろいろありますが、カッコよくいうと、我々弁護士は時として国家権力を敵に回して戦わないといけないこともあるので、国や省庁の監督下に置かれると、国家権力にとって好ましくない弁護士が資格剥奪されるかも知れない。だから弁護士の統制や監督は弁護士会と日弁連が行う必要があり、弁護士はそこに所属しなければならない、ということです。

 

そういう例外を認める理由がない限りは、団体への加入・非加入は自由です。

学校や幼稚園のPTAにも、特に強制加入を認めさせるべき理由が見当たらず、そのため、公立学校や幼稚園が保護者にPTAへの加入を強制すると、憲法違反ということになります。

この点は、私が改めて述べるまでもなく、多くの方は気づいていると思います。

それでも、入学説明会のときに何となくPTA活動や会費の説明があって「よろしくお願いします」と言われて、そんなものかと聞き流しておいて、知らない間に加入していたことになっていた、というのが、多くの方にとっても実情だと思います。

説明があって特に断らず、文句も言わずに会費を支払っていたのだとすれば「黙示の承諾」があったと言えそうです。

ですから、前回紹介したPTA会費を返せという裁判では、PTAに入る義務がないのはその通りだけど、特に拒否もせず会費を払ってきたのだから、今さら返せというのは認められませんよ、ということになるのではないかと思っています。

 

では、さらにさかのぼって、入学説明会の時点である保護者が「うちは入会しませんよ」と明言したとしたらどうなるのか、この点は次回検討します。

PTAへの加入は「義務」か 1

熊本市で小学生の父親が、小学校のPTAを訴え、加入する義務もないPTAに加入させられ、会費を払わされたということで、PTA会費(合計20万円ほど)を返せと求めたそうです。

私自身が息子の幼稚園のPTAに関わっていることもあって興味を引きましたし、大きく言えば、学校・幼稚園のPTAに限らず、あらゆる団体における憲法上の「結社の自由」にも関わる問題ですので、少し触れてみます。

 

ここでも触れたかも知れませんが、私は昨年度と今年度、息子の通う市立幼稚園でPTA会長をやっています。

1年目の昨年度は、何もわからないまま過ぎて行ったという感じでした。

会合にいくと、周りの会話で「たんぴー」「くーぴー」とかいう何だか間延びした単語が飛び交っていて、「単P」(各幼稚園単位のPTA)、「区P」(区全体の幼稚園PTAの協議会)のことだと分かるまで、しばらくかかりました。

「しーおーぴー」という単語も聞こえて、何となくアメリカでいうCOPを想像し、たぶんPTAの中の精鋭部隊だろうと思っていたら、「市幼P」(大阪市全体の幼稚園PTAの協議会。「おー」じゃなく「よー」だった)のことでした。

 

それは雑談で、そもそもPTAとは何かというと、「ペアレンツとティーチャーのアソシエーション」の略語ですから、保護者と先生の集まり、ということになります。

(もっとも、区Pの保護者の中には、「パーッと楽しく遊ぶ」の略、と理解している宴会好きの人たちもいます)

 

法的にどういう位置づけをされているかというと、弁護士でありPTA会長をしておりながら、私もきちんと考えたことはありませんでした。

(いちおう、法学部生向けに教科書的に言えば、任意団体であって法人格なき社団にあたる、という程度の理解でして、これはこれで間違っていないと思います)

 

PTAの存在に何らかの法的根拠があるのかというと、ウィキペディア情報では、PTAは社会教育法の第三章(10条~14条)に定める「社会教育関係団体」であるとされています。

社会教育関係団体とは「公の支配に属しない団体で社会教育に関する事業を行うことを主たる目的とする」団体のことを言い(10条)、PTAはこれにあたるというわけです。恥ずかしながら、これも初めて見た条文ですが、たぶんこのウィキペディア情報で間違いないと思います。

この法律には、社会教育関係団体の定義があるだけで、PTAの定義があるわけではありません。PTAを各学校・幼稚園に作らないといけないとか、保護者がそれに加入しないといけないとかいう規定もありません。

冒頭に紹介した父親が「加入する義務もないのに」と言っている部分は、法的にはもちろん正しいことになります。

続く。

PC遠隔操作事件に感じたこと

前回書いたパソコン遠隔操作事件で、片山被告人が、22日の法廷で、一連の事件はすべて自分がやったと自白したそうです。これまで無罪を争ってきた片山被告人の弁護人(佐藤弁護士)も、裏切られた思いでいるのかも知れません。

 

この顛末に関して、我々弁護士、それぞれ思うところもあるのですが、おおよその思うところは一致していると思います。

それは、ウソをつく被告人でも弁護する必要があるということです。その理由はいろいろありますが、最大の理由は、日本国憲法に、被告人には弁護士をつけなければならないと書かれていることです。

私も、同じ立場にあれば、憲法上の職責として、佐藤弁護士と同じような弁護方針を取ったと思います。

 

付け加えて言えば、たいていの弁護士は、民事事件の依頼者や、刑事事件の容疑者・被告人に、ウソをつかれたことがあります。だから今回の事件を見て、多くの弁護士は、程度の差はあれ、同じような経験をしたことを思い出したことでしょう。

私にも、詳細は書きませんが、そういう経験があります。私自身は、事件の当事者というのは、自分に不利なこと、恥ずかしいことは隠したがるのが人情なので、ウソをつくのはある程度は仕方がないことと思っています。

だから、もし依頼者がウソをついていることが判明したとしても、私はその人を非難やら叱責することはありません。ただ、最初から本当のことを言っててくれれば、もっと別の弁護のやりようはあったのにな、とは毎回思います。

 

さて、多くの弁護士が、この一件の顛末から感じていることがもう一つあります。

それは、この事件に関しては、警察・検察の捜査が自白に頼り切りであったのがおそろしいということです。

片山被告人が逮捕されるまでの間、パソコンを遠隔操作された無実の人が4人も逮捕され、そのうち2人は「自白」したことです。警察が無実の人に「私がやりました」と言わせたのだから、相当に苛烈な取調べをしているはずです。

一方で、片山被告人は、「自作自演」で自滅するまで、「私は無罪」と言い続け、保釈までされていました。今回の自滅から自白に至る流れがなければ、裁判は検察側に不利な状況だったと、多くの法曹関係者は見ていたようです。

 

証拠で事実を明らかにするのでなく、容疑者や被告人の自白に頼るのは、捜査手法としては前時代的なものです。

今回は、私も仕組みがよくわかりませんがパソコンを遠隔操作したという事件でした。これから時代とともにいろんな新技術が現れてきて、警察も裁判所もよく理解しえないような複雑怪奇な事件も起きるかも知れません。

そんなとき警察が、証拠で犯人を突き止めるのは困難だから怪しいヤツに自白させてしまえ、という意識で捜査にあたってしまうと、またきっと同じようなことが起きます。多くの弁護士はそれを心配しています。

 

(注:片山被告人は現在まだ裁判中で、有罪が確定したわけではありませんが、その自白が真実であるという前提で書きました。)

PC遠隔操作事件の急展開について

更新が1か月以上あいてしまいました。

最近、たまに書いても幼稚園民営化の話ばかりと、古くからの読者に揶揄されたこともあり、違うことを書きます(とはいえ、本日、大阪の市議会で民営化の賛否が決議されるようなので、後日また触れる予定です)。

 

パソコン遠隔操作事件が急な展開を見せています。今後、ASKA逮捕のニュースに代わる勢いでさかんに報道されるのではないかと思います。

他人のパソコンを遠隔操作してインターネットに脅迫を書き込んだとして、片山被告人が裁判を受けています。起訴された罪名は威力業務妨害で、「コミケで大量殺人を行なう」などの書込みによって、コミケ(私も詳しくないのですが「コミックマーケット」の略で合ってますか?)の業務を妨害したということです。

 

起訴後、弁護士が保釈の請求をしました。保釈とは、ここでも何度か書きましたが、捜査が終わって裁判を待つ身になった人(つまり被告人)は、一定の保証金(金額は事案の内容に応じ、裁判官と弁護士の交渉で決まる)を納めて、身柄を解放してもらう、という制度です。

東京地裁は保釈を却下しましたが、弁護士の抗告(異議申立て)を受けて、東京高裁は保釈を認めました。今年3月、片山被告人は1000万円の保釈金を納めて、出てきました。

その後、この事件の「真犯人」を名乗る人から報道機関や一部の弁護士にメールが届きましたが、実はこれが片山被告人のいわゆる「自作自演」であった疑いが出たのが昨日のことで、今日、片山被告人は弁護士に「自分が真犯人」だと認めたとこと。今後、保釈が取り消されて改めて身柄拘束されるようです。まさに急展開です。

 

法的なことに触れますと、刑事訴訟法の96条に、どういう場合に裁判所が保釈を取り消せるかが規定されています。被告人が逃亡するおそれのあるときや、証拠隠滅の疑いがあるときなどです。

片山被告人は、別に真犯人が存在するかのようなメールを出したという疑いで、ウソの証拠をでっちあげることも真実の発見を妨げるものであって隠滅の一種とされます。

 

また、保釈の取消しの際には、裁判所は保釈金の一部または全部を没取することができるので、片山被告人は1000万円を取り上げられることが予想されます。

なお、今朝みたテレビで、このことを解説するときに「没取」(ぼっしゅ)と言ってました。「没収」(ぼっしゅう)と言わないのは、没収とは、刑法上、有罪判決を受けた人から犯罪の関係物件(凶器など)を取り上げることを言うためです。被告人から保釈金を取り上げるのは場面が違うので、こっちを「没取」と言って区別しているのです(刑事訴訟法96条2項)。

警察や法律家でもない限りは、別に区別する必要はありませんが、テレビでボッシュ、ボッシュと言ってて気になられたら、そういうこととご理解ください。

さらにどうでも良い話を付け加えますと、ボッシュと口で言ってもボッシュウと紛らわしいので、警察関係者は「没取」をボッシュと言わず「ボットリ」と言っているそうです(田宮裕「刑事訴訟法」新版(有斐閣)p259)。

 

私は今、ネットニュースで見た程度のことしか知らないし、真相がどうであるかも知りませんので、事件についてあまり立ち入った考察はできません。また続報を踏まえて、近いうちに、思うところを書きたいと思います。

袴田事件 再審決定に思ったこと 4(完)

無実の人が警察署で「私がやりました」とウソの自白をしてしまうのは、逮捕後の取調べの段階で弁護士がつかないことが多く、日本国憲法もそれを許容しているためである、という話をしました。

 

それを改善するために、弁護士がやりだしたのは「当番弁護士」という制度です。

これは、逮捕された直後の容疑者が弁護士との接見(面接)を求めた場合、警察署から弁護士会に連絡が入り、その日の「当番」として待機している弁護士が署内での接見に出かけるというものです。

その際、弁護士費用は要りません。当番で接見に行った弁護士には弁護士会から日当が出ますが、それは弁護士らが月々納めている弁護士会費から支出されます。

 

これが制度として定着したのは、きちんと調べていませんが、おそらくここ20年くらいではないかと思います。袴田事件が起こったのは昭和41年で、そのころは当番弁護士自体が存在しなかったはずです。

とはいえ、この制度の欠点は、最初の1回しか接見に来てもらうことができず、引き続いて弁護を依頼しようとしたら、私選の弁護士として依頼し、弁護費用を払う必要があることです。その費用がない場合は、起訴され被告人となって国選弁護人がつくのを待たなければならない。

だから、最初の接見で弁護士が、無実を訴える容疑者に対し「ウソの自白をするな、堂々と事実を主張しろ、警察の脅しに屈するな、裁判になればまた国選の弁護士が来てくれるぞ」と励ましたとしても、その後の勾留期間(短くても10~20日)を弁護士抜きで耐えるのは相当にキツイと思います。

 

そこで、当番弁護士だと限界があるということで、容疑者段階でも国選弁護人がつくようになりました。それが「被疑者国選弁護人制度」です。

これが導入されたのはごく最近でして、刑事訴訟法が平成16年に改正され、平成18年から実施されました。一部の微罪を除いて、現在では、逮捕された人には最初の段階から、国費で弁護士がつくことになっています。

これによって、取調べの段階でウソの自白をさせられるということはずいぶん減ると思います。

それでも、繰り返しますが、逮捕されたらすぐ弁護士がつく、という制度が確保されたのは、平成18年になってからのことであるのは、念頭においていただきたいと思います。

それまでには、警察官が容疑者を「型にハメる」ような取調べが行われていたとしても、その容疑者には頼るべき存在がいなかったという状況が、ザラにあったはずです。

加えて、近年のDNA鑑定等の科学的証拠の進化を踏まえて、今後も再審が認められるケースが増えていくのかもしれません。

 

結局、あまりまとまった話になりませんでしたが、これ以上に書き出すと専門的になりすぎる気がしますので(と言い訳して)、私の感想を終わります。

袴田事件 再審決定に思ったこと 3

前回、警察組織が容疑者にウソの自白をさせることがあると、お話ししました。なぜそういうことが起こるのかについて、もう少し付け加えます。

 

捕まった人がどうなるかというと、①警察署の留置場に入れられて取調べを受ける。②起訴されれば被告人となって拘置所に送られ、裁判の日を待つ。③有罪で懲役の実刑を食らうと、刑務所に送られる。ただし死刑囚は②の拘置所のままである。と前々回に書きました。

そして、袴田さんも、その他の再審で無実が確定している人も、多くは①の段階でウソの自白をさせられています。近年では、女児殺害容疑で無期懲役刑を食らって20年近く服役していた菅家さんが5年前に釈放され、その後の再審で無罪が確定しましたが、この方もウソの自白をさせられています。

 

この段階で、弁護士は何をしてたんだ? と感じた方もおられると思います。

この点、私が言うと言い訳じみてしまいますが、一般論でいうと「そもそも弁護士がついていなかった」というケースが多々あると考えられます。

もともと、日本国憲法の規定がそうなっているのです。

憲法34条には、何びとも、弁護士に依頼する権利を告げられない限り、逮捕・勾留されない(要約)、とあります。これは上記の①の段階の話です。

そして憲法37条には、被告人は弁護士をつけることができる。被告人が自ら弁護士に依頼できないときは、国が弁護士をつける(要約)、とあります。これは②の段階です。

 

①と②で大きな差があるのがお分かりだと思います。

①の、逮捕され取調べを受ける段階、つまり容疑者(法律上は被疑者といいます)の段階では、アメリカの刑事ドラマみたいに、「お前には弁護士を呼ぶ権利がある」とひとこと言えばいいのです。

容疑者のほうで「弁護士なんか誰も知りません」「弁護士に頼むお金がありません」といえば、「じゃあ、仕方ない」ということで、弁護士なしで留置場での勾留を続け、取調べをしてよいことになっています。

②の段階、つまり被告人になって裁判を受ける段階では、弁護士をつけて法廷で弁護してもらうことができます。弁護士をつけられない人は国費で弁護士をつける。これが国選弁護人です。

このように、憲法上、弁護士が必ずいないといけないのは②の段階のみです。

①の段階でもし刑事がムチャをしたとしても、②の段階では弁護士がつくし、裁判官がきちんと裁いてくれるから、無実の人がいてもきちんと見抜いてくれるだろう。と、憲法をつくる段階では、そう考えられていたようです。

 

実際には、そうはならなかった。だから再審で無罪になったというケースが、これまでにも多数でてきました。

(再審で無罪になったケースの実例は書ききれません。興味がある方は、刑事訴訟法の教科書を読まなくても、「再審」で検索してウィキペディアでもご覧いただければ、かなり詳細に書かれています)

警察が無理な取調べをし、冤罪を生んできた、その根本的な原因は、このように日本国憲法にあるのです。

続く。

袴田事件 再審決定に思ったこと 2

袴田さんは、警察の取調べを受けている段階で、無実であるのに「自白した」とされています(もちろんこれは弁護側の主張です。検察側は今も袴田さんが真犯人と言っています。その点は、今後の再審の中で明らかにされるのでしょう)。

 

警察署の留置場に留め置かれ、連日、刑事の取調べを受けている、それは過酷な状況であるのは分かるとしても、袴田さんは元プロボクサーで、心も体もずいぶんタフな人だったはずです。そんな人でもウソの自白をしてしまうものなのか。

これはいくら議論しても実感できるものではないので、乏しいながら私の見聞を書きます。

 

私は実際に、警察署の取調室に入ったことがあります。いや容疑者としてではありません。

被害者側の代理人として、告訴状を出したり、被害相談をしたりすることがあるのですが、そういうときは、署内の会議室とか食堂の片隅で話を聞いてもらうことが多いです。

あるとき、食堂も会議室も使用中だったのか、刑事課の奥の小部屋に入れられたことがあります。

これが取調室か、と思いました。畳2枚分くらいの、コンクリートの狭い部屋で、かなりの圧迫感でした。ここにずっといたら、確かに精神の平衡を失うかも知れないと思いました。

 

もう一つ、これは私の経験ではなく聞いた話です。

私が司法修習生だったころ、大阪地検に配属されて、容疑者の取調べをしたことがあります。これは検察の仕事を学ぶために、司法修習生が皆やることです。

私と同期だったある司法修習生は、指導役の検事から「容疑者にちゃんと罪を認めさせて、反省していると供述をとって、それを調書に残せたら、あとは不起訴で釈放しよう」という方針を伝えられていたのですが、容疑者が意地を張っているのか、なかなか自供しない。

その司法修習生は困ってしまい、その容疑者を護送してきた刑事に、どうしたものかと相談しました。

するとその刑事が言った言葉は「わかりました。型にハメて来ますわー」。

そして刑事は容疑者を警察署に連れて帰りました。

数日後、再びその刑事に連れられて検察庁に現れた容疑者は、司法修習生に対し、「すんません、私がやりました、すんません!」と、恐縮しきりで自白したそうです。

 

聞いた話なので多少の誇張が混じっているかも知れないのですが、司法修習生が同僚の司法修習生にわざわざウソの話をする理由もないので、たぶん実話なのだと思います。

袴田さんも、具体的に何をされたかは知りませんが、こうして「型にハメられた」のだろうと想像しています。

続く。

袴田事件 再審決定に思ったこと 1

前回の予告どおり、袴田事件に触れます。

これは、さかんに報道されていてご存じだと思うのですが、昭和41年、静岡の味噌の製造会社の専務の自宅が放火され、4人の死体が発見されたという事件です。

元プロボクサーの袴田巌さんが逮捕され、警察の取調べの段階ではいったん自分がやったと認めましたが、裁判の段階では無実を主張しました。しかし裁判所の認めるところとはならず、静岡地裁は昭和43年、死刑判決を下し、最高裁で昭和55年に死刑判決が確定しました。

袴田さんは昭和41年の逮捕以後、ずっと身柄拘束されていたのですが、先月、静岡地裁の再審開始決定を受け、釈放されました。

 

まず前提として、捕まった人がどこに入れられるのか、という話をします。すでに過去にも書きましたが、今回の事件の根っこにもその問題があると思うので、改めて書きます。

 

① まず、警察に逮捕された人は、警察署にある留置場に入れられます。そこで警察署の刑事の取調べを受けます。

袴田さんは静岡県下の警察署に留置されて取調べを受け、この段階でいったんは「自白」しました。

 

② 取調べが終わって検察に起訴され、刑事裁判を受ける立場(被告人)となった人は、拘置所へ移され、裁判の日を待つことになります。

犯罪が比較的軽微で、身元もしっかりしているなどの理由で、拘置所に閉じ込めておく必要はないと判断されると、一定のお金を預けて出してもらうこともできます。これが「保釈」です。

袴田さんは、4人殺害という重大嫌疑を受けていたので、当然、保釈はされていません。

 

③ 裁判で有罪となり、懲役の実刑判決を食らうと、今度は刑務所に行きます。そこで刑期に服する間、いろんな仕事(刑務作業)をします。

袴田さんは、この刑務所には行っていないはずです。現に袴田さんが釈放されたとき、出てきたのは東京の小菅にある東京拘置所からでした。

 

このように、死刑囚は③の刑務所ではなく、②の拘置所にいることになります。

理由は知りませんが、私の理解では、刑務所とは社会復帰のための場所であり、刑務作業も社会復帰の準備に他なりません。しかし死刑囚は社会復帰を前提としていない。死刑執行を待つだけの身です。だから純粋に「待つ」ことだけを目的とする施設である拘置所に入っているのだと思われます。

 

ですから拘置所の中では、裁判の日を待つ被告人と、死刑執行の日を待つ死刑囚の、2種類の人が拘置されていることになります。

そして死刑囚の部屋は独房で、他の死刑囚と会話も禁じられ、死刑執行の日は伝えられることなく、その日が来たら、看守が朝とつぜん迎えにきて、そのまま死刑台に送られる、という話も、多くの方がご存じかと思います。

袴田さんは昭和41年の起訴後、48年間を拘置所ですごし、そのうち最高裁判決後の36年間を、確定死刑囚ということで、絞首刑になるのは今日か明日かという気持ちですごしてきたことになります。

次回へ続く。