入学式に出席しない教師をどう思うか

埼玉県の高校教師が、自分の子供の入学式に出席するため、勤務する高校の入学式を欠席したという話、賛否両論に分かれつつ、盛り上がっているようです。

 

これについての私の見解は単純明快です。

高校教師は、所定の年休を得るため、校長の許可など所定の手続きを取って休んでいるのだから、その行動に法的問題は何もない。

休むことを許可した校長は、入学式の進行ついて裁量権を持っており、その裁量に基づいて許可を出したのだから、これも法的問題はない。

法的にはそうなると思うので、その先は個々人の感想、価値観の問題になってしまい、どちらが正しいということは言えないと思われます。

ただ、私の「感想」としては、入学式より自分の都合を優先するような教師に、私は子供の教育を任せたくないし、私の息子が将来学校に通いだして、そんな教師がいたら決して仲良くできないし、そんな教師からPTA活動への協力を頼まれても断ると思います。

今回の埼玉の高校教師というのがどんな人かは知りませんが、この一件によって、生徒や保護者からの尊敬や信頼を得られなくなるのではないかと思います。

 

少し話は違いますが、私はこの一件を聞いて、最近この時期になるとよく出てくる「新入社員は会社の飲み会に付き合わないといけないのか」という話を思い出したのです。

これも答えは決まっています。社員に、終業時間後の飲み会に付き合う法的義務はない(付き合う義務がある、というのであれば、それは勤務時間に該当してしまうので、会社は残業手当を出す必要がある)。

ただ、そういう付き合いを一切拒絶するような人は、そういった場でしか得られないような社内の情報や人的交流を得る機会を失い、それがひいては、その人の人事評価にも影響してくると思います。

 

教師には必ず入学式に出席するという法的義務はなく、会社員には飲み会につきあう法的義務はない。だから出席しなくても、法的な意味での責任追及(解雇、減給、損害賠償など)がされるわけではない。

ただ、法律に触れないというのは、あくまでそれだけの意味でしかない。

それを越えて、職場で信頼関係を勝ち得たり、より質の高い仕事をしたり、仕事を通じての自己実現(さらには出世栄達)を図ったりしようというのであれば、法律を守っているだけではダメで、自分が職場や世間から求められている役割を十二分に果たさなければならないと考えています。

そんなのはおかしい、と感じる人もいるかも知れませんが、たぶん、多くの日本人の素朴な感情がそうなっているので仕方がない。

それがイヤなら、日本国籍を捨てて海外に移住するのは自由だし(日本国憲法22条で保障されている)、日本を捨てないまでも、何か物すごい努力や研究をして評価を得ることだってできると思います。

 

繰り返しますが、入学式に出ない教師、飲み会に付き合わない会社員、これらの人は法的には何の問題もありません。ただ、私は決してそういう人たちと付き合いたくないし、そういう人は世間的に見て幸せな人生を送れなくても仕方ないと思っています。

袴田事件 再審決定に思ったこと 4(完)

無実の人が警察署で「私がやりました」とウソの自白をしてしまうのは、逮捕後の取調べの段階で弁護士がつかないことが多く、日本国憲法もそれを許容しているためである、という話をしました。

 

それを改善するために、弁護士がやりだしたのは「当番弁護士」という制度です。

これは、逮捕された直後の容疑者が弁護士との接見(面接)を求めた場合、警察署から弁護士会に連絡が入り、その日の「当番」として待機している弁護士が署内での接見に出かけるというものです。

その際、弁護士費用は要りません。当番で接見に行った弁護士には弁護士会から日当が出ますが、それは弁護士らが月々納めている弁護士会費から支出されます。

 

これが制度として定着したのは、きちんと調べていませんが、おそらくここ20年くらいではないかと思います。袴田事件が起こったのは昭和41年で、そのころは当番弁護士自体が存在しなかったはずです。

とはいえ、この制度の欠点は、最初の1回しか接見に来てもらうことができず、引き続いて弁護を依頼しようとしたら、私選の弁護士として依頼し、弁護費用を払う必要があることです。その費用がない場合は、起訴され被告人となって国選弁護人がつくのを待たなければならない。

だから、最初の接見で弁護士が、無実を訴える容疑者に対し「ウソの自白をするな、堂々と事実を主張しろ、警察の脅しに屈するな、裁判になればまた国選の弁護士が来てくれるぞ」と励ましたとしても、その後の勾留期間(短くても10~20日)を弁護士抜きで耐えるのは相当にキツイと思います。

 

そこで、当番弁護士だと限界があるということで、容疑者段階でも国選弁護人がつくようになりました。それが「被疑者国選弁護人制度」です。

これが導入されたのはごく最近でして、刑事訴訟法が平成16年に改正され、平成18年から実施されました。一部の微罪を除いて、現在では、逮捕された人には最初の段階から、国費で弁護士がつくことになっています。

これによって、取調べの段階でウソの自白をさせられるということはずいぶん減ると思います。

それでも、繰り返しますが、逮捕されたらすぐ弁護士がつく、という制度が確保されたのは、平成18年になってからのことであるのは、念頭においていただきたいと思います。

それまでには、警察官が容疑者を「型にハメる」ような取調べが行われていたとしても、その容疑者には頼るべき存在がいなかったという状況が、ザラにあったはずです。

加えて、近年のDNA鑑定等の科学的証拠の進化を踏まえて、今後も再審が認められるケースが増えていくのかもしれません。

 

結局、あまりまとまった話になりませんでしたが、これ以上に書き出すと専門的になりすぎる気がしますので(と言い訳して)、私の感想を終わります。

袴田事件 再審決定に思ったこと 3

前回、警察組織が容疑者にウソの自白をさせることがあると、お話ししました。なぜそういうことが起こるのかについて、もう少し付け加えます。

 

捕まった人がどうなるかというと、①警察署の留置場に入れられて取調べを受ける。②起訴されれば被告人となって拘置所に送られ、裁判の日を待つ。③有罪で懲役の実刑を食らうと、刑務所に送られる。ただし死刑囚は②の拘置所のままである。と前々回に書きました。

そして、袴田さんも、その他の再審で無実が確定している人も、多くは①の段階でウソの自白をさせられています。近年では、女児殺害容疑で無期懲役刑を食らって20年近く服役していた菅家さんが5年前に釈放され、その後の再審で無罪が確定しましたが、この方もウソの自白をさせられています。

 

この段階で、弁護士は何をしてたんだ? と感じた方もおられると思います。

この点、私が言うと言い訳じみてしまいますが、一般論でいうと「そもそも弁護士がついていなかった」というケースが多々あると考えられます。

もともと、日本国憲法の規定がそうなっているのです。

憲法34条には、何びとも、弁護士に依頼する権利を告げられない限り、逮捕・勾留されない(要約)、とあります。これは上記の①の段階の話です。

そして憲法37条には、被告人は弁護士をつけることができる。被告人が自ら弁護士に依頼できないときは、国が弁護士をつける(要約)、とあります。これは②の段階です。

 

①と②で大きな差があるのがお分かりだと思います。

①の、逮捕され取調べを受ける段階、つまり容疑者(法律上は被疑者といいます)の段階では、アメリカの刑事ドラマみたいに、「お前には弁護士を呼ぶ権利がある」とひとこと言えばいいのです。

容疑者のほうで「弁護士なんか誰も知りません」「弁護士に頼むお金がありません」といえば、「じゃあ、仕方ない」ということで、弁護士なしで留置場での勾留を続け、取調べをしてよいことになっています。

②の段階、つまり被告人になって裁判を受ける段階では、弁護士をつけて法廷で弁護してもらうことができます。弁護士をつけられない人は国費で弁護士をつける。これが国選弁護人です。

このように、憲法上、弁護士が必ずいないといけないのは②の段階のみです。

①の段階でもし刑事がムチャをしたとしても、②の段階では弁護士がつくし、裁判官がきちんと裁いてくれるから、無実の人がいてもきちんと見抜いてくれるだろう。と、憲法をつくる段階では、そう考えられていたようです。

 

実際には、そうはならなかった。だから再審で無罪になったというケースが、これまでにも多数でてきました。

(再審で無罪になったケースの実例は書ききれません。興味がある方は、刑事訴訟法の教科書を読まなくても、「再審」で検索してウィキペディアでもご覧いただければ、かなり詳細に書かれています)

警察が無理な取調べをし、冤罪を生んできた、その根本的な原因は、このように日本国憲法にあるのです。

続く。

袴田事件 再審決定に思ったこと 2

袴田さんは、警察の取調べを受けている段階で、無実であるのに「自白した」とされています(もちろんこれは弁護側の主張です。検察側は今も袴田さんが真犯人と言っています。その点は、今後の再審の中で明らかにされるのでしょう)。

 

警察署の留置場に留め置かれ、連日、刑事の取調べを受けている、それは過酷な状況であるのは分かるとしても、袴田さんは元プロボクサーで、心も体もずいぶんタフな人だったはずです。そんな人でもウソの自白をしてしまうものなのか。

これはいくら議論しても実感できるものではないので、乏しいながら私の見聞を書きます。

 

私は実際に、警察署の取調室に入ったことがあります。いや容疑者としてではありません。

被害者側の代理人として、告訴状を出したり、被害相談をしたりすることがあるのですが、そういうときは、署内の会議室とか食堂の片隅で話を聞いてもらうことが多いです。

あるとき、食堂も会議室も使用中だったのか、刑事課の奥の小部屋に入れられたことがあります。

これが取調室か、と思いました。畳2枚分くらいの、コンクリートの狭い部屋で、かなりの圧迫感でした。ここにずっといたら、確かに精神の平衡を失うかも知れないと思いました。

 

もう一つ、これは私の経験ではなく聞いた話です。

私が司法修習生だったころ、大阪地検に配属されて、容疑者の取調べをしたことがあります。これは検察の仕事を学ぶために、司法修習生が皆やることです。

私と同期だったある司法修習生は、指導役の検事から「容疑者にちゃんと罪を認めさせて、反省していると供述をとって、それを調書に残せたら、あとは不起訴で釈放しよう」という方針を伝えられていたのですが、容疑者が意地を張っているのか、なかなか自供しない。

その司法修習生は困ってしまい、その容疑者を護送してきた刑事に、どうしたものかと相談しました。

するとその刑事が言った言葉は「わかりました。型にハメて来ますわー」。

そして刑事は容疑者を警察署に連れて帰りました。

数日後、再びその刑事に連れられて検察庁に現れた容疑者は、司法修習生に対し、「すんません、私がやりました、すんません!」と、恐縮しきりで自白したそうです。

 

聞いた話なので多少の誇張が混じっているかも知れないのですが、司法修習生が同僚の司法修習生にわざわざウソの話をする理由もないので、たぶん実話なのだと思います。

袴田さんも、具体的に何をされたかは知りませんが、こうして「型にハメられた」のだろうと想像しています。

続く。

袴田事件 再審決定に思ったこと 1

前回の予告どおり、袴田事件に触れます。

これは、さかんに報道されていてご存じだと思うのですが、昭和41年、静岡の味噌の製造会社の専務の自宅が放火され、4人の死体が発見されたという事件です。

元プロボクサーの袴田巌さんが逮捕され、警察の取調べの段階ではいったん自分がやったと認めましたが、裁判の段階では無実を主張しました。しかし裁判所の認めるところとはならず、静岡地裁は昭和43年、死刑判決を下し、最高裁で昭和55年に死刑判決が確定しました。

袴田さんは昭和41年の逮捕以後、ずっと身柄拘束されていたのですが、先月、静岡地裁の再審開始決定を受け、釈放されました。

 

まず前提として、捕まった人がどこに入れられるのか、という話をします。すでに過去にも書きましたが、今回の事件の根っこにもその問題があると思うので、改めて書きます。

 

① まず、警察に逮捕された人は、警察署にある留置場に入れられます。そこで警察署の刑事の取調べを受けます。

袴田さんは静岡県下の警察署に留置されて取調べを受け、この段階でいったんは「自白」しました。

 

② 取調べが終わって検察に起訴され、刑事裁判を受ける立場(被告人)となった人は、拘置所へ移され、裁判の日を待つことになります。

犯罪が比較的軽微で、身元もしっかりしているなどの理由で、拘置所に閉じ込めておく必要はないと判断されると、一定のお金を預けて出してもらうこともできます。これが「保釈」です。

袴田さんは、4人殺害という重大嫌疑を受けていたので、当然、保釈はされていません。

 

③ 裁判で有罪となり、懲役の実刑判決を食らうと、今度は刑務所に行きます。そこで刑期に服する間、いろんな仕事(刑務作業)をします。

袴田さんは、この刑務所には行っていないはずです。現に袴田さんが釈放されたとき、出てきたのは東京の小菅にある東京拘置所からでした。

 

このように、死刑囚は③の刑務所ではなく、②の拘置所にいることになります。

理由は知りませんが、私の理解では、刑務所とは社会復帰のための場所であり、刑務作業も社会復帰の準備に他なりません。しかし死刑囚は社会復帰を前提としていない。死刑執行を待つだけの身です。だから純粋に「待つ」ことだけを目的とする施設である拘置所に入っているのだと思われます。

 

ですから拘置所の中では、裁判の日を待つ被告人と、死刑執行の日を待つ死刑囚の、2種類の人が拘置されていることになります。

そして死刑囚の部屋は独房で、他の死刑囚と会話も禁じられ、死刑執行の日は伝えられることなく、その日が来たら、看守が朝とつぜん迎えにきて、そのまま死刑台に送られる、という話も、多くの方がご存じかと思います。

袴田さんは昭和41年の起訴後、48年間を拘置所ですごし、そのうち最高裁判決後の36年間を、確定死刑囚ということで、絞首刑になるのは今日か明日かという気持ちですごしてきたことになります。

次回へ続く。

新年度に「過去ログ」を見返して

4月に入りました。

毎年この時期は、裁判官も人事異動のシーズンであり、裁判所がバタバタしていて法廷での弁論があまり開かれません。したがって我々弁護士も裁判所に行く用事がなく、スケジュールがやや楽になります。

とはいえ、弁護士としても、事務所でたまっている書面作成の仕事などを片付けないといけないので、ヒマというわけではありません。

 

さて先週末、ふと思い立って、過去に自分の書いたブログを見ていたのですが、楽天ブログで書き始めたのが(こちら)、平成18年7月のことですから、あと2年と少しで10年になるわけです。

最近は更新頻度が鈍っておりますが、10周年を達成したら、それを記念して、ブログ記事の傑作選を集めて本にする予定です(エイプリルフールのウソです。こんなこと書くと出版業者が本当に「本を作りませんか?」と営業の電話をかけてきたりするのですが、こんな駄文を本にする気は全くありません)。

 

最近、ブログ更新のペースが鈍っている理由は4つあります。

1つめは本業が幸いにも多忙であるから。2つめは自宅で書こうとしても(独身時代はそうしていた)、今は自宅に帰ると子供と遊ばないといけないから。3つめは幼稚園のPTA活動に時間を割かれるためです。

4つめが最大の理由なのですが、雑文とはいえ8年近くも書いておりますと、いろいろ新しい事件が起こっても、その事件に関する法的論点についてはすでに書いたことがあるものが多く、同じ話を重ねて書くのも気乗りしない、という点にあります。

 

今回は話があちこちに行って恐縮ですが、過去に自分が書いたものを見返してみたのは、「袴田事件」のことを調べようと思ったからです。

最近、連日報道されたのでご存じと思いますが、死刑判決が確定していた人が、再審の開始決定を受けて釈放されたという件です。

 

死刑制度とか刑事裁判の再審についても、ここで度々触れてきましたし、この事件の再審請求は古くから行われていたので、当ブログでも自分で過去に何か書いていたかと思って遡ってみたのです。とはいえ、該当記事が出てこなかったので、まだ触れていなかったようです。

この機会に触れてみるつもりなのですが、多くは過去に書いたことの繰返しになると思います。それでも、目新しい問題も含むようですので、それを自分なりに整理してみるつもりです。

今回は予告だけで終わります。