ミストのない大阪を歩いて思う

このところ、1か月近く更新が空いてしまいました。幸いというべきか本業も忙しく、自宅での子供の遊び相手と、幼稚園のPTAの手伝いも慌ただしく、ブログに書こうと思うネタがちらほら思い浮かびながらも、それを文章にまとめる余裕がありませんでした。

 

昨日今日、思ったところを雑多に書きます。

今日(7月17日)、近畿地方も梅雨明けしたそうで、確かにちょっとで歩くだけでも参ってしまいます。

先ほど、大阪地裁へ行った帰りに、淀屋橋の大阪市役所前を通過したら、この暑い時期なのに、「ウォーターミスト」の噴霧器が設置されていませんでした。確か橋下市長の方針で、この夏からやめることになったと、新聞か何かで読んだのを思いだしました。

市役所前のミストは、ここ数年、大阪の夏の風物詩みたいなもので、私も裁判所へ行く途中にこれにあたっていくのが好きだったのですが、経費削減と言われると、仕方のないような、せつないような気がします。

 

一方で、橋下市長が打ち上げているプランの一つに、「道頓堀川をプールにする」というものがあります。ミナミの道頓堀川の水質をある程度きれいにすること自体は良いのですが、そこで「泳ぐ」という発想に、私は違和感を禁じ得ません。

私の勝手な解釈ながら、道頓堀というのは、川面のネオンを眺めて橋を歩くのが風情あるのであって、川に入るものではないように思います。阪神が優勝したときに道頓堀川に飛び込む人はいますが、あれは生粋の大阪人ではなく田舎出身の馬鹿者です。大阪を本当に愛している人なら、あんなドブ川に飛び込んでヘドロまみれの姿でミナミの街を歩こうとはしないですから。

 

かと言って、だから水質をきれいにするんだ、というのも、何だかピントがずれているような気がします。

昨日の休日、私は息子と散歩がてらミナミへ行き、道頓堀川の両脇の遊歩道を久々に歩きました。遊歩道は割と面白い試みだと思っていましたが、私が懸念していたことが、昨日現実になっていました。遊歩道に浮浪者が何人か寝っ転がっていたのです。

大阪市では、遊歩道や公園を整備しても、いや整備すればするほど、浮浪者がそこに集まってくるという現実があります。もし道頓堀川が泳げるくらいにきれいになったら、簡単に想像できることですが、道頓堀川が浮浪者の水飲み場、体洗い場になるでしょう。貧困対策は別途きちっとやってもらうとして、私は浮浪者のたまり場になった道頓堀川は見たくありません。

 

大阪の人間は、私も含めて、「おもろいこと」が好きです。おもろいことをやるためにある程度税金を使っても許されます。しかしそこで打ち出されるプランというものは、大阪市と市民の現実を踏まえた、地に足のついたものであってほしいのです。

今日の暑い淀屋橋を歩いて、そんなことを考えました。