血縁なき子供への認知の無効請求 2(完)

前回から、間が空いてしまってすみません。父親が認知した子が自分の子でなかった場合、父親はその認知をなかったことにできるか、という問題をどう考えるべきか、という話をしようとしていました。


これまでの裁判例や学説は様々でしたが、主流的な考え方は「血縁がない場合であっても、錯誤に基づく認知でない限り、無効とできない」といったものではないかと思います。

逆にいうと「血縁のない子で、かつ、錯誤つまり勘違いによる認知であれば、無効にできる」ということです。この考え方に基づいて、ケースをわけて検討してみます。

①血縁がある子を認知した場合。

世の中の認知の大半がこれでしょう。実際に血縁のある自分の子を認知したケースですから、当然、あとから無効にすることを認めるべきではありません。

②血縁がないが、それを知らずに認知した場合。

女性から「あなたの子よ」と騙されて認知した場合です。この場合は、血縁がなく、かつ錯誤もあるので、認知無効にできることになります。

(大澤樹生と喜多嶋舞のケースと似ていますが、婚姻関係にある男女の場合は「親子関係不存在」や「嫡出否認」の裁判となり、婚姻関係にない場合が、この「認知無効」の問題となるというのは、前回書いたとおりです)

③血縁がないが、それを知って認知した場合。

女性から「あなたの子にしてあげて」と言われて、自分の子じゃないと知りつつ認知した場合です。前回紹介した最高裁のケースはこれにあたります。

自分の子じゃないと知ってあえて認知するわけですから、従来の考え方によれば、錯誤はなく、無効にできないことになります。


ところが、今回、最高裁は、この③のケースを無効とすることを認めたわけです。

つまり最高裁は、錯誤があったか否かではなく、基本的に、血縁の有無を前提に認知の効力を判断すべきことを明らかにしたのです。そして血縁のない父親は、前回引用した民法786条の「利害関係人」にあたるとして、無効を主張できるとしました。

そうすると、前回紹介したような、一時的な「ええかっこしい」だけで他人の子供を認知し、育てられなくなったら認知をひっくり返すという、男の身勝手が許されることになるし、その子の福祉にも適さない、という懸念が残ります。

その点は、最高裁の判決文によると、「血縁のない父親の認知無効の主張は、権利の濫用にあたるものとして認められないこともある」と述べています。

(判決文は、最高裁のホームページで誰でも読めます。「判例情報」→「最高裁判所判例集」→「平成26年1月14日」で期日指定で検索してください)


今回の事案は、新聞報道によると、日本人男性がフィリピン女性の子供を、自分の子でないと知って認知して、日本国内に招き入れたというケースであり、すでにこの男女は長年別居している上に、フィリピンに帰れば実の父親もいるようなので、日本人男性の認知を無効としても、子供にかわいそうなことにはならない。

また、詳細は判決文に書かれていませんが、結論として認知が無効とされたということは、男性のほうでも、単なる身勝手で認知をひっくり返したというわけでもなかったのでしょう。


今回の最高裁判決で、割と重要な実務上の問題が、割とシンプルな考え方で統一されました。

「認知の効力は血縁を基本に考えるが、子供の福祉も重視しつつ、男が身勝手にひっくり返すことも許さない」ということで、結論としては妥当なものであろうと思います。

血縁なき子供への認知の無効請求 1

遅いごあいさつとなりましたが、今年もよろしくお願いします。

昨年から、親子と戸籍に関する問題にばかり触れている気がしますが、また重要な判決が出たので、それに触れておきます。最高裁が14日、血縁のない子に対する認知の無効請求は可能であると判断しました。

 

昨年末に触れた大澤樹生の子供の問題と似通っているところがあるので、そのとき書こうかとも思ったのですが、少し異なる場面の問題ですので、触れずにおきました。今回、タイムリーな判決が出たので、この機会にあわせて触れておきます。

大澤樹生の一件は、戸籍上の婚姻関係にあり、その夫婦の子(嫡出子)と思われていたが違った、という問題で、「親子関係不存在確認の訴え」という裁判が行われることになります(「嫡出否認の訴え」の話は細かくなるので省略します)。

 

一方、「認知」とか「認知無効の訴え」いう問題は、夫婦関係にない男女とその子との間で発生します。

古くから典型的にあるのは、妻子ある男性Aが愛人との間に子供を作ってしまい、愛人から「奥さんと別れてくれとは言わないけど、この子を認知して」と迫られる場面でしょう。Aが認知届を役所に提出することで、その子とAの親子関係が発生します。

その子は愛人の戸籍に入りますが、戸籍には父としてAの氏名が記載されます。具体的効果としては、Aは子供の養育費を愛人に払う必要が生じるし、Aが死亡した場合には子供に相続権が発生します。

このように、認知というのは、婚姻関係にない男女の間に生まれた子供に対し、身分的・経済的な保護を与えるための制度といえます。

 

ですから、民法の規定では、認知の効果がひっくり返されてしまわないよう、厳重に規定しています。

民法785条では「認知をした父または母は、その認知を取り消すことができない」と規定されています。(なお、「母は」とありますが、母親は実際には子供を生むわけですから、わざわざ認知しなくても、生んだという事実だけで母親と子の関係が認められるとされています)。

認知する父と認知される子に血縁が存在する場合は、当然それで良く、あとから「認知は無効だ」などと言わせる必要はありません。

 

一方で、血縁が存在せず、かつ、父親もそれがわかっているのに、認知してしまうケースも、中にはあるそうです。

考えられるのは、成金の社長とかが、場末のホステスと親しくなってしまって、そのホステスが、誰が父親だかわからない幼な子を抱えていたとします。

で、そのホステスに「あなたの子供として認知してあげて」と頼まれた成金社長が、子供かわいさもあり、ホステスへの下心もあり、男の度量を見せようとして「よし、認知してやるよ、わしの子として援助してやろうじゃないかね、ガハハー」と認知してしまうような場合です。

 

今回の事案が、実態としてどういうものだったか、私はまだ存じませんが、最初から血縁がないのをわかっていて認知した部類のケースであったようです。

民法786条には「子その他の利害関係人は、認知に対して反対の事実を主張することができる」とあり、これに基づいて認知の無効を主張することを認めたのが、今回の最高裁の判断です。

以上を前提に、この判断をどう理解すべきかについては、次回に続きます。