ある消費者金融との会話より

昨年11月以来、しばらくぶりの更新です。何度も言っていますが、さぼりがちですみません。
最近、複数の依頼者に「ブログ見てますよ」と言われたので、少しずつでも書いていこうと思っています。ちなみに、「見てますよ」と言ってくださる方の多くは、それなりに調べて書いているつもりの法律問題ネタではなく、「ハワイ旅行記」読みました!とおっしゃいます。
ですので今回も、多少雑感的に書きます。

消費者金融からお金を借りすぎて、これを整理したい、という依頼はよくありますが、なかには、借りてからずいぶん期間が経っているものもあります。
先日、返済期限が10年前に過ぎている借金を、今になって「返せ」という催促状が来たとの相談がありました。消費者金融からの借入れは、請求もされず返済もせず、5年を経過すると、商法上、時効で消滅します。
「借りておいて何も言われなかったからって時効で踏み倒すってどうなの?」と感じる向きもあるかも知れませんが、弁護士としては立場上、依頼者の代理人として、「消滅時効にかかっているから払わない」という対応を取ることになります。

そういう文書を、とある消費者金融に送ると、担当者が私に電話してきて「その方は、長年海外に行っていたから、時効は停止していますよ」と言ってきました。すべては書きませんが、借りたまま一切返しもせず国内や海外を逃げ回っていた、というような話を、延々まくしたててきました。
私はその話を一通り聞いたあと、「それで、海外に在住していると民事上の時効が停止するという法的根拠を教えていただけますか。恥ずかしながら、不勉強なものでして」と言うと、その担当者はとたんにアヤフヤになりました。

たまに勘違いしている人がいますが、海外にいると時効が停止するというのは、刑事裁判のほうの話です(刑事訴訟法255条)。そういうドラマや実際の事件があったりするから、混同されているかも知れませんが、お金の貸し借りという民事上のことは、海外に行っても時効が停止するわけではありません。
もちろん、その消費者金融の担当者は、そのことを重々承知していながら言っているはずですが、素人相手ならともかく、弁護士によくもそんなことをヌケヌケと言ったものです。CMなんかも流してて、それなりに名の通った消費者金融なのですが。
ここに限らず、消費者金融は、そういう知識を持たない人から、このやり方で時効にかかった債権の回収を図っているのだと思います。

生きていく上で正しい知識を持っておくことは大切だなと、この仕事をしているとよく思います。
そして、一般論として、よく分からない話をまくしたててくる人に対しては、議論に乗らずに聞き流した上で、最後にアホな振りして「すみませんがその根拠を教えてもらえますか」と言い放てばよいのだと思います。私もよくやってます。

 

学校校歌は時代と共に

運動会のシーズンです。私ごとながら、息子は小学校の運動会の徒競走では1等賞になり、なかなかの活躍をしておりました。さて今回は全くの雑談のつもりで書いています。

先日の運動会で児童たちが歌っていた校歌のフレーズが、心に残っています。
校歌の結びが、

「規律正しく知を磨き 徳を治めて身を鍛え 進み行く世の文明に 遅れぬ人と生い立たん」

とあります。
少し気負った感じもしますが、個人的には好ましいと思っています。
大阪市西区の某小学校なのですが、昨年で開校140周年だったので、明治7年(1874年)の開校ということになります。
いかにも、時代が明治に変わった直後の歌という感じです。国民あげて国力の増進を目指し、子供たちも知徳体の錬成に励んでいた、というイメージがわいてきます。

一方、私自身の小学生時代は、実家のある大阪市東成区の某公立小学校に通っていました。その校歌の出だしは今もよく覚えていますが、

「今日の力は今日出して 明日の力は明日出せば 命は常に輝いて 湧き立つ知恵に 澄み切るまなこ」

というものでした。
イメージ的には、そんなに気負いを感じなくて、いかにもマイペースでがんばりながら目を輝かせている子供たちが思い浮かびます。
この小学校は、ウィキペディアで見てみると、昭和6年(1931年)の開校です。まだ、戦争で世の中が暗くなる前のことで、大正デモクラシーがまだ衰えきっていなかった時代の、明るく進取に富んだ時代の息吹をうかがわせます。

学校の校歌もその時代の背景を反映しながら、その時々のいろんな価値観が盛り込まれているのだな、と感じた次第です。
ただ、ごく個人的な感想を言いますと、私自身は小学生時代に、自分で自分たち児童のことを「澄み切るまなこ」などと歌うのは少し気恥ずかしい気がしていました。
いかにも明治風の気負った古い言い回しであるとはいえ、まだ「進み行く世の文明に 遅れぬ人と生い立たん」と歌うほうが、自分自身にとって謙虚な気がしますし、学校という教育機関の本来のあり方を正面から言い切っているあたりが、気に入っています。

ハワイ道中記2015 その4

ハワイ観光の話に戻します。
前回の旅程一覧には書いていませんでしたが、4日目、自動車でノースショアへ向かう途中に、パールハーバー記念館に行きました。ご存じの真珠湾と、その周りに真珠湾攻撃に関する博物館があります。
日本人にとっては、やや複雑な思いを禁じ得ない場所であり、アメリカ人にからまれるんじゃないかと一抹の不安はありました。
アメリカ人にもし「卑劣なジャップ!」とか言われたら、こちらも「ユー デストロイド キングカメハメハ」…お前らだってカメハメハ大王を滅ぼしたんじゃないか、と言ってやるつもりでした。

さて、身構えつつ行ってみたパールハーバー記念館は、実際には、からまれることもなく過ごしました。
私たちはお金を払って見に来ている客なので、当然といえば当然なのかも知れませんが、係員(白人もいれば現地人っぽい人もいる)は皆、親切丁寧でした。係員だけでなく、見物客も総じて親切で、私の息子が展示物を見たり触れたりしやすいように譲ってくれたり、私がトイレで手拭き用の紙の引っ張り出し方が分からずマゴマゴしていると「ヘイ!」と教えてくれたりしました。

展示されている潜水艦の内部の見学もしました。入口で係員が「ココデ写真トルヨ~」と日本語で言いました。
音声案内のヘッドフォン(数か国語のものが用意されてあり、もちろん日本語もある)をつけて艦内に進むと、音声案内がヘッドフォンから流れてきます。
音声ではまず「1940年12月7日は、アメリカ史上、最も不名誉な日である…」とアナウンスが流れてきます。その後は、潜水艦の各所でどんな作業や暮らしが行われていたか、またどのように魚雷を撃つのかなど、淡々と説明が続きます。

甲板に上がると、係員らしい白人の年配女性がおり、その人が、分かりやすくいうと大阪のおばちゃん的なオーラを出していて、いろいろ説明してくれました(残念ながらほとんど理解できず)。「ピクチャー!」とか言うのでカメラを渡すと、私たち家族の写真を撮ってくれました。1枚撮ってもらって「サンキュー!」というと、「ここも」「ここも」と指差すので、必ずしも広くない甲板上の5か所ほどで撮影してもらいました。

良い天気で、甲板から見る真珠湾は穏やかでした。
真珠湾攻撃の日はアメリカ史で最も不名誉な日であるというのが、アメリカ人の大多数の考えであるかどうかは知りません。しかし、思えば、あのころは日米が憎みあって戦争しながら、終戦後は同盟国の関係になったわけです。
第二次大戦後も、東南アジアや中東では戦争が絶えず、社会主義・共産主義を目指した国々は貧困やら内乱でバタバタと倒れていった。その中で日本とアメリカは、大きな混乱もなく、価値観の転換を迫られることもなく、例外的な繁栄を保ってきました。
その事実をどう表現してよいか、一言では片付けられませんが、私はこの、大阪のおばちゃんオーラの係員に写真を撮ってもらいながら、菊池寛ふうに言えば「恩讐の彼方に」、ニーチェふうに言えば「善悪の彼岸」という言葉を思い浮かべていました。

小1の息子はまだ理解できないと思うので、ただ「昔、日本人がここに爆弾を落としにきた。アメリカ人は、この潜水艦から、魚雷で日本の船を撃った」と、事実だけを伝えておきました。将来、歴史の勉強をしたときに、何か思い出すことがあるのかないのか、それはわかりません。

ハワイ道中記2015 その3

日本人はかように、事前の規制を重んじる、という話をしておりました。
事前の規制や決まりがあれば、日本人はその範囲で安心して行動でき(そのため自己責任で判断するとか、自由競争とかいう観念が育ちにくい)、何か問題が起こると、そのときに白黒つければ良いとは考えずに、事前に何をやってたんだ、という話になって結局「自粛」に至る。日本社会で良く見る話です。

もっとも私は、これを悪いことだとは思っていないし、規制緩和・自己責任・自由競争を徹底するのが正しいとも思っていません。同じような話を何度もしましたが、これは国民性の問題であって、どっちが望ましいとかいう話ではありません。
大昔から、狭い国土で台風や地震や津波に脅かされながら、みんなで協力して農作業に従事してきた日本人は、その狭い社会の中の人々が気持ちよく働けるように、調和を重んじ、何ごとにも遠慮(事前規制)をし、何かするにしても事前の根回しが必須とされた。
アメリカ人は、イギリスから飛び出して、アメリカやハワイを開拓し(そして原住民を大量虐殺し)、自分の住むところをどんどん拡大していった。根回しや遠慮や全体の調和という考え方自体を持たなかったのでしょう。

今回のハワイで、遊泳規制が出ているのにビーチで泳ぐ人たち、一歩間違えると死んでしまうような大岩からどんどん飛び込む人たち、そしてそれらを取り締まろうともしない当局、そういうのを見て、改めてそんなことを感じました。
日本は今後も、小沢一郎の「日本改造計画」(のゴーストライターの学者)が目指したような社会にはならないだろうし、司法改革などというものも失敗に終わるだろうと思います。

さて、全然ハワイの話でなくなってきたので、タイトルに「道中記」とあるとおり、道中のことをざっと書きます。

1日目。昼ころ、ホノルル空港からシェラトンホテルに到着。空港でJTBの人に「今日は晴れて良かったですね、昨日までバケツをひっくりかえしたような雨でした」と言われる。チェックイン後、遊泳規制に気づかず息子とビーチで泳ぐ。夜、一人でホテルのバー「ラムファイア」へ。

2日目。遊泳規制の貼り紙に気づくも、昨日より泳ぎに来ている人は増えていたので、同じように泳ぐ。今年もオプションのクルーズで船に乗る。そのゲストになぜか「ジバニャン」(の着ぐるみ)が来て、一緒に撮影できるイベントあり。アメリカ人の商魂たくましいと思う。

3日目。ロイヤルハワイアンホテルの「マイタイバー」へ。アラモアナセンターなどで買い物。

4日目。懇意の知人と合流し、車でノースショアなどへドライブに。ジャンプ・ロックから飛び込む人たちを眺める。名物のフリフリチキンとシュリンプを食べる。

5日目。ホテルのプールとビーチで終日遊泳。

6日目。帰国日。ハリケーンが迫っているらしく、その影響か分からないけど帰りの飛行機(デルタ航空)のアトランタからの到着が遅れ、空港で4時間半ほど足止めされる。ラウンジでウイスキーを何度もお代わりしたので女性係員に顔を覚えられたか、お代わりのたびに「まだ飲むの?」という顔で「Oh!」と言われる。その後、機中泊の上、無事帰国。

書いてみると、典型的な日本人のハワイ旅行という感じで、特に変わったことはしていないのですが、またそんな中から感じたことなど、もうしばらく続きます。

ハワイ道中記2015 その1

このところ、法律問題に関する記事をほとんど書いていないままですが、今年も、夏の家族とのハワイ旅行の道中記と、いろいろ感じたことなどを書こうとしております。

この3年ほど、8月下旬に1週間ほどの休みをいただいております。 出発日も昼すぎまで事務所で仕事を片付けていたのですが(フライトが夜の出発ため)、そのとき、ワイキキビーチが大雨の影響で下水が海に流れ込み遊泳禁止になった、というネットニュースに接しました。 幸先の悪い話だなと思って、出発しました。

しかし、到着初日のワイキキの海は「言われてみればちょっと濁ってるかな」という程度で、普通に人が泳いでいました。私と息子も海に入りました。 滞在2日目に気づいたのですが、やはりワイキキ当局は遊泳を規制していたようで、ホテルからビーチに向かう通用門に、英語と日本語でそういう注意書きが書かれていました。

もっとも、誰かがビーチに出動して遊泳をやめさせるようなこともありませんでした。 当局として一応規制はするけど、泳ぐかどうかは自己責任、海の様子を見て各自判断せよ、という、アメリカ的な考え方なのでしょう。この規制、その後どうなったか知りませんが、3日目には貼り紙がなくなっていました。

今回の旅行では現地で合流した懇意の方(日本人の知人)がいて、車でオアフ島の北のノースショアに連れていってもらいました。その海岸に、ジャンプ・ロックという有名な大岩があり、そこから海に飛び込む人を眺めました。 これ、間違えると死んでもおかしくない断崖絶壁なのですが、人がどんどん飛び込んでいました(ちなみに私たちはその日はドライブが主目的だったので、遠くで眺めただけです)。

これも現地の人は皆、自己責任ということで飛び込んでいるのでしょう。 日本の海だと、何か事故があるときっと、海を管理する都道府県の責任だ、ということになって、そうならないよう危ないところは柵が張られ立入禁止になるでしょう。

ここで私は、かつて小沢一郎が政治家として注目されていたころに書いた「日本改造計画」(講談社、平成5年)を思い出します。 この本の出だしは(私は読んでないのですが)、小沢一郎がアメリカでグランドキャニオンを見て、柵などの安全措置を一切していないことに感動した、日本ではこうはいかない、という話から始まるのだそうです。 そして小沢一郎は、日本社会においてももっと、規制緩和、自己責任、自由競争という考え方を押し広げていくべきだ、という論理を展開します。

最近、この本は小沢一郎が書いたのではなく、複数の学者(小泉内閣のとき大臣だった竹中平蔵とか、政府の諮問委員をやってた伊藤元重とか)がゴーストライターとして書いたことが明らかにされましたが、これらの学者はその後、政界や学界でも主流の地位を占め続けたので、「日本改造計画」に書かれたことはそのまま、近年の日本の政策に反映しているはずです。

…いつもハワイと話がずれていきますが、この夏ハワイで見た光景を踏まえて、そういった話を続けます。

ハワイにて思ったことなど 2014夏 その5(完)

HISという旅行会社のCMで、親子3人ハワイへ行って、CMの最後に女の子が「まだ帰りたくないなあ」とつぶやくのがありますね。

うちの息子がどう思ったかは知りませんが、私は旅行後半は正直「そろそろ帰りたいなあ」と思っていました。たまっている仕事も気になるし、トイレはどこへ行ってもウォシュレットじゃないですし。私はやはり日本で住むのが一番だと、帰ってきて改めて思いました。

 

その帰りの飛行機の中、持参していた文庫本をあれこれ読んでいて、織田作之助の作品集(ちくま日本文学シリーズ)なんかを読み直したりしていました。

織田作之助といえば、「夫婦善哉」の作者であり、太宰治や坂口安吾と並んで「無頼派」と呼ばれた作家であり、私の高校の先輩でもあります(旧制高津中学、現在の府立高津高校)。

その中に「猿飛佐助」という作品があります。おなじみの忍者の話です。

ストーリーは、佐助というアバタ面の大男の前に仙人が現れて忍術を授け、その後の佐助の修行と諸国漫遊の旅が書かれます。

 

話の中で、仙人が修行を終えて世間に出てゆく佐助に対し、人々と接するにあたっては「人しばしばその長所を喜ばず、その短所を喜ぶものと心得べし」と諭します。得意になって忍術を人前で披露してはいけない、ということです。

佐助は、真田幸村の配下となって信州上田城に出入りし始めますが、忍術を習得していることを決して表に出さず、自分のあばた面をネタにして笑いを取りながら、城内の人々に愛される存在となっていきます。

それで佐助は、仙人の教えは正しかったと痛感するわけですが、同時に「佐助にひそかに恃(たの)む術がなかったとすれば、あるいはその短所のために卑屈になったかも知れず、その時は短所を喜ばれることもなかったであろう」ことも感じます。

つまり、自分は忍術を習得した強い男であるという内に秘めた自信があるからこそ、普段はあばた面をさらしてヘラヘラしている余裕ができたというわけです。

 

私は、そういう態度が日本における理想的な姿勢なのではないかと思っています。

忍術でなくとも、学問やスポーツであれ、また人と議論する論理力であれ、何がしかの能力やスキルは、しっかり持っている。しかしそれらは生きていく上での「ツール」に過ぎないものであって、やたらひけらかすようなものではない。

もっとも、自分の能力に裏打ちされた自分なりの考えというものを全く持たずに、ただ単に他人に気遣ったり迎合したりしているだけでは、本当に中身のない人間になってしまって、日本社会ですら生きていくのが困難かも知れない。

そういうことで、私自身は、アメリカ流の合理主義の良さを理解しつつ、普段は日本人らしい謙虚さや奥ゆかしさ、そして他人への配慮のほうを、まずは重視する人間でありたいと思いますし、息子にもそうなってほしいと思います。

 

結局、最後までまとまらないまま、ハワイの話もほとんど書けていなくてすみません。実はホテルのプールやビーチでぼんやりしていただけでして。それでも息子がプールで顔をつけて浮かべるようになったので、もうそれで充分でした。

終わり。

ハワイにて思ったことなど 2014夏 その3

ずいぶん間が空いてしまいましたが、続き。

前回書いたようなハワイで経験する会話は、アメリカ流の「合理主義」に基づくものなのでしょうが、私は嫌いではありません。事実を端的に伝える、わからないことはわからないとハッキリ言う。私が弁護士という商売をやっていることもあって、それは非常に重要なことだと思っています。

多くの日本人の日常会話は、そうではありません。飲食店なんかの軒先でも「申し訳ありませんが只今満席でして」と、まずは相手の意向に沿えないことを謝罪する文言から入り、「すぐにご用意いたしますので」と、相手の意向に沿うため最大限の誠意を示す言葉が続く。

相手に事実を正確に伝える、ということではなしに、相手が不快に思わないようにする、というのが日本流の会話の要諦です。会話における日本人のこうした態度は、やや大げさに言うと「思考経済」というものに悪影響を及ぼすと思っています。

思考や会話のすみずみに、まずは相手に配慮しないといけない、という考慮が働くため、事実を捉えてそれを相手に伝える、という姿勢が希薄になるのです。そのため日本人は、科学的または哲学的な会話が苦手であり、科学者や哲学者が生まれにくく、育ちにくいと思っています。

 

といっても、私は決して、日本流の思考や会話が、アメリカのそれに比べて劣っていると考えているわけではありません。それらは、それぞれの国の歴史や風土に結び付いて形成されたものであって、どちらが優れているとか論ずべき類のものではありません。

アメリカは、イギリスのはねっ返りの連中が作った国であり、アメリカインディアンやハワイの先住民を虐殺しながら国土を拡げてきました。気に入らないことがあったらどこかへ放浪して、行く先で土地を略奪してきた人たちです。相手を配慮することより、自らの思考を相手にぶつけることを優先する、それが染みついています。

日本人は、狭い国土に収まって、地震や台風に悩まされながら、何とかみんなで力を合わせてお米を作ったりして生きながらえてきました。有史以来、客観的事実とか合理的思考などというものより、みんなが気持ちよく協力して働けることを重んじてきました。

どちらが優れているとも思いません。私がたまたま弁護士だから、アメリカ流の合理主義は機能的には良いものだと思いますが、少なくとも、この日本で暮らしていくには、日本流のやり方のほうが互いに住みよいのでしょう。

 

そんなことを、先日のハワイ旅行を経て、改めて思っていたのですが、つい先日、青色発光ダイオードを発明した中村教授が、日本からアメリカに飛び出して、今年のノーベル物理学賞を取ったというニュースを聞きました。

まとまらないまま、次回へ続く。

ハワイにて思ったことなど 2014夏 その2

ハワイにて感じたことを、脈絡なく書き続けます。

滞在なかばのある日の夕食に、ステーキやらローストビーフばかりの食事にも少し飽きたので、家族でトンカツ屋にでも行こうということになりました(まだ私も若いつもりなので、あっさりしたものが食べたいなどとは思いません)。

それで、日本の資本が経営している、とあるトンカツ屋に、予約の問い合わせを入れると、「予約は取ってないから、とにかく店に来てください」とのことでしたので、午後6時すぎころ、その店に行きました。

かなり繁盛しており、空いているのは店の奥のテーブル一つでした。

 

その店の日本人らしいスタッフが出てきて言うには「奥のテーブルは午後7時から予約が入っているから、7時までならそのテーブルを使ってもらっていいです」とのことでした。

(こっちが問い合わせたときは予約を取ってないと言ってたじゃないか、とは言わないことにしています。一見の客の予約は受けないが、その店にお金をたくさん落としてくれる馴染みの上客なら予約を受け入れる、というのは、資本主義の世の中では当然のことだと思います。それがイヤならそういう店には寄りつかなければよいのです)

つまり1時間弱ならテーブルが空いているわけで、一人で食事するなら充分な時間なのですが、子連れでもあり、あまり慌ただしい食事もどうかと思いまして、私は店員に「料理が出てくるまでどれくらいの時間がかかりますか」と尋ねました。

その店員は「注文の状況にもよりますし、揚げ物のことですから、時間はわからないです」と、極めて明確に答えました。たしかに、店の案内係の店員が、店内の注文の状況やら揚げ物の調理の進行具合まで全て把握しているわけではないでしょうから、考えてみれば当然の回答でしょう。

結局私は「それでは結構です」と言い、店員は「そうですか」とだけ言って、私と家族は店を出ました。

 

私はその店員の言葉に、そのときは何と無愛想な、と感じつつも、改めて思えばずいぶん的確な対応だったと思っています。

これが日本国内なら、店員はまずは「申し訳ありませんが、ただいま満席でして」という言葉から入ると思います。

それでこちらが「どれくらいで空きますか」「どれくらいで料理が出てきますか」と尋ねたら、多くは「すぐにご用意できると思います」と言うでしょう。その結果、すぐに用意してもらえず延々待たされた経験をお持ちの人は多いでしょう。

時間がかかるなら最初からそう言ってくれれば良いのにと思うことが、日本国内ではよくあります。最初からハッキリ言ってくれれば、こちらも対処の仕方を考えることができるのに、と。

ハワイのトンカツ屋の店員は明らかに日本人でしたが、ハワイ暮らしが長いのか、そういう日本的風習は持ち合わせていませんでした。「申し訳ありませんが」とか「すぐにご用意を」などという日本的な言辞は使いませんでした。

おかげで私は、店に入ってからイライラする時間を過ごすことなく、違う店に移ることができたのです。実に合理的な対応というべきです。

 

この話、まだ続く。

ハワイにて思ったことなど 2014夏 その1

1か月以上、更新がないままになってしまってました。この間、私は家族と恒例の(といっても2回目ですが)のハワイ旅行に行ってました。今年も多少、そのときのことに触れてみます。

 

去年は、来年もハワイに行けるのならもっと英語で話せるようになろうと思って、多少は英会話も独学しました。

と言っても、市販の英会話のテキストをかじったのと、ブルース・リーの映画を英語音声・英語字幕で観ていた程度なのですが。しかもブルース・リーの映画の後半は「アチャーッ!」とか言ってるばかりで、たいしてセリフが頭に入りませんでした。

それでも去年に比べると、少しはこちらの用件が伝えられるようになりました。しかし、多くの方が同じ経験をしていると思いますが、向こうの言っていることを聞きとるのは、まだまだ困難でした。

 

去年、当ブログで、シェラトンワイキキのバーに一人で入って、何度か聞き直しながら、何とかマティーニをオーダーできた話を書きました。だから今年はもうだいじょうぶだろうと、早めの時間に息子と二人で同じバーに行きました。

で、やってきた女性店員に「マティーニ」というと、向こうはジンかウォッカかを聞いてきて、ジンと答えたら次はタンカレーとかボンベイサファイアとか、ジンの銘柄を聞いてくる、ここまでは去年経験したとおりにオーダーしました。

息子にはジュースをと思って、「Any juice?  To him」(英語として合ってるかどうかは知らない)と店員に聞くと、それに早口で答えてきた内容が理解できず、「Pardon?」(これも合ってるかどうか知らない)と聞き返してしまいました。

その店員は「グァバ、オレンジ、パインアップル」と、やはりジュースの銘柄を聞いていたのです。わかってみればごく簡単な英語です。

結局、現地の人の英語が聞き取れるかどうかは、こちらが話したことに対して、どんな答えが返ってくるかが予想できているかどうかによるところが多いのでしょう。だからおそらく、日本国内で英語のCDなどを聞いているだけでは限界があるのでしょう。

 

同じような話は、国をまたがず日本国内でもよくあることだと思います。

たとえば私は以前、東京地裁への出張帰りに銀座の居酒屋に一人で飲みにいき、「ビールください」と頼みました。居酒屋の大将は何か早口で言ったのですが、私には聞き取れず語尾の「……サシ」だけが聞こえました。

ふつう居酒屋でビールと言ったら次は「生ですか、瓶ですか?」という言葉が来ると思っていたので、ややとまどって聞き返すと、大将は「サッポロ、キリン、アサシ」と言ったのです。瓶ビールの銘柄を聞いていたわけです。「アサヒ」が「アサシ」になるのは大将が江戸っ子だからでしょう。生ビールは置いてないというのも潔くて良かったです。

 

と、まあ、ワイキキのバーでも銀座の居酒屋でも、そこでの言葉のやり取りを体験しないことには、身につかないことも多いのだなと思います。

語学であれ何の勉強であれ、また酒の飲み方であれ、息子には何でも飛び込んでみて体験して学んでほしいものだと思いましたが、たぶん息子は何も考えておらず、ただ夕暮れ時のワイキキの風にふかれつつパインジュースを飲んでいました。

PTAと地域活動への「ただ乗り」について

PTA問題については、引き続き、ちらほらとご意見メールをいただいております。

もっとも、「これ読んでください」って感じでリンクをたくさんはったり、一気にたくさんのメールをお送りいただいたりすると、私のアウトルックが「迷惑メール」と判断してしまいますので、ご注意ください。

また、「PTAが抱える問題をわかってください」的なメールをいただいても、どこの誰が(名乗ってくる人はいない)、具体的にどんな問題に直面しているのかについて、何ら言及がないので、この問題に興味を持つ私としても残念ながら論評のしようがありません。

私自身は、繰り返しになりますが、PTA活動は重要で、私も今後その中で求められる役割を果たしていくつもりです。結社の自由だから加入を強制はできませんが、PTAには加入しないけどその成果(教師や地域との意思疎通、行事運営の円滑化など)にただ乗りするような生き方は、他人がするのは勝手だけど、私自身は恥ずかしいからしたくないと思います。

 

その延長上で、似たような話をします。

例年この季節は、地元の夏祭りや盆踊りやらで、私もPTA役員の一人として運営に関わり、町内会の中堅や長老さんたちとお話しする機会が多いです。

私が居住する大阪市西区は、近時、マンションがどんどん新築されており、私の地域の幼稚園・小学校の園児・生徒数は増加の一途をたどっています(私自身も4年前に東成区から引っ越してきた新しい住民なのですが)。

町内会としては、新築マンションが建つと、そこの管理会社か自治会長と話に行き、マンション住民が町内会に所属してくれるようお願いするらしいのですが、最近は、断ってくる人も多いとのこと。月々の管理費が数百円あがる程度ですが、権利意識の強い住民は「よくわからない活動に数百円でも出すのはイヤ」と言ってくるのだそうです。

 

町内会の長老はなげきます。

うちの地域がなぜ、公立の学校も幼稚園も伝統がある人気校とされるのか、小学校には全国有数の広い運動場と大きいプールがあるか、西区の中でもとりわけ街並みもきれいとされるのか(この地域にマンションがどんどん建って、しかも売れるのは、そういった地域としての評判も大いにあるはずです)。

それは明治のころから、地域の人たちが町内会を結成して、公のインフラ整備のために寄付をしたり募ったりして協力してきたからだと。

これから地域に入ってくる人が、町内会には入らない、でも町の公共設備は使うというのも、まさに「ただ乗り」ということになります。

 

町内会も任意団体ですから加入を強制できず、この手のただ乗りは「違法」ということはできません。でも私は上記のとおり、そのような生き方は恥ずかしいと思っています。

それを恥ずかしいと思わない人が増えれば、共同体というものが崩壊していくことになります。その先にあるのは、ずいぶん異質な社会でしょう。それが果たして、良いものであるかどうかはわかりません。

やや抽象的な締めくくりになりましたが、ひとまずこのへんで。