阪神淡路大震災を思う

阪神淡路大震災から、昨日(令和2年(2020年)1月17日)で四半世紀となりました。当時のことを少し思い返してみます。

私は、平成6年に大学を卒業して、バブル崩壊直後ということもあって企業に就職せず、その年に司法書士の資格をとって、平成7年1月から司法書士事務所に見習いとして勤務していました。

勤務開始から1週間後に、あの地震が来ました。
そのときは、鶴橋の実家近くの安アパートに一人で住んでいて、テレビを置いていなかったので、ニュースなどを見ていませんでした。地響きの音で目覚めましたが二度寝しました。

周辺では特に被害はなかったのですが、駅に行くと地下鉄が止まっていたので、自転車で散歩する気持ちで、のんきに司法書士事務所のある阿波座に向かいました。
その道中、ビル壁やら商店街のアーケードやらが道に落ちているのを見て「え?」と思いました。

その後、被害の大きさをだんだん知って愕然とする、という経緯は多くの方と同じでしょう。

そのころ、土日には、司法書士会の新人研修のため、谷町の司法書士会館に通っていました。講師の一人に神戸で開業していた司法書士の方がいて、ビルが傾いたという話をしていました。
「事務所は潰れたけど、これから新築の登記の需要で儲かると思います」と、泣き笑いしているような表情で言っておられました。

そんな需要が来たら、自分の司法書士としての存在意義も増してくるのかな、と思いつつ仕事してましたが、1年ほど勤めた結果「やっぱりこの仕事は自分に向いてない」という結論に至ります。几帳面に登記関係の書類を作るという作業が合ってなかったと思います。
そこから今度は、弁護士になろうとして司法試験のために2年ほど勉強し直しました。

自分のキャリア(というほど大したことないですが)をたどっていくと、最初にあるのがあの地震です。
私は幸いに生きて、なりたい職業に就くことができました。そのことに感謝しつつ、亡くなられた方に改めて黙祷を捧げたいです。

 

……あと話は全然変わりますが、黙祷もいいけど神戸の経済的復興のために、皆さんもっと神戸のバーとか飲みにいきましょうよ!! 私も最近あまり行けてませんけど…