本に掲載されました(宣伝)

弁護士のブログにもいろいろありますが、いろんな法律問題を解説したあとに、「この問題でお悩みの方は当事務所へご相談ください!」みたいな感じで締めくくるようなのは、宣伝っぽいので好きになれませんし、私もそんな記事は書くまいと、常に心がけております。

 

そこまで言っておいて、今日はちょっと宣伝です。すみません。

先月、発刊されました「弁護士プロフェッショナル 暮らしとビジネスを守る法律ドクター」(産経新聞生活情報センター企画、ぎょうけい新聞社発行)という本に、当事務所と私・山内が掲載されています(後掲写真)。

この本は、どういう基準で選んだかは知りませんが全国19人の弁護士を紹介したものです。

 

掲載してもらっていながら、こんな本を読む人がいるのかな、と思っていたのですが、つい先日、本を見て相談に来ました、という方がお見えになったので、実際、書店で販売されて、手にとってくださる人もいるのでしょう。

私もかつて、「ぐるなび」などなかったころには、レストランガイドや、バーガイドを買って、夜な夜な飲み歩いていた時期もあったので、そういう感覚で買っていただいているのかも知れません。

 

なお、当事務所には、この本の在庫が多少ありますので、欲しい方はお越しいただければ差し上げます(書店で買っていただいたほうが、発行者側は喜ぶかも知れませんが)。

現在、amazonでも発売されています(こちら)。表紙の写真が見れます。

次は、「LEON」か「あまから手帖」に載りたいと思っています。


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非嫡出子の相続分規定が改正されなかったらどうなるか

先日ここでも書いたとおり、非嫡出子の相続分を嫡出子の半分とする民法の規定が、最高裁で違憲とされました。

今国会のうちに、民法の改正が成立するようですが、ここに至るまでに、一部の政治家(主に自民党の保守系の人)からは、嫡出子と非嫡出子を同じに扱うことについて、根強い反対論があったようです。

この反対論に対して、新聞報道や、私の同業者の大多数は、違憲とされたんだから早く改正すべきだとして、反対する保守派を批判していました。

私は、非嫡出子の相続分は半分で良かったと考えているのは、すでに述べたとおりです。しかし、個々人の考え方や価値観はいろいろあろうが、違憲立法審査権を有する最高裁に違憲とされた以上は、速やかに改正するのが国会の職責であると思われます。

 

その話はさておき、ある法律が、最高裁において違憲と判断されたら、その法律はどうなるのかということについて、少し触れます。

結論としては、その法律は、そのまま残ります。法律を作ったり変えたりするのは国会のやることなので、いかに最高裁がこの法律は違憲だと言っても、自動的にその条文が廃止されるわけではない。これが三権分立ということです。

だからこそ、国会で民法を変えるか変えないかで混乱が生じたわけです。

 

今回は結果的に国会が改正に応じましたが、もし、応じないとどうなるのか。

実際、それが生じた例があります。

少し前に触れたとおり(こちら)、親を殺すと死刑または無期懲役という重罰になるという尊属殺人罪の規定(刑法200条)は、昭和48年に最高裁が違憲と判断したものの、長らく廃止されず、私が大学に入って初めて六法全書を買ったころ(平成2年)でも、その条文は存在していました。

その後、平成7年に、刑法を口語化することになり(それまでは漢字とカタカナまじりの文語文でした)、その際にあわせて、刑法200条が削除されました。

 

20年以上もの間、違憲とされた条文が残っていたのは、やはり、「親殺しの大罪を普通の殺人と同じに扱うのはけしからん」という保守派の政治家の考えによるものでしょう。

しかし、昭和48年の最高裁判決以降、親殺しの犯罪が起こっても、検察官は普通の殺人罪(刑法199条)を適用して起訴しました。

最高裁としては刑法200条は違憲無効と言っているわけですから、当然のことでもあります。こうして刑法200条は廃止されなくとも、死文化することとなりました。

 

今回の、非嫡出子の相続分は半分とする民法900条4号但書きが、もし廃止されていなかったとしても、同じことが起こったはずです。

最高裁はこれが違憲無効だと言っているので、非嫡出子は、相続分が半分か平等かで嫡出子と争いになった場合、裁判に持ち込めば良い。そうすれば平等の相続を命じる判決が出ることになるからです。

法律上の争いを最終的に裁ける存在は裁判所だけであり、裁判所の大ボスの最高裁が民法900条4号但書きは無効と言ってるわけですから、嫡出子が争ってもどうにもならないのです。

 

そういうわけで、もし民法900条4号但書きが廃止されなくても、死文化するだけだったと思うのですが、死文化した条文が六法全書に残り、立法と司法に齟齬が生じているという状態は望ましくないので、今回の法改正は、いかに保守派の政治家たちにとっても、やむをえないものだったと考えております。

メニュー偽装問題の違法性の検討

大手ホテル等でのメニュー偽装の問題がやかましくなっていて、この3連休、テレビをつけると連日、この話をしていました。私は正直なところ、この問題には興味ないのですが、妻からのリクエストもあって、ちょっと整理してみます。

 

メニュー偽装は法律的に何が問題か。

たとえば、外国産の牛を和牛と称するとか、バナメイエビを芝エビと称したりすると、景品表示法という法律に触れます。この法律は、景品・商品の広告等を規制するもので、不当な方法で顧客を誘引する行為を禁じるものです。

この法律、少し前にも当ブログで紹介しました。コンプガチャの問題が取りざたされたときです。インターネット上のゲームで、レアなアイテムが出る確率を極めて低くし、ユーザーをあおってたくさんお金を使わせたことが、この法律に触れるとされました。

このときにも書きましたが、景品表示法は、あくまで、行政庁(お役所)が企業を規制するための法律です。これに違反すると、行政処分(営業停止など)を食らうことがあるものの、お客さんに代金を返さないといけないとは、どこにも書かれていない。

現に、コンプガチャが問題になったときも、ユーザーに利用料を返金したという事実はなかったはずです。

いま、一部のホテルが返金に応じていますが、あれは法的義務があってそうしているわけではありません。あくまで、老舗のホテルとしての道義的責任を感じて、自主的に行なっているものです。

 

民法上は、お金を返せという理屈も成り立ちえます。

たとえば、民法95条の「錯誤」という条文は、ひとことで言えば、勘違いに基づく取引は無効にできる、というものです。

では「芝エビだと思ってたからエビの炒め物をオーダーしたんだ、バナメイエビならオーダーしていなかった」、というほどにエビにこだわっている人が、世の中にどれだけいるでしょうか。

私は、バナメイエビは近くのスーパーで売ってる、という程度の認識はありましたが、芝エビとどっちが上かなど知らなかったし、いま並べて出されてもたぶん違いは分からないと思います。

 

そういう私にも、食べ物・飲み物に対するこだわりが、皆無というわけではありません。たとえば行きつけのバーで奮発して、マッカラン(スコッチウイスキー)の30年ものをオーダーしたとして、マスターがごまかして12年ものを出したとします。

私はたぶん気づくと思います。マッカランという銘柄にこだわって飲むからには、それくらいの自信はあります。

もしそのとき気づかずに、後日、他人からのうわさで「あの店は30年ものと偽って12年ものを出している」と聞いたらどうするか。

私は、まずはそのとき気づかなかった自分を恥じます。その上で、その店には行かなくなるでしょう。返金を求めようとは思いません。そんな面倒なことしなくてもそんなバーは潰れると思うからです。

 

たしかにホテルのメニュー偽装は、返金義務までないとしても、商売のやり方としてどうかと思うし、行政庁が処分を下すというのなら仕方ないと思う部分はあります。

しかし、客としては、食材にこだわるなら自分の舌を頼りにすべきであって、それで気づかなかったのなら後からギャアギャアいうほどの問題ではない、というのが私の考えです。

そういう理由で、この問題にはあまり興味を持てないのです。