その7 受かる人と受からない人の違い その1
司法試験の受験時代(平成9年前後)は、たくさんの受験仲間がいた。そのころの受験仲間には、目的を果たして弁護士になった人も多くいる一方、平成17年の今でも勉強を続けている人もいる。
今も、司法試験予備校の講師として、多くの受験生と接していて、考える。受かる人と、なかなか受からない人の違いは、どこにあるのだろう。その要因はもちろん単一の理由で説明できるものではないと思うけど、これまで僕が感じてきたことを、以下書いてみる。
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| 1.記憶することの重要性 |
まず、合格するに最低限必要なことがある。
それは、必要な知識を記憶し、いつでも引き出せるようにすることだ。司法試験の場合、必要なのはもちろん、「六法」各科目の、条文解釈に関する判例や代表的学説の知識である。
「記憶ではない、考え方が重要だ」などとよくいわれる。もちろん、理解を抜きにした棒暗記はあまり意味がないとは思う。しかし、これらの台詞が、記憶は必要でないとか、重要でないという趣旨で言われているとすれば、それはまやかしであると思う。いかにすぐれた考え方ができる人でも、知識の記憶がなければ、答案用紙には何も書けない。
もちろん、将来弁護士として仕事するに際しても、記憶は重要だ。依頼者から相談を受けたとき、たいていの問題については、この場合はこういう手段が取れる、ということが即座に引き出せないとダメだ。いちいち六法全書を参照しないと答えられない、というのでは、料理店のシェフでいえば注文が入るごとにレシピを読んでいるようなもので、仕事にならない。
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| 2.健全な記憶 |
試験に受かる人はそのことに気づいている。司法試験予備校のパンフレットを見ると、いろんな講師がいて、いろんな勉強法が紹介されている。しかし、どんな方法をとるにせよ、最終的に合格する人の頭の中身はほぼ同じものだと思う。やり方はいろいろあろうが、結局、必要事項の記憶ができた人が合格する。
早く受かるタイプの人は、この本よりもあの本のほうがわかりやすいとか、この学説は論理的じゃないとか、そういうことを云々しない。要するにこれだけの知識を覚えて使いこなせればいいのだな、ということがわかっていて、文句を言わずにまずそれらをさっと覚えてしまう。
単なる棒暗記ではないが、細かいことを過度に詮索することなく、必要とされる一通りの知識を吸収できた状態、これを「健全な記憶」とでも呼んでおく。
何年も勉強をやっていて受からない人の多くは、こういう「健全な記憶」ができていない人だと思う。
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| 3.記憶の瞬発力 |
もちろん、試験だから、試験範囲の必要な知識を全部覚えて、試験の日にはどこを聞かれても即座に知識が引き出せる状態にする必要がある。記憶は時とともに減退していくので、試験直前期に、一気呵成にその作業をしてしまう必要がある。これを「記憶の瞬発力」とでも呼ぼうか、そういった勢いが必要だ。
司法試験の場合は、必要とされる知識が膨大だから、かなりの瞬発力を要する。その力を出すには、「今年受かる」という強い気持ちがどうしても必要だ。来年でもいいかな、と考えている人は、最後の力を出し切れるか否かというギリギリのところで、まあいいか、来年もあるし、となってしまう。直前期の瞬発力が出せないせいで、何年も試験に費やしている人も少なからずいるはずだ。
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| 4.まとめ |
かくて、司法試験に受かるためには、まずは教科書に書いてあることを素直に習得できる能力(健全な記憶)、そして、勉強してきたことを試験の直前期にすべて記憶してしまうことができる能力(記憶の瞬発力)が要求されると思う。
これは決して特殊な才能を要しない。地道に教科書を読んで、必要事項を記憶していくという、ごく当たり前の作業ができるか否かにかかっている。合否を分けるのは、かように極めて単純な一事だ。
僕が、司法試験に受かるにはどうすればいいか、と聞かれたら、答えたいことはほぼ上記の点に尽きている。
記憶のできる人が受かる人だ。要領よく必要な記憶のできた人が早く受かる。では、要領よく記憶のできる人とはどういう人か。この点については、次稿にて敷衍する。
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