一市民の見た「大義なき市長選」 2(完)

幼稚園民営化の条例案を通すために、橋下市長がここ数か月でしようとしてきたことを、前回書きました。市長は、これを早期に実現するため、行政各部と、公立幼稚園の現場に指示を出しました。

私が聞いた限りでは、①障害児受入れを義務付ける私立幼稚園の選定、②そこに給付する補助金などの予算編成、③私立幼稚園の教員が障害児教育ができるようになるための研修プログラムの作成などです。

この③などは、私立幼稚園の教員が、これまで何の縁もなかった公立幼稚園へ行き、障害児のいるクラスに配属されて「実践教育」を受けるわけでしょうから、その子の親はどう思うのか、また公立幼稚園側はその子の個人情報をどこまで明かしてよいのかなど、多くの問題が生じるでしょう。

しかし、大阪市の職員や、公立幼稚園の先生方は、私の接する限りでは極めて真面目で熱心な人ばかりなので、そういった予算編成やプログラム作りのために、多くの時間を割いたはずです。

それが、前回書いたとおり、2月のはじめに橋下市長がブチギレ再選挙をやると言い出したために、すべて宙に浮いてしまったのです。

 

市長選挙をするために、どんなに抑えても6億円くらいは必要になると言われています。

橋下市長や子分の区長、維新の議員たちは「公立幼稚園の予算に年間25億円もかかる」と言いましたが、今後、橋下市長が1回ブチギレるたびに市全体の幼稚園の年間予算の約4分の1が吹き飛ぶことになるわけです。

加えて、無駄になるのは、目に見える費用として出ていく6億円だけではありません。

上に述べたように、大阪市の職員や、公立教育の現場の教員たちは、橋下市長の「思いつき」を実現するために、予算編成やプログラム作成などの業務に追われています。そのためにかかった時間も、労力の成果も、宙に浮いてしまっています。つまり無駄です。

私が一幼稚園児の父親としてこの数か月間を垣間見ただけでも、これだけのマンパワーの無駄が生じているのです。大阪市政全体で生じているそうした無駄をコストとして見積もれば、損失はもっと増えるでしょう。

 

それから、損得の話でいうと、橋下市長は「大阪都」構想が実現すれば、年間約900億円の収支改善になるから、市長選挙の6億の出費など何でもない、と言いました。

しかしこれは、多くの方もお気づきの通り、以下の2点において、明らかな詭弁です。

まず、橋下市長が仮に市長に再選されたとしても、議会で維新の会は過半数を取れていませんし、公明党が今後協力に回る可能性は低い。議会が変わらない以上、大阪都だって否決されるので、市長選だけもう1回やるのは無意味です。

(公明党は橋下市長にさんざん罵倒されていましたが、それで今後もし、維新の協力に回るようなことがあったとしたら、談合によってよほどの利益・権益を与えることを言い含められたと、市民は見るべきです)

もう一点。900億円などという数字を示されると、何となく、ちゃんとしたデータがあって本当なのかな、と思ってしまいがちですが、これもマヤカシです。

たとえばこれまで、橋下市長と維新の人たちは「区長や小学校長に民間の人材を投入すれば現場は良くなる」と言っていたのに、実際には、たくさんの不祥事や辞職で混乱ばかり生じています。その程度の単純な見通しすら間違うような人たちの出した計算ですから、きっと間違っています。

もし本当に計算が合っているのなら、年間25億円しか要らない公立幼稚園は、なおさら存続させるべきでしょう。

 

「大義なき市長選」などと新聞等にも書かれていますが、何の意味もない上に、損失や人材の疲弊という害悪ばかり生じる選挙です。

いつも話を息子の幼稚園にからめてしまってすみませんが、市長選挙に際して一市民、一保護者として感じたところを述べました。

一市民の見た「大義なき市長選」 1

この3月に、大阪市長選挙が行われるということで、わが大阪市はいろいろとゴタゴタしています。

今回の選挙に至った直接の事情は、これまで橋下市長や維新の会と友好的関係にあった公明党が離反し、それに橋下市長がブチギレて再選挙を言い出したわけです。「ブチギレ」などとは稚拙で品のない表現だと我ながら思いますが、今回はまさに「ブチギレ」という表現がピッタリきます。

このへんの事情を、一市民の観点から、少し書かせていただきます。

 

以前、公立幼稚園民営化の問題に絡んで、昨年11月の大阪市議会にて、民営化条例案は、維新の会以外の政党がすべて反対したため、(ごく一部の廃園等を除いて)否決されたと書きました。

しかしその後、一部保護者や市会議員からの話として、橋下市長と維新の会は今年の2月に民営化案を再提出すると聞きました。維新の会は昨年11月の否決後、公明党にしきりに秋波を送っているため、今度は可決される見込みが出てきた、という話も聞きました。

 

なお、今回のゴタゴタで、市政がこのように一部政党の密室での「談合」によって進められていることも明らかになりました。

補足ですが私自身は、市民の利害の調整の場としての談合を否定しません。しかし、「公開討論会」が好きな橋下市長が、実際には談合を繰り返しており、そして談合での密約(公明党が維新の会に協力するという約束)を破られたと言ってブチギレているのが滑稽に感じます。

 

11月に否決されたばかりの幼稚園民営化案を、3か月後の2月にまた提出して通るのか、誰でも疑問に思うでしょうけど、実際には上に述べたとおりの「談合」が行われていたわけです。でも、橋下市長もさすがに「談合により今回は可決されました」とあからさまに言うことはできない。

これを正当化する方法は2つです。1つめは「条例案を練り直して、誰もが納得できる民営化プランを示すこと」です。しかし、橋下市長も維新の議員も、そこまで頭は良くないので、3か月間で条例案の練り直しをするなど不可能です。

もう1つの方法は「社会情勢が変化したと示すこと」です。橋下市長はこちらを取りました。具体的に言うと、障害を持つ児童を、私立幼稚園でも受け入れることができるための、体制づくりです。

 

公立幼稚園のなくすことへの批判として、新聞などでもよく報じられていたのは、私立幼稚園は経営効率や収益を重視せざるをえないので、障害児を受け入れてくれなくなる、ということでした。

だったら、そういう状況をなくせばいいのでしょう、と橋下市長は考えたのです(私がここで述べてきたとおり、民営化の問題はその点だけはないのですが)。

私立幼稚園でも障害児を受入れできるように、橋下市長は何をしようとしたか。

まず、私立幼稚園のいくつかを指定し、そこに障害児の受入れ義務を負わせるのです。私立幼稚園側が「受入れできる体制にないのですが」と言ったとしたら、補助金を出したり、園内に介助などの設備を作れるよう金銭的援助をします。

さらに「そんな教育ノウハウを持った教員がいないのですが」という私立幼稚園のために、そこの先生を公立幼稚園で研修させる制度も作ろうとしました。

 

かくて、公立幼稚園を潰して予算を浮かせる、ということを実現するために、障害児の受入れのため私立幼稚園に新たな予算をつけ、またそこの教員を公立幼稚園で学ばせる、というわけですが、おかしいと思われませんでしょうか。

それなら、最初から公立幼稚園を潰す必要はないじゃないか、と多くの人は感じると思うのです。

結局、そうした制度づくりも、市長選挙が始まるために途中で放棄され、今は宙に浮いた形になっているのです。

次回に続く。