やっぱり市立幼稚園の民営化に反対する 3(完)

前回、幼稚園民営化の是非は結局、大阪市議会で決まることで、私は一保護者として言うだけのことは言って、民営化が決まってしまったらあきらめる、と書きました。それが自由主義・民主主義であると。

ただ、この問題に限らず一般論として、民主主義とは結局、多数決ですから、少数者の保護はどうしても薄くなります。後から考えて、多数決で決めたことが間違っていたという例も、歴史上たくさんあります。

そんな多数決の危うさをどうカバーするかというと、多くの立憲主義国家では、司法権つまり裁判所が登場し、立法(国会や地方議会)や行政が多数決で決めたことが間違っていないか、審査することになります。

 

そして、民営化問題に関しても、実は近時、重要な司法判断が出ていました。私は恥ずかしながら弁護士であるのに最近までこの判例を知らず、幼稚園のママさん達から指摘を受けて知るに至りました。

最高裁平成21年11月26日判決です。

事案は、横浜市が、平成15年、市の公立保育所を全廃する旨の条例を市議会で制定し、その条例が争われました。

 

1審の横浜地裁(平成18年5月22日判決)は、ごく単純化していうと、在籍する園児たちの保護者との協議を充分つくさずに民営化を断行したことは行政の裁量として許される範囲を超えるものだと言いました。

そして、すでに民営化は終わってしまっているので、今さら公立に戻すのは混乱が生じるからそこまで言わないが、原告となった園児たちの保護者に1世帯あたり10万円の賠償金を払いなさい、と命じました。

 

2審の東京高裁(平成21年1月29日)は、条例そのものは、そもそも司法判断の対象にならないとして、保護者の訴えを却下しました。

ここは法律をやってない方には分かりにくいですが、たとえば、自衛隊が嫌いな人が「自衛隊法は憲法9条違反だ」と裁判したとしても、その人に具体的な不利益が及びもしていないのに、法律の存在そのものを争うのはできないことになっている、と理解してください。法律をやってる方は、行政事件訴訟法9条の処分性の要件のことだとお分かりでしょう。


これに対して、最高裁は言いました。

条例は公立保育所の廃止を定めており、それは当時の園児たちに、近い将来、公の保育が受けられなくなるという不利益を及ぼすではないか、だから司法審査の対象になるのだ、ということで、東京高裁の判断は誤りだとしたのです。

しかし、最高裁判決の時点で当時の園児たちはすでにみんな卒業してしまっており、もはや裁判する実益がない、ということで、最終的に、保護者の請求を棄却しました。

もっとも、最高裁が、公立の保育施設を条例により廃止する行為は、裁判所による司法判断の対象になると明言したことは注目されるべきです。

 

大阪市役所と大阪市議会は、よくよくこの最高裁判決の言わんとする趣旨を理解すべきです。

そして、もし大阪市議会で公立幼稚園の廃止が可決されたら、あきらめずに司法の場に打って出ることも視野に入れつつ、今後の動きを見守っていきたいと考えております。

やっぱり市立幼稚園の民営化に反対する 2

続き。

前回書いたとおりで、大阪市の各区長が市立幼稚園民営化への理解を求めて、各幼稚園を回っておりますものの、民営化を不安視する保護者側と、ご理解くださいと繰り返す大阪市側との相互理解に至る見込みは到底ありません。

しかし、これは言ってしまえば仕方のないことで、幼稚園民営化に限らず、国政・市政上の問題については、いかに説明や議論を尽くしたところで、万人が納得しうる回答に到達するのは不可能なのです。

 

たとえば、私は前回、長く残っているものにはそれだけで価値がある、だから大阪市の公立幼稚園は残すべきだ、と書きました。

しかし、橋下市長と各区長と、維新の会の面々からすれば、長く残っているものなど、官僚主義などの旧弊のカタマリであり、既得権益の巣窟であり、そんなものは徹底的に打破していかなければならないと考えているに違いありません。

両方の見解について、どっちが正しいとは言い切れません。前回書いたとおり、市立小学校の民間校長が早速失敗していることなどを見ると、私は私自身の価値観が正しいと信じますが、市長や維新の連中もまた、自分たちの価値観が正しいと信じています。そうなると、これは議論で解決する類の話ではなくなります。

 

日本や欧米などの先進国は、憲法によって各人の価値観や言論の自由を厚く保証しているので、いかなる価値観も一応は尊重されることになります。これが立憲主義、自由主義の考え方です。

その上で、価値観がぶつかったときには、議会の多数決で物事を決めることになります。それが民主主義です。

 

橋下市長と維新の会は、いま明らかに勢いを失っていますが、大阪での過去の選挙に限っていえば圧勝を続けています。橋下市長の失策、失言が続き、維新の会から離党者が出たとは言え、いまでも支持者はそこそこ多いでしょう。

幼稚園民営化の具体的プランは、区長の言うところによればこの8月には発表され、大阪市議会でそれに対する信が問われます。維新の会は当然、賛成に回りますし、いつも日和見の公明党も賛成に回れば、過半数を制して可決されます。

 

そうなったら私はどうするかと言われれば、憲法の下で民主主義により決めたのなら、もう仕方がないと思っています。

幼稚園がもし民営化によってガタガタになったとしても、自分の息子くらいは立派に育てる程度の自信はあります。そして息子が大きくなったら、幼稚園のころに混乱が生じるのを止めてあげれなかったことを詫びたいと思います。

そして、

「お前が幼稚園に行ってたころは、橋下とかいう市長と維新の会って政党がすごく人気があったんや。でもなあ、お父ちゃんは、あんなの最初から、うさん臭いと思って一票も入れたことはなかったぞ。口だけうまい連中にあんまり大きい権力を持たせたらアカンのや」

ということを、合わせて聞かせてやりたいと思っています。

 

もう一回だけ続きます。飽きてなかったらお付き合いください。

やっぱり市立幼稚園の民営化に反対する 1

最近、この話題が多くてすみません。特に興味のない方は読み飛ばしてください。

 

大阪市では今、市政はゴタゴタとしておりまして、府の水道事業との統合は否決、大阪市営地下鉄の民営化は継続審議、橋下市長の目論んでいた大阪都構想など最近話題にすらならない、という状況です。

それでも、市長は今もなお、大阪市立幼稚園・保育所の民営化は、意地にでもなっているのか進めようとしていて、公募で市長に選ばれた各区長が、幼稚園などを回って民営化に向けた説明会を開いています。

 

我が大阪市西区の高野区長は、仕事熱心で、橋下市長の号令のもと、任務を忠実に遂行しようとしているのは分かるのですが、説明会で言っていることはムチャクチャです(これは高野区長が不誠実なのではなく、橋下市長が何も考えてないためです)。それをいちいち挙げるとキリがないので、少しだけ紹介します。

 

区長が幼稚園に来て言うには、市立幼稚園を廃止するのは、財政難が主たる理由でなく、民間を活用することで幼児教育の底上げ、つまり全体のレベルアップをする、ということにあるのだそうです。

では、それは具体的にどのように行われるのですか、との問いに対しては、「幼児教育のカリキュラムを作成していく」とか「教育委員会に幼児教育のスペシャリストを招き、教育委員会が幼児教育に積極的に関わっていく」とか、官僚が頭の中だけで考えたみたいな答弁に留まります。

その程度の、「これから考えていきます」みたいなやり方で、幼稚園に限らずあらゆる公的制度を潰そうとしているのが、今の市長とその子飼いの区長たちです。

 

ところで先月、公募で大阪市立小学校の校長に選ばれた人が、3か月で辞めてしまったという一件がありました。公教育に民間の力を投入すればうまくいく、という市長の考えが、この一事をもってしても、誤りだったことが露呈したわけです。

しかも橋下市長はこのことについて釈明を求められて「自分に人事権はないから責任はない。教育委員会の責任だ」と言いました。このように、大阪の公教育は、何があっても責任を取らないトップにかき回されているのです。

 

区長は幼稚園でこうも言いました。「公立幼稚園を残したいというのであれば、公立を残すだけの積極的な理由は何か、公立でないとできないことは何か、それを聞かせてほしい」と。

 

私は、古いもの、長く続いているものというのは、長く残るだけの良さがあって続いているのであって、そのこと自体が貴いものだと考えています。

私がよく行く老舗のバー「サンボア」は創業以来95年、京都・大阪を中心にのれん分けしつつ続いています。もっと大きな話になると日本の天皇は2000年以上続いています。

大阪の市立幼稚園は、いまきちんとした資料が手元にないですが、園の数を徐々に増やしながら、130年以上続いているはずです。

 

しかし、市長や区長はそういったものに価値を見出さないようで、公的制度や施設は潰せば潰すほど良いと思っているのでしょう。さらに言えば橋下市長はその時々で最も大衆受けしそうなことを言う(その意味では姿勢は一貫している)ので、行政の継続性や安定性、それに市民が寄せる安心や信頼感というものに重きを置かないのです。

これまで長年続いてきたものを潰すと言ってる側が、潰すだけの積極的な理由を何も説明せずに、潰さず残しておいてほしいという人に対して「潰さない理由を説明しろ」と言っているわけですから、相当に乱暴と言いますか、本末転倒な議論のやり方です。

 

ゴタゴタと書きましたが、次回もう少し続くかも知れません。

NHK訴訟判決に関して取材を受けました。

NHKが受信料の支払いを求めて起こした裁判で、6月27日、横浜地裁相模原支部は、その支払いを命じる判決を出しました。

裁判所が判決を出したことによって、受信者とNHKの間に受信契約が成立する、という判断なのですが、その意味について書こうと思っていたら、「弁護士ドットコム」というサイトからの取材をいただきました。

当方は仕事の合間に適当に答えただけなのですが、編集の方がわかりやすく丁寧に表現してくださり、そちらを見てもらったほうが早いかと思うので、ここで改めてゴタゴタ書かずに、リンクを紹介させていただくに留めます。

本人が拒んでも「受信契約成立」 NHK訴訟判決はアリなのか?

(弁護士ドットコム側には無断リンクなので、支障ありましたらご連絡ください。)

 

そもそも、なぜテレビを自宅に置いているだけでNHKを受信するという契約を締結しないといけないのかというと、放送法という法律にそう定められているからで、そのことは1年半ほど前に、当ブログでも紹介させていただきました。

(上記の弁護士ドットコムの記事と内容は重なりますが、こちら

 

今回の判決は、放送法には「テレビを置いたらNHKと契約しなさい」と書いてあるけど、契約しなかったらどうなるの? という問題について、「裁判所がその人に代わって契約を結んだことにできる」、イコール、NHKは受信料を強制的に徴収できることになる、という司法判断を示したものです。

これには理不尽さを感じる方も多いと思います。

しかし、私は「弁護士ドットコム」ではあまり私見を言いませんでしたけど、放送法やNHKは必要であると考えています。過去のブログ記事のほうでは少し触れましたとおり、民放が無残なくらいにつまらないし、それを見るとやはり公共放送は必要だと思えるからです。

もちろん、それに対する異論が高まってくれば、国会を通じて法律を改正すればよい話で、そこは私たちに委ねられていると言えます。