その8 受かる人と受からない人の違い その2
要領よく記憶のできた人が早く受かる、と前稿で書いた。
要領よく記憶できるのはどんな人か、というと、それは、以下の能力を持っている人だと思う。すなわち、(1)読解する力と、(2)見切る力と、(3)類推する力である。
早く合格する人は、意識しているか否かは別にして、こういった能力を有し、それによって必要な記憶を獲得しているように感じられる。
|
| 1.読解する力 |
読解する力とは、文字どおり、教科書を読み取る力だ。そこに書かれてあることを、「ざっと」つかむことだ。
ざっとつかむとは、その教科書には要するにどういったことが書かれてあるのかということを、素人にでもだいたい説明できるくらいに理解しておくことだ。
大げさなことをいうようだけど、そもそも学問の骨格となる部分というのは、極めてシンプルなものだと思う。
たとえば、法律学でいうと、「目的効果基準」とか「権利外観法理」とか「相当因果関係」とか、いかめしい用語が教科書に並んでいるが、これらの法原理の意味するところ自体は、法律学をぜんぜん知らない人でも納得できる内容であろう。
司法試験で聞かれることは、そういうシンプルな原理原則が約70%を占めていると思う。その残りは、それら基本的知識のちょっとした応用が29%程度で、複雑な知識や高度な応用力を要求されるような難問は、1%程度だろう。
こういった基本的な知識や原理、知識の体系でいえば骨格になる部分を、まずは大づかみすることが重要なのだと思う。それは、教科書を読んでいると繰り返しでてくる。教科書を何度か読んでいれば、自然と、どこが骨格なのかが理解できるはずだ。
|
|
|
| 2.見切る力 |
基本的なところを押さえたら、「ここまでやればあとはよい」と見切る力も重要だ。
教科書の中には、時に難解な議論が出てくることもあろうし、また、予備校の答案練習会(以下「答練」と略記)などの機会で、知らない問題が出てくることもあろう。それらすべてを、自分の腑におちるよう理解するのは、まず無理だと思う。
しかし、細かなところは、知らなくてもよいと見切ってしまうのだ。読解力をつけて、知識の骨格の部分と、それ以外の枝葉末節の部分が区別できるようになれば、自然にできるはずだ。
教科書を読んでいて、少しでもわからないことが出てきたときに、その先に進めなくなってしまう人がいる。わからないことを考えること自体は悪いことではないが、今やっているのは試験のための勉強だ。そして試験の日までの時間は限られている。
ちょっと考えてもわからないところとか、細かい注釈とかは、取りあえずおいておけばいい。それよりも、教科書全体がおおよそ理解できている、という状態にすることが先決だ。その過程で、わからないことがわかってくることも多いだろう。
では最後までわからない部分が残ったらどうするか。その場合は、その部分を棒暗記してしまおう。全てを棒暗記で太刀打ちできるような試験ではないが、100に1つのわからないことが残った場合は、暗記で乗り切るのもやむをえない。実際、僕自身も論文試験本番で、棒暗記で乗り切った部分がある。
あと、答練(特に直前答練)で全く知らないような、かつ教科書にも載っていないような問題が出された場合は、まさに見切ってしまおう。配布された資料や参考答案を1回だけざっと目を通しておくだけでいい。覚えなくていい。枝葉末節を問うような問題に振り回される必要はない。
|
|
|
| 3.類推する力 |
では、本番で知らない問題が出たらどうするか。
それは、知っている知識から類推するのだ。この問題について、あの教科書を書いた学者の見解を取ると、こういう結論になるはずだ、と推定する。
司法試験には、毎年必ずといっていいほど、誰も知らないような問題が出題される。どんなに勉強しても、こんな問題初めて見た、というようなものが出題される。もちろんそんな場合は、自分が持っている知識からの類推で考えるしかない。
知らない問題が出ないようにと、いろんな予備校の答練の問題を集めてばかりいる人がいるが、これは無駄の多いことだと思う。知らない問題が出ないようにするなんて、もともと無理なのだ。
基本を押さえたら、そこから先は、自分で答えをひねり出してみるのだ。教科書を繰り返し読んで習得して、それなりに演習問題にあたるといった練習をすれば、それはきっと可能なはずだ。
|
|
|
| 4.基本書の効用 |
これらの能力は、生来の才能ではないと思う。もちろん、もともとそういった能力に優れている人もいようが、司法試験に受かるくらいの能力であれば、訓練によって身につけることができよう。
では、その能力を何によって養うか。その点はやはり、基本書をしっかり読むことによって養われるのだと考えている。
基本書は、最初はとっつきにくいかも知れないが、それを理解しようと論旨を追っていく努力をすることで、読解力がつく。繰り返し読むうち、著者が繰り返し述べる原理原則のようなものが見えてきて、骨格となる知識を大づかみできるようになるだろう。
基本がしっかりわかれば、見切ってしまっていいような細かいところも見えてくるようになるし、その著者の考え方がしっかり身につけば、知らない問題がでてきても類推できるようになる。
それに比べて、予備校べったりの勉強法は、あまりよくない。
予備校のテキストには、論点と学説が箇条書きのようにして述べられている。これは、知識の整理にはよいのかも知れないが、これから知識を獲得していこうという人が読むと、バラバラの短文が並べられているだけだから、読解力がつかない。
また、見切る能力もつかない。予備校テキストは、枝葉末節的な事柄でも、詳細な解説がほどこされている場合が多い。こういったものを読みなれてしまうと、「適当なところで見切る」ということができなくなる。その結果、基本的な重要事項と、ほとんど出題可能性がないような瑣末的な事項の区別ができなくなる。
そして、どんな細かなことでも、詳細な説明がないと納得できないというスタンスで勉強していると、知らない問題に対峙したときに類推する能力もつかない。自分の手持ちの知識で考えてみようとせず、「その問題の解説が載っているテキストを探そう」という方向に走ってしまう。かくて、バラバラ、細切れの知識と、予備校の資料だけがどんどん増えていく。
|
|
|
| 5.結び |
結局、いいたいことは、僕がこのコーナーで度々述べている、基本書によるオーソドックスな勉強が重要、ということに帰着する。
自分自身の経験をもとに、現行司法試験を念頭に書いたが、ロースクール試験・新司法試験も、ことは同じはずだ。
それから、一介の予備校講師の分際で予備校テキストを批判してしまったが、その点に異存のある関係者は、いつでも申し出てほしい。その場合は謝りますから(←けっこう弱腰)。
|
|
|