弁護士を最大限に活用する2つのルール 4(完)

弁護士を最大限に活用する2つのルール、と大げさなタイトルで3回に渡って述べたまま、更新が滞っていました。いつもながら更新頻度にムラがあってすみません。

1月前半は、正月休みに書きためていたものがあったので、いずれも大したことない内容ながら次々更新しましたが、今後はまた、ゆっくりした更新になると思われます。

 

弁護士と効率的に相談し、最大の効果をあげるための方法としては、

1つめは、いま、何が起こっているかをまず伝えること、そしてできれば、どうしたいかを伝えること、

2つめは、自分から話をするのでなく、弁護士の問いに答えること、そして当然ながら、恥ずかしいことでも何でも、自身の状況を正直に答えること、

こういったことを述べました。

 

もちろん、優れた弁護士であれば、依頼者がどんなに舞い上がっていて、取りとめのない話をしてしまっても、依頼者をなだめつつ的確な質問をして、必要な事項を聴き取ることができるでしょう。私もそうあるべく、日々の相談業務の中で努力しているつもりです。

相談にくる人は法律や裁判については素人だし、トラブルを抱えて慌ててやってくるわけですから、弁護士が求める情報をすぐに伝えられないのは当然です。依頼者から的確な聴取ができなかったり、ウソをつかれたりするのは、弁護士の聴き取り能力のなさや、弁護士が依頼者と信頼関係を築けていないためでもあるでしょう。自戒を込めて、そう思います。

 

とはいえ、弁護士に相談に来た以上は、目の前のその弁護士のことを信頼して、すべて委ねるつもりで任せるほうが、良い結果が得られると思います。

弁護士にも、能力の差や、人間的に合う合わないはあると思いますが、たとえ最低ラインの弁護士であったとしても、いちおうは司法試験をくぐりぬけて、司法研修所という養成機関で学んできたプロです。ですから、法律や裁判のことにかけては、素人とは隔絶した知識と実力を持っています。

 

幸い、最近は弁護士の数も増え、法律事務所のホームページなども多くなり、相談者が弁護士を選べるような状況になってきていると思います。いったん選んだら、その弁護士を信用して、上記の2つのルールにそって、相談ごとを話してみてください。きっと、相談して良かったと思える結果が得られるのではないかと思います。

 

まとまりのない文章のまま、このシリーズを終わります。

(再録)ダルビッシュの離婚と養育費

ダルビッシュの離婚がようやく決まったということで、この検索ワードで当ブログを見に来てくださる方が多いようなので、過去(おととし11月)に書いたものを再掲載します。ちょうど、旧ブログからの移行期にこの話を書いていたので、旧ブログの記事もここで閲覧できるようにしておきます。

以下長いですが、以前、5回にわけて書いたものを、多少だけ補足しながら切り貼りします。 

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離婚慰謝料について(平成22年11月16日記)

離婚慰謝料とは、離婚の原因を作った側が、婚姻を破綻させたことのお詫びの意味で払うもので、法的に言えば、相手の精神的苦痛に対する損害賠償にあたります。



損害賠償の金額は、たとえば交通事故や暴行など肉体的苦痛に対するものであれば、ケガの程度に応じてだいたいの基準が決まっています。他人にケガをさせたときの賠償金が、支払う側が金持ちかどうかで変わらないのと同じで、離婚慰謝料もだいたいの相場は決まっていると思ってもらって良いです。

男の浮気が原因であれば、結婚年数、子供がいるかどうか、浮気相手は何人で、どこまでのことをしたのか、などによって金額が決まります。私が経験した裁判では、200万円から500万円くらいです。ダルビッシュが本当に浮気しているかどうかは知りませんが、そうだとしても、裁判で認められる慰謝料はせいぜい500万円くらいがいいところでしょう。

しかし、実際には、特に芸能人やスポーツ選手などが離婚する際には、もっと多額の、たとえば億単位のお金が支払われることも多いと聞きます。これは何かと言いますと、「協議離婚」だからそういうことができるのです。

裁判離婚ではなくて協議離婚なら、裁判所が介入するわけではないので、慰謝料の相場は関係なくなり、夫婦が合意しさえすれば、慰謝料はゼロでも億でも、いくらでも良い。

お金のある男性なら、長い裁判をするよりは、多少高くても、さっさとお金を払って別れるという選択を取る人が多いのだと思います。この場合、協議が整わなければ裁判、ということになりますが、そうすると上述のような相場が適用され、安くなるでしょう。経済的見地からのみ言えば、受け取る側は、いいところで手を打つことが必要になります。

たまにテレビなどで、あの女優は離婚に際していくら慰謝料を取ったかという、極めて下世話なランキングが発表されたりして、アメリカなどでは何十億ドルの慰謝料をもらっている人もいるようです。

それをうらやましいと見る向きもあるのかもしれませんが、あれは考えてみれば、夫側が、何十億ドルのお金を失う苦痛よりも、その女性と夫婦でいることの苦痛の方が大きいと考えている証左なわけでして、女性にとってみれば非常に不名誉なことなのです。

平成24年1月追記。ダルビッシュは慰謝料を払わなかったようです。養育費が充分もらえるし、大した金額も出ないのに慰謝料のことで争うのも実益がない、とサエコ側が判断したのでしょうか。


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財産分与について(平成22年11月19日記)

離婚の際の金銭給付には、慰謝料とは別に「財産分与」というものがあります。これは、結婚後、二人で築いてきた「共有財産」を、離婚に際して二人でわけるというものです。

共有財産の簡単な計算方法としては、結婚後、夫婦二人で働いて増えた預金額を足してもらえば良いです。それを2で割ったものが、妻の受け取る財産分与です。専業主婦で夫だけが働いている場合は、夫の預金増加分を2で割って分与します。妻に所得がなくても、「内助の功」を評価するわけです。

マイホームを買った場合は、その不動産を時価に換算して共有財産に算入します。ですから、夫が家を取るのであれば、それに見合うだけのお金を妻に分与する必要があります。

やっかいなのはマイホーム購入時にローンを組んでいる場合です。夫婦の住む家として買ったものだから、ローンが夫名義でも、その残額分は共有財産から差し引かれる。

ローンがたくさん残っている場合は、差し引くと赤字になることもあります。この場合、理論上は、赤字の半分を妻が背負わないといけないことになるのですが、実際には、夫が銀行に「離婚したからローンの半分は妻から取ってくれ」と言っても、銀行は了承しないでしょう。

ですから、共有財産はゼロとして、妻にローンまでは負わせないかわりに、財産分与はナシとなり、家は夫が取るかわりにローンも払い続ける、となることが多いでしょう。私が扱った事件ではそうなっています。

 

ダルビッシュのサエコに対する財産分与を検討しようとして、一般論に流れてしまいましたが、ダルビッシュの場合は年に何億も稼いでいるから、相当の財産分与になるのは間違いない。

しかしここで疑問を感じる向きもあるでしょう。

ダルビッシュは、サエコの内助の功のおかげでプロ野球選手になったわけではない。もともと運動能力が高く、結婚前からプロとして稼いでいた。彼の稼ぎは、サエコが心の支えになっていたことはあるでしょうけど、どちらかといえば彼自身の能力に負うところが大きい。そういう場合にまで、妻の取り分を当然に「稼ぎの半分」と評価すべきかどうか。

裁判例などを見ると、財産分与は必ず半分、とされているわけでもないようで、事案により、2割~5割くらいの幅で決められているようです。夫の収入の中で、何割が妻の寄与によるのか、夫の職業や収入や、妻の果たしてきた役割に応じて判断されるのでしょう。

だからダルビッシュの場合も、裁判になれば財産分与は半分でなく20%くらいに下がる可能性もあるでしょうが、それでも相当な金額になるとは思います。

平成24年1月追記。財産分与については目立って報道されませんが、どうなったのでしょうか。これも、養育費で充分だから別途求めないということでしょうか。 


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養育費について(平成22年12月1日記)


妻が夫に生活費をよこせと言える法的根拠は、民法752条に「夫婦は互いに協力しあわないといけない」とあるからです。離婚が成立すると、夫婦関係は終了するので、妻に生活費を払う必要はなくなる。しかし、夫婦が離婚しても、親子の血縁関係は一生残ります。

ダルビッシュとサエコが離婚して、親権をサエコに渡したとしても、父親であるという事実は変わらない。父親である以上は、その子供を養育する義務を負います(民法877条)。それが養育費支払いの法的根拠です。

ですから養育費はあくまで子供に払うものですが、実際には親権者である母親が管理することになるので、その使い道には基本的に父親は口出しできないことになります。


その養育費の金額は、協議離婚の際に合意で決めることもできますが、協議がまとまらなければ家庭裁判所で調停を行なうことになります。

なお、子供が何歳になるまで払うかについても、協議で決まらなければ調停となります。だいたい、20歳までと決まる場合が多いでしょう。

 養育費の金額の決め方としては、家裁に養育費の算定基準があって、夫婦それぞれの収入や、子供の年齢や人数によって、公式にあてはめて計算します。

その算定基準はここでは省略しますが、具体的に算定してみたい方は、弁護士会や市役所の法律相談に行くか、街なかでやってる弁護士事務所を訪ねてください。たいていの弁護士は算定基準表みたいなものを持っているので、すぐ計算してくれます。

 

たとえば、ダルビッシュ夫婦みたいに、5歳くらいと0歳くらいの小さい子供が2人いるとして、夫の年収が1000万円、妻は専業主婦で収入なしだとすると、夫が払うべき養育費の月額は合計16万円前後(子供1人あたり8万円前後)です。

年収500万~600万の夫なら、単純に考えてこの半分前後です。多いと思うか少ないと思うかは人それぞれでしょう。

妻が子供2人を抱えて、月に8万円もらえるかどうか、という程度なら、女性なら少ないと思う方が多いでしょう。しかし、夫と離婚して子供を引き取ったからには、母親として自立して子供を育てる義務を負うので、不足分は自分で働くなどするしかありません。

さて、算定基準にダルビッシュの実際の年収をあてはめると、すごい数字になるでしょう。

彼がいくら稼いでいるかは知りませんが、仮に年収3億とでもします。サエコはタレント活動などでそれなりに収入があるはずですが、単純化のため収入ゼロとします。これで計算すると、養育費の月額は400万円前後となります。

平成24年1月追記。月500万円とか200万円弱とか言われていましたが、週刊誌等の報道では、月約200万円のほか、入学準備金とかいう名目のお金を支払うようです。ダルビッシュの稼ぎからすれば、不当に高いとも思えません。


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養育費について、続き(平成22年12月6日記)

一般的に、調停で養育費が決められた場合、夫側から不満顔でよく尋ねられます。「不景気でいつ収入が下がるかもわからないのに、それでも決まった8万円を支払い続けないといけないのですか」と。

れに対する答えは「その通り」です。それは別に不当なこととは思えません。逆に、がんばって仕事して年収が倍になっても、決まった金額以上に払う必要はないのですから。

女性からよく聞く不満としては、「将来、子供に何があるかもわからないのに、月8万円程度では確実に安心させてやれない」、というものがあります。これは、前回書いたとおり、自助努力で何とかしてもらうほかないです。そもそも世の中、幸せな結婚生活を送っている夫婦だって、確実に安心な生活などありえない。

例えば私だって、いつ不祥事を起こして弁護士資格を失うか知れないし、酒の飲み過ぎで死ぬかも知れない、そうなれば自宅のローンも払えなくなるかも知れないのです。

離婚すると「家計」が2つになって、食費や住居費などの生活関連費用が増え、一緒に暮らしていたとき以上に夫婦とも過酷な状況に置かれることになります。それがイヤなら離婚をガマンするか、そもそも、結婚や出産自体をガマンすべきです。
どうしても経済的に裕福な離婚をしたい、という方は、サエコみたいにがんばってダルビッシュくらい稼ぎのある人を捕まえるしかないです。

さてそのダルビッシュ、養育費は相当な金額になるだろうと前回書きましたが、それでも、プロスポーツ選手の選手生命はそう長くないから、ダルビッシュの2人の子供が成人するまでプレーできるとは思えない。

彼がメジャーに行って収入がもっと増えるかも知れないし、ケガで引退して収入が激減するかも知れない。それでも冒頭に書いたように、ダルビッシュは決まった養育費を支払う義務を負います。また、仮にサエコがダルビッシュ以上のお金持ちと再婚しても同じです。

だ、ダルビッシュに限らず誰でも、養育費の支払い期間中に収入が大幅に下がることはあるし、妻が再婚して経済的に裕福になることもある。そういう場合は、夫側から再調停を申し立てて、養育費の金額を下げてもらうことはできます。からも、夫の収入が上がったときには、それを前提に養育費を上げてもらうよう、調停を申し立てることができます。

のような正式な手続きを踏まずに、養育費の額を一方の事情だけで勝手に上げ下げすることはできないということです。

平成24年1月追記。いかにダルビッシュがすごい選手でも、子供が成人するのは10数年先でしょうから、月200万円の養育費が妥当とされるほどの稼ぎをその間ずっと維持できるのかは、さすがにわかりません。お子さんのためにがんばっていただくほかありません。

再録終わりです。


弁護士を最大限に活用する2つのルール 3

続き。

弁護士に相談するにあたっては、いま何が起こっていて、それに対してどう対応したいのか、ということをまず伝えたら、次は2つめのルールで、自分であれこれ話をしようと思わず、弁護士が聞いてくることに答えればよい、ということについて。

 

医師が患者の患部を見れば、治療方法についておおよそのことは想像がつくのと同様に、弁護士は、紛争が今どんな状況になっているか、紛争相手からどのような主張や請求を受けているかと言った部分を聞けば、それに対応するための方法はすぐにでも思いつきます。あとは、補足的にいくつか事情を聞けば、充分、方針は固まるのです。

 

弁護士がその法的問題に対処するために必要と考えていることと、相談者が言いたいことというのは、往々にして異なります。弁護士はこちらが聞いてほしい話なのに身を入れて聞いてくれない、と感じる方もおられるかも知れません。

しかし、弁護士は単に、悩んでいる人の話を「聞いてあげる」だけの商売ではありません。依頼を受ければ、その案件に責任をもって、自ら代理人として解決にあたらないといけないのです。互いに限られた時間の中で迅速に解決を図るためには、どうしてもポイントを絞って事情を聞かないといけないし、場合によっては、触れてほしくないようなことまで聞かないといけないとご理解ください。

 

その結果、どうしても言い足りないと感じることは出てくると思いますが、その点は、良心ある弁護士なら、一通りの相談が終わったあとに、必ず「他に何かご不明の点はありますか」と聞いてきます。そのときに、言い足りなかった部分を伝えてもらったら良いです。

重要な話であれば、改めてじっくり聞いてくるし、そうでもないなら、「そこはあまり本件に関係しないでしょう」と答えます。時間に余裕があれば、なぜそこは関係ないのか、きちんと説明してくれるでしょう(逆に言えば、そういうフォローがない弁護士は不親切な弁護士です)。

 

あと、それと関連して、聞かれたことには正直に応えてください。あまりにも当然のことながら、弁護士にウソをつく人はザラにいます。たとえば、不倫したのに「してない」というようなのが典型例です。悪気があるわけではないと思います。言いたくないこと、恥ずかしいことは隠しておいて、自分に都合のいいように言っておけば、あとは弁護士がそのように「言いくるめてくれる」と考える人が多いのでしょう。

しかし弁護士にとって、不倫であれ犯罪であれ、「無実なのに疑われた」ときの弁護と、「やったことはやったけど、傷を浅くしたい」というときの弁護では、方針が相当に違ってきます。そこそこに経験のある弁護士なら、多くの場合、依頼者のウソは見抜けますが、それでも、相談者が頑として「おれはやってない」と(本当はやったのに)言い張れば、弁護士としてはそれに沿った弁護をせざるをえず、つまり間違った方針で弁護することになります。

弁護士にわざわざお金を払って、間違った方針で弁護されるわけですから、依頼者としても何も得はないわけです。

 

あと1回だけ続く予定。

弁護士を最大限に活用する2つのルール 2

前回の続き。

弁護士と相談して成果を挙げるために重要なのは「いま、何が起こっているのかをまず伝えること」だが、意外にそうしてくれない人が多い、と書きました。さらに付け加えますが、弁護士との相談に限らず、これは多くの場面で当然重要なことであるはずです。

 

たとえば、誰しも医者にかかったことはあると思いますが、その際には、いま自分の体に何が起こっているかということを伝えるはずです。熱がある、せきが出る、胃が痛い、などです。

医師の診察に際して、たとえば「この冬は寒暖の差が激しく、昨今の不況と円高で我が社も大変でサービス残業が多くて、肉体的・心理的疲労は絶えることなく…」などと、病気になったいきさつから話し始める人は、たぶんいないと思います。

痛いところがあれば伝える、患部を見せる、医師に対しては誰もがそうすると思います。

訴えられた人がなかなか弁護士に訴状を見せようとしない、と前回書きましたが、弁護士も弁護のプロです。医師が患者の患部を極めて冷静に事務的に見るのと同じで、訴状を見た弁護士が相談者に対する偏見を持つことはありえません。

 

料理屋で食事するとか、バーでお酒を飲むとかという状況でも、同じようなことが言えます。

いまの自分の状態と、だからどういうものを欲しいということを、最初に、端的に明確に伝えたほうが、間違いなく、良いサービスを受けられる。

「お腹がすいているから、しっかりした肉料理が食べたい」とか、「のどが渇いているから、さっぱりしたカクテルを飲みたい」といった具合です。

このとき、「今日の私はどれくらい忙しくて、これだけの仕事をこなしてきて…」などと、腹が減るに至ったいきさつを延々語る人は、あまりいないでしょう。まあ確かにたまにはいますが、注文するでもなく店主をつかまえてダラダラ話し続けるような人は決して、良い客とは見なされないように思います。

 

弁護士、医師、料理屋とバーを同列に論じるのは乱暴かも知れませんが、何らかのサービスを受けようとするときに、自分の状況と自分の希望を端的に伝えることは、対人関係における基本であると思うのです。まずはそれだけ伝えておいて、あとの細々した話は、聞かれてから答えればよいのです。

 

ということで、2つめの「自分から話をするのでなく、弁護士の問いに答えること」という話に進みます。続く。

弁護士を最大限に活用する2つのルール 1

タイトルが安直なハウツー本みたいでお恥ずかしいですが、それはともかく。


先日、弁護士にとって質の低い事件とはどういうものか、などと、偉そうなことを書いてしまいました。じゃあ弁護士にとって質の高い事件とはどういうものだ、と感じた方もおられるかも知れませんが、それは、わずかな労力で多額の報酬をいただける事件です…と、これはもちろん冗談です。

これよりしばらくは、どんな事件であるかを問わず、弁護士とうまく相談する方法、つまり弁護士を利用する際に最大の成果を挙げる方法について、書かせていただきたいと思います。

 

かといって、特殊な秘訣があるわけではなく、当然のことばかりです。最初にそれを書いてしまいますが、要約すれば2点だけです。

1つめは、「いま、何が起こっているのかをまず伝えること」で、

2つめは、「自分から話をするのでなく、弁護士の問いに答えること」です。

 

1つめ、「いま、何が起こっているか伝える」ということについて。

具体的に言えば、「金を返せと訴えられ、訴状が届いた」、「妻が離婚したいと言い出した」、「息子が万引きで逮捕された」などです。

また、これとあわせて、可能であれば「それに対してどうしたい」ということも伝えればなお良いです。

金を返せと訴えられたのなら、事実無根のことだから徹底的に争ってほしいということなのか、借りたのは認めるから返済条件を話し合ってほしいということなのか。離婚したいと言われたのなら、そもそも離婚したくないのか、離婚はいいけど離婚条件を有利にしたいのか。これを最初に伝えることで、その後の相談がきわめてスムーズになります。

息子が逮捕されたなどという場合は、「どうしていいのかわからない」という人が多いでしょうから、それだけ伝えておけば、あとは適宜弁護士が聞き出してくれます。

 

これらは簡単なことのように思えますが、最初にこうしたことを明確に伝えてくれる相談者というのは、実はそう多くいません。それはやはり、相談者にとって恥ずかしいこと、不名誉なことであるからでしょう。その気持ちだけはわかります。

金を返せと訴えられたケースなら、弁護士としては、その人に送り付けられてきた訴状を見せてもらうのが、事案の理解のためには最も手っ取り早い。

しかし相談者にとっては「自分のことを『被告』とあげつらうような訴状など見せたくない」、「いきなりこんなものを見せてしまっては、この弁護士まで私を悪者と思ってしまうのではないか」という懸念があるのでしょう。

そのため、多くの相談者は「なぜこういうことになったのか」という、いきさつの説明から始めようとします。しかし、弁護士にとって、いま何が起こっているのかが理解できていない段階から、いきさつばかり話されても、なかなか理解しにくいのです。

こうして、相談者にとっても弁護士にとっても、時間と労力を無駄にすることになるのです。相談者は通常、時間単位で相談料を払うわけですから、お金の無駄にもなります。

 

と、そういう話をしばらく続けます。

JR西の脱線事故、無罪判決は妥当と思う

JR西の脱線事故で業務上過失致死罪に問われたJRの前社長の山崎氏に対して、神戸地裁が無罪判決を出しました(11日)。

山崎前社長は、事故当時、鉄道本部長として鉄道の安全管理に関わっていたということから起訴されたのですが、判決は、簡単に言えば、事故を予見できなかった、としています。

100人以上の乗客が死亡した悲惨な事件であり、遺族の方々の感情は察するにあまりあります。でも、個人的には妥当な判決だと思っています。

 

ここでも同じ話を繰り返し書いてきましたとおり、企業が人命にかかわるような事故を起こした際に、企業が「使用者責任」(民法715条)に基づいて遺族に対し賠償金を支払うのは当然です。しかしそのことと、企業の中の特定の誰かに刑事罰を科するというのは全く別問題であるということです。個人を罰して刑務所に行かせるには、よくよくの事情が必要です。

個人に刑事責任を問いうるほどの「予見」や「過失」とはどういうものかという議論は専門的になるので控えます。ただ、それは誰しも、自分の身に置き換えてみれば想像しうると思います。

 

たとえば私の事務所にも事務職員がおり、裁判所に行くときなどに自転車を使うことがよくあります。そのとき、(職員には悪い例えですが)自転車を人にぶつけてしまい、大ケガさせたり死亡させたりしたらどうなるか。

私は、上記の使用者責任を負い、被害者に賠償金を払うことになるでしょう。それだけでなく「あなたも刑務所に行ってもらう」「自転車で市内を移動させるんだから、事故が起こることくらい予見できたでしょ」ということになれば、これは正直なところ、たまったものではない。

もし、従業員が事故を起こしたら雇用主も刑事罰を受ける、という法律や判例ができてしまったら、私は直ちに全従業員を解雇するでしょう。そこまでのリスクを負えないからです。私だけでなく、人を雇う多くの人は同様に考えるでしょう。

 

繰り返しますが、本事故の遺族や被害者の方々の気持ちはよくわかります。これまた、自分の家族がもしこの事故で亡くなっていたら、と自分の身に置き換えてみれば、容易に想像しうることです。

しかし、本事故に限らず、いかに悲惨な被害が生じたからといって、関係者個人が誰か刑務所に行かないと気が済まない、と考える人がいたとしたら、それは誤りであると考えます。そんな風潮ができてしまうと、いずれ自分の身にはねかえってきます。

新年のとりとめのない雑感 4(完)

日本の政治の劣化について書こうとして、昨今の弁護士事情に話がそれてしまいました。

弁護士に関して言うと、数が増えたせいで弁護士自身が劣化したのかも知れないし、タチの悪い依頼が増えたせいでそれにあわせざるをえなくなったのかも知れない。どちらが主な原因かと言われると、弁護士である私でもわかりにくく、おそらく、その両方が相関しあっているのでしょう。

 

政治家については、国会議員の数が増えたということはないですが、ある程度は人気商売であることは弁護士と同じです。国会議員は国から給料が出るから、弁護士みたいに依頼を増やして売上をあげないといけないという事情はないですが、でも、次の選挙で落選すると議員でなくなるのです。これは、よほどの不祥事や犯罪でもしない限り一生弁護士でいられる我々とは大きく異なるところです。

したがって国会議員は、選挙で落ちないよう、地元選挙区の有権者に対して、弁護士以上に熱心に、人気取りをしなければならなくなる。

 

これまた私自身の経験談になってしまって恐縮ですが、私が勤務弁護士をやっていたころ、事務所の所長弁護士は国会議員や地方議員にも顔が広く、そのため、議員に紹介されて事務所に相談に来た依頼者も多くいました。事件の内容は、借金とか離婚とか、息子が覚せい剤で捕まったとか、ありがちな相談ばかりでした。

議員の事務所へは「市政相談」などという名目で、地元の有権者が多数相談に訪れるのであろうと想像されますが、そこに来る相談とは、国や地方の政治のことでなく、おそらく多くはこのような、あくまで個人の問題でしかないのでしょう。

もちろん、これらの相談ごとも、当人にとっては大問題であるには違いない。ただそれらは、議員のところに駆け込んでいくようなことなのか、と私は常々疑問に思っていました。また、そういうルートでうちに相談に来た方が、不思議なことに共通して、ことあるごとに「私は議員の○○先生の紹介で来た」などと笠に着るのも、何だか鼻につきました。

 

議員の人たちは本来、国や地方の政治という「公益」のために仕事をやっているはずなのですが、こういった全く個人的な相談を聞かされて、それを無碍にもできないわけで、これは大変な仕事だなあと感じた記憶があります。

このように、議員は議員であり続けるために、こうした個人的な相談ごとに忙殺され、政治家本来の仕事がなかなか手につかなくなる、という側面はあると思います。

昔は、政治などはその土地の名士がやるもので、したがって議員でなくなっても食うには困らない、という人が多かったと思います。かといって現代では、名家のおぼっちゃんに政治をやらせるのがよいかというと、鳩山元総理の例で日本国民みな懲りたはずです。

 

結局、日本の政治が劣化しているとしたら、政治家自身が劣化しているのかも知れないが、一方で、どこまでも個人的な問題でしかないことについて、政治家を利用すればうまくやってくれるだろうと期待する有権者が、政治家のやることを矮小化させているという側面もあると思います。その両方が原因である、と結論をぼやかして逃げておきます。

 

最後に、公益とか何とか言われても、何が公益で何が個人の問題かわからないから、どこに相談に行けばいいのかわからない、という方は、まずは政治家でなく弁護士に相談に行ってください。

心ある弁護士なら、政治や行政に相談すべきことであるのか、弁護士で事足りることであるのか、弁護士にすら相談すべきでないことなのか、きちんと理由をつけて説明してくれるはずです。

新年のとりとめのない雑感 3

前回の続きで、あくまで私個人の見解ながら、弁護士にとってタチの悪い、質の低い事件とはどういうものか、について。いろんな例を挙げることはできると思いますが、単純化のため、とりあえず4つの類型に分けます。

 

1つめの類型は、依頼の内容自体が違法なケースです。

例として、明らかに脅迫にあたるような文書を、弁護士の名前で紛争の相手方に送り付けてほしいという相談があります。この類型は論外であって、弁護士である以上、受けてはいけない事件です。

 

2つめの類型は、弁護士を「代書」としか考えていないようなケースです。依頼者が思うとおりの内容を一言一句、訴状や内容証明に書いてほしいというものです。

弁護士が文書を書く以上は、ふさわしい法律構成や表現を慎重に吟味するのですが、弁護士としてとうてい書けない表現(法的に不正確であるとか、品位に欠けるなど)ばかり書いてくれという人はたまにいます。

 

3つめの類型は、依頼者がおよそ現実的でない「戦略」を立てているケースです。

例としては、以前も触れましたが、金を貸した相手がお金を返してくれないとき、貸金返還の民事裁判を起こすのではなく、警察に詐欺で告訴してほしい、という相談がそれです。

警察に告訴する→警察が速やかに捜査に乗り出す→相手が驚いてすぐにお金を返してくる、という「戦略」なのですが、これがまず実現不可能であるのは、以前書いたとおりです(右の「2011年8月アーカイブ」にて「告訴を受理させる50の方法」を参照ください)。

 

4つめの類型は、法律問題でもないことについて、とにかく交渉してほしいというケースです。例としては、彼女と別れたいからキレイに別れられるよう交渉してほしい、というものです。

 

1の類型は、上記のとおり、間違っても受けてはいけない相談です。2から4の類型でも、一昔前の弁護士なら、そんなの弁護士に頼むことじゃない、と断ったでしょう。

ただ注意していただきたいのは、弁護士がこうしたケースを断るのは、多くの場合、弁護士としての矜持と良心に基づくものです。

もしこれが悪徳弁護士であれば、高い着手金だけ取っておいて、「あなたの言うとおりやってみましたがダメでした」「がんばって交渉しましたがダメでした」で終わりでしょう。

 

弁護士の数が増えて、アクセスがよくなることで、この手の相談はきっと今後増えると思います。私ならたぶん断りますが、これからどんどん弁護士の数が増えてくれば、食っていくためにはやむをえず、疑問を感じつつもこうした案件を受ける弁護士も増えていくでしょう。

すべての弁護士がそうだとは思えませんが、相当程度の数の弁護士において、その仕事は、法律の専門家ではなく、依頼者の手駒みたいになっていくことが予想されるのです。

新年のとりとめのない雑感 2

日本のトップに立つ政治家は劣化しているとよく言われますが、それは政治家が劣化しているということなのか、国民全体が劣化しているのか、という話に触れようとしております。

もっとも、私には政治のことはよくわかりませんので、自分に身近なところから説き起こす他なく、そのため、まずは弁護士を題材にとってみます。

 

弁護士といってももちろん、ピンからキリまであり、極めて優秀な人もいれば、依頼者のお金を着服してしまう人もいます。それでも、全体の平均というものをとってみれば、おそらくここ最近、弁護士は劣化していると思います。

その理由は何かというと、一つには、司法試験の合格者数が、一昔前は500人程度だったのが現在は2000人になったということです。とはいえ、試験の成績が下のほうの人でも合格するようになったということが直接の原因ではなく、ただ結果として弁護士の数が増えたことで、競争を強いられるようになったということが挙げられると思います。

加えて、今となっては信じがたいことですが、一昔前は弁護士が広告をすることが禁じられていたのが解禁されたことと、近年のインターネットの普及ということが、それに拍車をかけています。

これらの要因によって、一般市民の弁護士へのアクセスは、間違いなく良くなりました。

本当に、一昔前は弁護士事務所なんて紹介がなければ行けなかったところです。それが今では、テレビやラジオでも宣伝が流れ、インターネットを見れば、食べ物屋さんを探すかのように弁護士も選び放題といった感があります。

 

私はこのようにして、弁護士へのアクセスが従来に比べれば良くなったこと自体は良かったと思っています。昔は、大した仕事もしていないのにエラそうにしている弁護士も多かったはずで、それでも数が少ないから弁護士というだけで有難がられたはずです。そういう弁護士が淘汰されることは、望ましいことです。

このようにして弁護士へのアクセスが容易になることで、本当に法的救済が必要な人々の多くが救われたであろうことは容易に想像されるからです(一例として、サラ金各社への過払い金返還請求を弁護士が広く行うことで、借金苦から倒産、失踪、自殺といった行動を取ることを免れた人は多数いたはずです)。

 

ただその一方で、弁護士へのアクセスが容易になりすぎた結果、一昔前ならわざわざ弁護士に相談しなかったような相談、仮に相談されても弁護士は受けなかったであろうと思わせる相談が増えている、とも感じます。

そして、そういういわば「くだらない事件」でも、最近の若手弁護士は人数も増えて競争過多であるため、自身が食っていくために、受任せざるをえない。

くだらない事件とはどういうものか、それは次回にもう少し書きますが、こうして、委任される事件の質の低下が、それを代理人として引き受ける弁護士の仕事の質を低下させる状況となっているわけです。


(なお注。こういうことを書くと、当事務所にご依頼・ご相談いただいている方々の中でブログを見てくださっていて、くだらない事件とは自分の依頼のことではないか、と気遣われる方もおられるかも知れませんが、幸いにも私にはくだらない事件は受任を拒否する程度の余裕はありますので、私が受任している事件について云々しようとしているものではありませんことをあらかじめ述べさせていただきます)

 

新年のとりとめのない雑感 1

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

年末にあれこれ書こうと思ってるうちに、年を越して三が日を過ぎてしまいました。正月気分を引きずったまま、雑感を書きはじめようと思います。

 

平成21年の元日に生まれた息子は、この正月に3歳になりました。休み期間中に、南港ATCで行われた「プラレール博」へ、妻子とともに行ってきました。

アトラクション(小さい列車に乗ったり、ゲームをしたりする)待ちの行列では、どこの子供もじっとしていませんでしたが、でも、どこの親も順番だけはきっちり守っていました。

それで思い出したのですが、昨年、行列を守らない人を、二度だけみました。ひとつは新幹線に乗るとき、もう一つはビックカメラのレジのときでした。いずれも、中国語らしき言葉を話す人たちでした。

ちょうど、尖閣諸島の問題で対中感情が悪化している時節柄でもあり、いずれのケースも日本人が、ちゃんと列に並べと、その中国人らしき人をたしなめました。ビックカメラでたしなめたのは私なのですが、その話はさておくとします。

 

かように、いかなる事態にあっても順序や秩序を守るというのは、間違いなく日本人の美徳です。昨年の東日本大震災でも、そのことは明らかだったと思われます。配給物資をもらうために列を抜かした日本人は、きちんと調べてはいませんが、いなかったのではないかと思います。

一方、震災対応をめぐって、政治はゴタゴタし続けました。菅前総理は統治能力もなく現場を怒鳴りつけて混乱させているだけ、というのは多くの方が共通して感じておられたでしょう(より具体的には、当ブログの右端の「月別アーカイブ」の「2011年3月」をクリックして当時の記事を参照ください)。

 

どんな問題や災害に直面しても、現場に立つ一人ひとりの国民は優秀であるが、トップに立つ人々は、統治能力もなく愚かである――日本ではよく言われることです。昨年の震災だけでなく、たとえば第二次大戦を振り返って言われることでもあります。

一方で、一国の国民は自分たちのレベル以上の政治家を持てない、ということもよく言われます。つまりトップに立つ政治家が愚かだとしたら、それは国民全体が愚かだということです。

さて、実際にはどちらが真実に近いのだろうということを、昨年の震災後、とりとめもなく考えたりしました。前置きが長かったですが、今年の最初のネタにこのことを書こうとしておりました。今後、休み休みこのことを書きます。