相続相談4(完) 調停による解決方法

大阪家庭裁判所調停室にて。田中良翁さん第2回調停

 

調査官「前回の調停の後、トキさんから相続分を放棄する旨、書面が提出されました。カイオウさんからは、今月末までに2500万円を振り込んでもらうことを条件に、不動産をラオウさんのものにすることを受託する旨、書面で回答がありました」

山内「よかった。これで調停成立ですね」

裁判官「裁判官の風野飛雄偉(かぜの・ひゅうい)です。それでは調停条項を確認します。第1に、田中ラオウさんは、東大阪の土地建物を単独で取得する。第2に、田中ラオウさんは、その代償として2500万円を田中カイオウさんの指定口座に今月末までに振り込む。第3に、田中トキさんは、遺産を何ら取得しない。これをもって、田中亀六さんの遺産に関する問題はすべて清算する。以上で間違いないですか」

田中「結構です。ありがとうございました」

 

同日、南堀江法律事務所にて。

 

田中「このたびは本当にありがとうございました。山内先生のおかげで、話が早くまとまりました」

山内「いえいえ、亡き亀六さんの遺産を守るために理解を示してくれた、カイオウさんとトキさんにこそ、お礼を言ってあげてください」

田中「あの、それで今後はどういう手続きになりますか」

山内「東大阪の不動産はあなたの名義にできますから、登記手続きは司法書士さんを紹介します。あと、信用金庫には今回の調停調書の写しを持っていって、カイオウさんの口座にお金を振り込むよう、手配してください」

田中「わかりました。あと、弟のトキなんですけど」

山内「はい、何か」

田中「土地も建物も、すべて私の名義になるわけでしょう。トキがそこに住んでいることは問題ないのですか」

山内「ええ、所有者であるあなたが承諾している以上、何の問題もありません。あなたの所有する建物の離れの部分を、トキさんに無償で貸してあげているという状態で、法的に言えばトキさんは使用貸借(しようたいしゃく)という権利に基づいてそこに住めることになります」

田中「なるほど、それなら安心しました」

山内「本当は、無償で貸すというのも、将来的にはトラブルのもとなんですけどね。ただ、不幸にもトキさんは、先が長くないようなので…」

田中「ええ、もちろん、トキが生きているうちは、静かに住まわせてやりますよ」

山内「ただ将来のことはわかりませんよ。ガンの治療も進歩しているようですから、もしかしたらトキさん、長生きされるかも知れないし、結婚して子供ができるかも知れない。そうなると、いずれ離れの部分の居住権について、トラブルが生じる可能性はゼロではないと思います。本当に、土地は分筆しなくても良いですか」

田中「はい。トキのやつが長生きしたら、むしろ嬉しいことですし、その後のことはそのときで考えます」

山内「じゃあ、土地家屋調査士さんに杭を打ってもらわなくても結構ですね」

田中「結構です。我が生涯に一片の杭なし!」

山内「…はいはい。では、私の委任事務は終了です。あとはトキさんを労わってあげてください」

田中「どうもお世話になりました」

 

(了)

相続相談3 相続人の協力が得られない場合は

大阪家庭裁判所調停室にて。田中良翁さん第1回調停。

 

調停委員「こんにちは。調停委員の雲野十佐(くもの・じゅうざ)といいます」

田中「田中ラオウです。この度はお世話になります」

山内「代理人の山内です。よろしくお願いします」

調停委員「田中ラオウさんから遺産分割調停の申立てを受けまして、呼出状を相続人のカイオウさんとトキさんに送付しました。その後の状況について、家裁調査官の海野理博(うみの・りはく)さんからご報告いたします」

調査官「調査官の海野です。弟のトキさんから、裁判所に文書で返答があったんです。相続のことは、兄のラオウさんに一任すると。私のほうからトキさんのご自宅にお電話して確認しましたところ、兄のラオウさんのいいようにしてほしい、場合によっては私の相続分は放棄してもいいと、こうトキさんはおっしゃいました」

山内「そうなんですか。田中さん、今のお聞きになりました? あれ、田中さん、泣いておられます?」

田中「ぐ……」

山内「どうしたんですか?」

田中「今朝、裁判所に向かうときに、母屋の前でトキと会ったんです。トキは確かに、私の相続分は要らないから、カイオウ兄貴といいように分けてくれと言ったんです」

山内「なぜトキさんは、そんなに欲がないんでしょう」

田中「ええ、それで私も聞いたんですよ。『うぬは何故に、相続分を要らぬと言いおるか!』って」

山内「あのーすいません、あなた兄弟の間じゃ普段そういう話し方なんですか」

田中「え、ええ、まあ…。で、トキが言うには、ガンが発見されたと。あと半年か1年くらいの命なんだそうです」

山内「え…」

調査官「ああ、そうなんですか…。トキさんにはお気の毒ですが…。でも手続きは進める必要があります。トキさんも生きておられる以上は相続権がありますので、本当に相続分が要らないのであれば、相続分放棄の申出書というものにサインしていただく必要があるんです」

山内「あと、カイオウさんはどうなりましたか」

調査官「それが、返答がないんですよ。お勤め先の旅館に電話したのですが、取り次ぎを拒否されているようで、電話に出てくれないんです」

田中「裁判所から呼出しをしてもらってもダメですか。じゃあ、どうしようもないんですかね」

調査官「いえ、先日は呼出状を送付しただけですが、今度は、具体的な遺産分割案を踏まえて、文書で提案してみます。あなたにはこれだけの取り分があるから、承諾してくれれば、家庭裁判所に来なくても、取り分を与えますよと」

田中「え、どういうことですか」

山内「つまり、お父さんの遺産は、不動産が2000万円、預金が3000万円でしたよね。トキさんが相続分を放棄すれば、この総額5000万円をあなたとカイオウさんで分けることになります。あなたは不動産を取って、預金は500万円だけ取る。残り2500万円の預金はカイオウさんにあげる。そうすれば、2人とも取り分は2500万円ずつで平等になります」

調査官「そうです。それを文書で提案するのです。カイオウさんがこれを受託する書面にサインしてくれれば、遺産分割調停は成立となります。そうすれば不動産はあなたのものになって、あなたの名義に登記することも可能となります」

田中「なるほど。2500万円を与えると聞けば、普通はほっておかないでしょうからね。でもうちの兄は気難しいやつですし、それでもなお無視してくれば、どうなるんでしょうか」

調査官「裁判所の度々の呼びかけにも応じない場合は、相続分を取得する意思なしとみて、カイオウさん抜きにして手続きを進めることも可能となります」

田中「ああ、そうすると、私が遺産全部を取ることになりますね。それなら、いっそずっと無視してくれてもいいなあ」

山内「まあ、そんな都合よくは行かないでしょうけど。でもこれで方針は決まりましたね。裁判所を通じて、トキさんには相続分放棄の申出書を書いてもらう。カイオウさんには、先ほどの提案を調停案として、裁判所から送付し、受託書面を書いてもらう、と」

調停委員「はい、ではそういうことで、第2回目の調停は、カイオウさんやトキさんの返答待ちのため、2か月ほど先にしましょうか」

田中「はい。ありがとうございます」


続く 相続相談4

相続相談2 遺産の共有とは、分割の方法は

相談者 田中良翁 2回目のご相談

 

田中「今日は父親の通帳を持ってきました」

山内「なるほど、八尾信用金庫に約3000万円の預金があるのですね」

田中「不動産については何かわかりましたか」

山内「はい、あなたが住んでおられる東大阪の土地は、登記簿によると、名義が田中亀六さんになっていました」

田中「ああ、死んだ親父の名義ですね」

山内「1つの土地の上に、建物が2つあるようですね。『付属建物』が存在すると登記されていますが、何かわかりますか」

田中「ええ、母屋と離れがあるんです。母屋には、私と妻と息子2人がいて、親父と同居してました。弟のトキは独身で、離れで一人で住んでます」

山内「固定資産評価証明書によると、土地の価格は約2000万円ですね。建物は古いので、評価額はゼロに近いです」

田中「そうすると、一体どういうことになりますか」

山内「亀六さんの遺産は、預金3000万円、不動産2000万円の、合計5000万円です。これを3人で分けることになります」

田中「どう分けるのが良いでしょうか」

山内「典型的には、あなたが母屋を取り、トキさんが離れを取る。カイオウさんにはお金を分けてあげることが考えられます。亀六さん名義の土地は、2つに区切って、それぞれ、あなたとトキさんの名義に変えるのが良いでしょう」

田中「土地を二つに分けるんですか」

山内「はい、分筆(ぶんぴつ)と言います。土地家屋調査士さんに測量してもらって、それぞれの敷地の間に境界線を引いて、杭を打っておくんです」

田中「クイ…ですか?」

山内「杭といっても大げさなものでなくて、境界線の起点に金属の鋲を目立たない形で打つだけです」

田中「なるほど。で、兄や弟は何か言ってきましたか」

山内「はい、それなんですが、トキさんからは協議に応じると、文書での返答がありました。カイオウさんは、働いておられる民宿にあてて文書を送ったのですが、今のところ返答はありません」

田中「返答がないなら、兄を無視して手続きを進めることはできませんか」

山内「いえ、それはできないですよ。現時点では、東大阪の不動産は、相続人全員で3分の1ずつ共有している状態になっています。これをあなた一人の名義に登記するためには、相続人全員が遺産分割協議書に実印を押す必要があるんです」

田中「面倒なことになるのなら、私はその共有とかいう状態で構いませんが。私ら一家も、弟も、今のまま住めるんでしょ?」

山内「確かにそうですが、あとで問題になることは多いです。もしカイオウさんが帰ってきて、俺も共有者だから住まわせろと言ってきたら、断れませんよ。それに、もしあなたやカイオウさんが亡くなったら、それぞれの奥さんやお子さんが共有権を相続しますから、トラブルの種を次の世代に残すことになります」

田中「そうかあ…。兄も淡路島で隠し子がいるとか、ウワサで聞いてましてね。じゃあウチの妻や息子とその隠し子が…」

山内「そうです。東大阪の不動産をめぐって争うことになりかねない。トキさんだって結婚して子供ができれば、将来的に相続人はもっと増えます。兄弟の多い家庭で相続問題をほうっておいたために、相続人が何十人にもなって収拾つかなくなることだって、よくあるんですよ」

田中「それはちょっと困りますね。と言っても、兄が話し合いに応じてこなければ、遺産分割協議はどうなるんでしょうか」

山内「考えられる方法としては、家庭裁判所に遺産分割調停を申し立てて、裁判所から呼出状を出してもらうことですね。調停が成立すれば、遺産分割協議書を作らなくてもよくなります」

田中「そうですか。わかりました。それでは、その調停というものに取りかかってください」

山内「わかりました。家庭裁判所での調停期日が決まりましたら連絡いたします」


続く 相続相談3

相続相談1 相続関係の調査

法律相談シリーズ2回目は、相続問題です。


相談者 田中良翁(40代、自営業)

 

山内(相談者シートを見ながら)「初めまして。えーと、これは、田中ヨシオさんと読むのですか?」

田中「いえ、田中ラオウです」

山内「そうですか、失礼しました。さて今日のご相談は」

田中「相続のことなんです。父親が先月に亡くなったので、今後の財産わけについてお聞きしたいんです」

山内「そうですか。お父さんの相続関係についてお聞きしますが、あなたのお母さんや兄弟の構成はどうなっていますか」

田中「母はずいぶん前に亡くなっています。兄弟としては、兄と弟がいます」

山内「そうすると、相続人はあなたたち兄弟3人ということになりますね。遺言書はありましたか」

田中「いいえ」

山内「お父さんの遺産にはどんなものがありますか」

田中「東大阪市にある自宅と、地元の信用金庫に預金が何千万かあるはずです」

山内「ではその不動産と預金を分けることになりますね。あなたたち兄弟が3分の1ずつの法定相続分を持ちますが、3人で遺産分割協議をして分配方法を決めることもできます。ご兄弟と協議はされましたか」

田中「いや、それが、話し合いできる状況じゃなくて、まだ何も進んでいないんです」

山内「ほう、連絡は取れないんですか」

田中「兄は遠くにいて、長らく音信不通です」

山内「えーと、そのお兄さんは何と言うお名前ですか」

田中「田中カイオウです。海に翁と書きます」

山内「カイオウさんはどうして音信不通なんですか」

田中「20年前に、俺は強い男になるために海を渡るんだと言って、出ていってしまったんです」

山内「ほう、では今、どこにいるかわからないんですか」

田中「いえ、淡路島で民宿の手伝いをしているんですけどね」

山内「はあ…瀬戸内海を渡ったんですか」

田中「はい、『料理民宿 しゅらの国』という宿で働いているということだけはわかっています」

山内「それから、弟さんは何オウさんですか」

田中「いや、田中トキといいます。登るに輝くと書きます。東大阪で、私の隣の家に住んでいるので、連絡は取れるのですが、病気がちなもので、あまり話しあいの場には出てきたがらないんです」

山内「そうですか。だいたいの事情はわかりました」

田中「私、相続でどれだけ取れるんでしょうか」

山内「いや、遺産総額がいくらになるかまだ把握できていませんし、他の兄弟の方が遺産分割協議に応じてくれるかどうかで、今後の方向性も変わってくると思いますので、今日の段階ではいくらとも言えません」

田中「私には難しいことはわかりませんので、すべて先生を通じてお願いしたいと思っているのですが、今後私は何をすれば良いでしょう」

山内「では私のほうで、東大阪の不動産の権利関係や評価額を調べてみます。あとは、お父さんの預金額がどれくらいか知りたいのですが、預金通帳は誰が管理しているのですか」

田中「私です。兄が家を出てから、私が父と同居しておりましたので。通帳は自宅のタンスにあるはずです」

山内「では、不動産は私が調べますから、次回までにお父さんの通帳を揃えておいてください。あと、私のほうから、カイオウさんとトキさんに、遺産分割協議に応じてくれるよう、文書で要請してみます。1か月もあればおおよそのことは判明するでしょうから、そのころにまたお越しください」

田中「わかりました。よろしくお願いします」


続く 相続相談2

死刑は合憲か~土本教授の証言から

大阪地裁での裁判員裁判で、死刑制度の合憲性について議論されているそうです。大阪市此花区のパチンコ店での放火殺人事件に関してです。

最高裁は一貫して、死刑は合憲であり、憲法36条が禁じる「残虐な刑罰」にあたらない、としています。今回の裁判員裁判でも、死刑は違憲だから廃止すべきだという結論に至ることは、まず考えられません。ただ、この問題について主権者たる国民がじかに議論に加わることの意味は大きいでしょう。

 

抽象的なレベルにおいては「人を殺したヤツは当然死刑でいいじゃないか」と、おそらく多くの人は考えるでしょう。

さらに、むごたらしい犯罪が行なわれたような場合、死刑でも生ぬるい、そいつがやったことと同じやり方(今回のケースなら火あぶり)で殺せ、という人もいる(これは感情論としてはともかく、近代国家では採用しえない暴論です。同じやり方で刑罰を与えるとなれば、たとえば交通事故を起こした人は保険金を払って償うということが許されず、同じように車でひかれることになります。それで良いと考える人はいないでしょう。被害者だって何の得にもなりません。長いカッコですみません)。

 

話を本筋に戻すと、今や誰もが裁判員になって、具体的事件において、目の前にいる被告人に対し、死刑の宣告に関わる可能性がある(しかも、その事件は冤罪で、その被告人は無実かも知れない)。その上でなお、私たち一人ひとりの選択として、死刑制度を残してよいと考えるか。死刑の実態を踏まえて、身近な問題として考えなおすことは意義深いと思うのです。

 

さて、この大阪地裁の公判において、元最高検察庁の検事であり、筑波大学名誉教授の土本武司氏が証人として出廷しました。私が筑波大学にいたころ、土本氏は現役の教授で、私は刑法総論と刑事訴訟法をこの人の講義で学びました。

刑法や刑事訴訟法の学者といえば、リベラル、反権力、人権重視な人が多い中、土本教授は検事出身なだけあって、どちらかといえば警察側・検察側の視点での論理を展開する方であったと思います。ですから、その土本教授が「弁護側の証人」として出廷すると知り、私は驚きました。

報道によれば、12日の法廷で土本教授は、検事時代に死刑執行に立ち会った経験などに基づいて、死刑は憲法の禁じる残虐な刑罰に限りなく近い、と証言したそうです。

日本での死刑(絞首刑)の方法については、ものの本には書いてありますし、私も学生時代に土本教授からその「立ち会った」ときの話を聞いたことがあります。いちいち書きませんが、興味があればネットで調べられるでしょう。土本教授は現行の死刑執行の様子を「正視にたえない」とも証言したとか。

 

かといって土本教授は「死刑廃止論者」でなく、明確に「死刑存置論者」であると自認しています。土本教授が書いた刑法の教科書(「刑法読本 総論」信山社、平成3年)にも、「これ(死刑)を全廃するには国民的コンセンサスが得られていない状況にあります」と述べられています。

しかし、抽象的レベルにおいて「悪いヤツは吊るせ、殺せ」ということと、死刑の実態や問題点をよくよく踏まえた上で「それでもなお死刑制度を支持する」ということの間には、大きな違いがあります。土本教授が証言したのも、国民個々人が死刑制度について「理解した上での選択」ができるよう、そのきっかけを作るためであると思われます。

朝霞市の公務員宿舎建設凍結について、モンテスキューはどう言っているか

適当なタイトルをつけましたが、言うまでもなく、モンテスキューは故人ですので、何も言っていません。

 

埼玉県朝霞市の国家公務員宿舎建設に関して、政府の対応が二転三転したあげく、当面は凍結するということで落ち着いたのは、報道されたとおりです。この結論に関しては感想もいろいろでしょうけど、個人的には、建設反対を唱える一部の世論に対して、何となく違和感を覚えました。

新聞やテレビでよく聞かれたのは、建設費に105億円かかることを捉えて、そんなお金があるなら東北の復興にまわすべきだという意見です。

しかしそういった考え方は、たとえばちょっと利口な子供が、日本でたくさん余っている食べ物をアフリカの貧しい人たちに送ってあげたいなあ、と思うのと同じレベルの話だと思うのです。そう考えること自体は心優しいことであるとは思うけど、実際にはそんな単純に解決する問題ではないのです。

 

公務員宿舎の問題でも、建設を凍結して105億円が浮いたとして(業者への違約金などで実際はもっと減るでしょうけど)、それが直ちにそのまま、東北への復興予算として回るはずがない。国会での予算審議を経なければならないからです。

仮にそのまま105億円を回したところで、東北での震災被害の回復が、その程度のお金で賄えるはずがないのです。

東北復興に105億円を回せ、と言っている人だって、おそらくそれくらいは分かっていると思います。ならば東北が復興するまで、それ以外の地域では一切の公共事業や社会保障を停止せよ、と言うのであればまだ筋は通っていると思いますが、たぶんそこまで言う人はいないでしょう。

結局、公務員宿舎建設反対という人の多くは、公務員が優遇されるのはとにかく腹が立つ、というのが理由なのだと思います。もちろん、そういう意見はあって当然だと思うのですが、それを東北復興などというもっともらしい理屈にかこつけて主張しようというところに、違和感を禁じ得ません。

 

ごく最近、「法の精神」でモンテスキューがこう書いているのを見て、この違和感はまさにこういうことだな、と思いました。すなわち、

「執行権力に最も強く反対する人々は、その反対の利己的な動機を告白できないから、それだけなおいっそう民衆の恐怖をかきたてる」(19編27章、要約)

つまり、行政のやろうとすることに反対する勢力は、真の動機(この場合、公務員優遇は腹が立つ、ということ)を言わずに、そんなことに無駄ガネを使うと大変な問題が起こるぞ(この場合、東北の復興が遅れるぞ)、と喧伝するわけです。

 

こういう扇動や喧伝は、世の中にたくさんあると思いますが、そういうものに乗せられないためには、あることを反対し否定することで(本件の場合は、公務員宿舎建設を凍結することで)、その問題(東北復興の遅れ)が本当に回避できるのかどうか、慎重に吟味すべきでしょう。

モンテスキューは上記の記述の直後に、権力分立制や代表民主制が確立している社会では、そのあたりはきちんと吟味されることになる、とは書いているのですが、特に近年の政府は世論に乗せられすぎであると思われます。今回の建設凍結が、本当に慎重な検討吟味の結果があればよいのですが。

小沢被告の初公判に見る「議論の方法」について

仕事がら、法廷の場やその他いろんなところで、議論や論争をすることがありますが、弁護士として私が心がけているのは、具体的な事実を、誰にでもわかる平易な言葉で、冷静に示す、ということです。私だけでなく、多くの弁護士がそうでしょう。

その正反対のやり方が、抽象的な事柄を、ひとりよがりのやり方で、声高に示す、という方法です。こういう議論のやり方は弁護士としては下の下であり、訴訟相手がこういう主張をしてきたら、追い詰められて苦し紛れに言っていると見てよい。

そんなことを、今回の小沢一郎被告の裁判に関する報道を見て、改めて思いました。

 

小沢被告は、起訴されたことについて、民主主義国家としてありえないことだとか、日本の憲政史上の一大汚点だと述べ、裁判を打ち切るべきだ、とまで言ったようです。公判のあとの記者会見では、質問した記者に「もうちょっと勉強してから質問しなさい」と言っていました。

何億円ものお金を受け取って帳簿に記載してなかったのはどうしてなの? という単純な問題を、民主主義とか憲政とかいう抽象的で大上段の問題にすりかえているのです。それに対して疑問を呈する者には、「あなたのほうが不勉強だ」と言って煙にまいてしまう。

小沢被告に限らず、こういう議論の仕方をしてくる人は結構います。民事事件に介入してくるヤクザ崩れの人もそうだし、痴話ゲンカのときに女性が「あなたには私の気持ちがわかっていないのよ」と言うのも同じようなことです。

 

それはともかく、小沢被告が有罪であるか無罪であるかは、それこそ今後の冷静な審理を経て判断されることです。しかし、今回の起訴を受けて小沢被告が言っていることに関して言えば、すべて間違っています。

まず何より、小沢被告は民主主義に則って起訴されているのです。検察官が不起訴とした事件を、国民から選ばれる検察審査会が起訴すべきだと議決したのであって、まさに民主主義です。

検察審査会がそこまでの権限を持つようになったのは近年の法改正によるものですが、それにあたっては当然、国会で刑事訴訟法や検察審査会法の改正が審議され、小沢被告はじめ民主党も改正に賛成しているはずなのです。

(私は個人的には検察審査会にそこまで権限を持たせるのは疑問と思っていますが、改正に際してその疑問を呈した人は小沢被告以下、民主党には誰もいなかったはずです)

「憲政史上の一大汚点」という言葉もまさに噴飯もので、憲法に基づく政治状況の下でこうした法改正がされ、今回の起訴となったのです。小沢被告の言うように裁判を打ち切れば、それこそ、立憲政治とそして司法の一大汚点となります。

 

小沢被告の件に限らず、抽象的なことを声高に話す人、「あなたはわかっていないからきちんと勉強しろ」という人は、それ自体うたがってかかってよいです。一見、何か正しいことを言っているように見えて、よく考えてみると、全く無内容であるか、全くの誤りであることが多いです。

と、ここまで書いたところで、小沢被告が病院に搬送されたというニュースをネットで見ましたが、日本の憲政のためにも、最後までしっかりこの裁判を受けてほしいと思います。