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連載小説「373−2S」

連載小説 [373-2S]
■ 第5話【空へと高く、ハイボール】その4
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「原判決を破棄する。被控訴人は控訴人に、金6820万2412円を・・」

医療過誤訴訟の控訴審の判決言渡しの朝、僕は法廷で、壇上の裁判長が判決主文を読み上げるのを、呆然と聞いていた。
・・逆転勝訴判決だ。
傍聴席の依頼者がけげんな顔で僕の顔を見ているのに気づき、僕はそちらに向かって頷いた。勝訴したことに、ようやく気づいたらしく、「あっ・・」と声をあげていた。

「先生! やりましたね!」
裁判所の廊下で、依頼者は興奮した様子を抑えきれない。
「とりあえず、行きましょう」
僕は依頼者の肩越しに、被告の医師が肩を落として去っていく姿を見ながら、できるだけ感情を抑えて言った。


その日の夕刊に、この判決が小さい記事になって載っていた。
喜んでいいことなのかどうかはわからない。あの医師にも恨みはない。
でも、今日の判決によって、この病院は今後、対応のため大騒動となることだろう。そんな判決を引き出したのは、実感はないが、この自分なのだ。
これまでになかった手ごたえのようなものを、僕はぼんやり夕刊を眺めながら感じていた。


ここ3か月ほど、酒をほとんど飲んでいなかった。
妙な興奮を押さえたくて、僕は三津寺の隣のビルの奥、「bar亀甲」の扉を開けた。
扉の奥は、まっすぐのカウンター、その向こうが、煉瓦の壁に埋めこまれたバックバーにモルトウイスキーなどが並んでいる。

「お久しぶりですね」
「ええ、3か月ぶりくらいになりますか。実は禁酒してたんですよ」
「今も禁酒中ですか?」
「今日は一件ヤマを越えたので、一杯だけ、ラガブーリンの12年をソーダ割りで。これを飲んだら、またずっとお酒は控えます」

「亀甲」はマスターの本名だ。北新地で何年か修業をしたのち、この場所で開店した。
こんなミナミの真ん中で、この店とこのマスターは今夜もミナミらしからぬ姿で佇んでいる。


10日ほど前、エリからメールが送られてきていた。
「お元気ですか。ようやくこちらの仕事にも慣れてきました。最近、オーストラリアのワインに凝っています。日本には売っていないようなお酒もあって、楽しいですよ。
来週、研修のため少しだけ日本に戻ります。時間はあまりないのですが、もしお会いできるのなら、おみやげにお酒を買ってお渡ししたいです」
僕は今日、そのメールに返事を書いた。
「僕のほうの仕事は相変わらずです。でもたまには成果も挙げています。戻って来られるなら少しでも顔がみたいです。
ところでおみやげの件なのですが、実は、僕はもうお酒を飲まないことにしたんです」

僕はマスターに、ここしばらくのできごとを話していた。三ツ寺会館で椅子から転げ落ちて酒をやめる決意をしたこと、今日ちょっとした裁判に勝ったこと。
そして、エリとの出会いのこと。その女性は遠くに去ってしまったが、もうすぐ少しだけ会えることなど。
「では、その女性と一緒に、バーに飲みにいかれたりしないのですか?」
「ええ、お酒はもういいですよ。『川福』できつねうどんでも食べにいこうかなと思います」

グラスはとっくに空いていた。マスターが、新しいグラスに水を入れようとピッチャーを取り出した。
「じゃ、イエガーマイスターをロックで」
「あの、禁酒中じゃないんですか」
「イエガーマイスターはお酒じゃなくって、『薬』だと理解してますから」
マスターが含み笑いをしながら、緑色のボトルから酒を注ぐ。深みのあるハーブの香りが広がった。

久しぶりの酒が胃の腑に染みる。
「現場が好き」というエリの言葉を思い出していた。
嬉しいことも、辛いことも含めて、現場に身をさらしていればこそ感じる手ごたえもある。
彼女はそれを得るために、わざわざ外国へ渡った。
自分も、ときにイヤなことがあったりしながら、これからもたぶん今の仕事を続けるのだろうなと思った。


――その3日後、午後6時。
関西空港から、彼女は南海電車に乗って難波に来る。新しくできた「なんばパークス」をみたいという彼女を、僕はその2階広場の屋外ショッピングモールで待っていた。
ほどなく、広場の向こうに彼女が現れた。
彼女は僕を見つけると、手に持った筒のようなものをかざしてみせた。
お酒のボトルが梱包されているのだろう。お酒はやめたという僕のメールを、読んでいなかったのだろうか。

エリはこちらに向かって歩きながら、その中からボトルを取り出した。
・・広場の端と端の距離でも、そのラベルははっきりと、僕の目に焼きついた。
『LAGAVULIN 16』――ラガヴーリン16年!
父の思い出の酒。以前僕が話したことを、覚えていてくれたのだ。

彼女はそのボトルをちらちらと左右に振ってみせていた。その目が僕を挑発している。
―――もう、お酒は飲まないんだっけ?
僕は我知らず、大きくゆっくりと、首を振っていた。

日はまだ高く、彼女の頭上の空が青かった。
彼女に向かって駆け出したくなる衝動を、僕は必死にこらえていた。
第5話 了

カクテル一口メモ
ハイボール(4):
 最近、「ハーフロック」という飲み方が一部で提唱されてます。ロックグラスに氷を入れて、ウイスキーと等量の水で割る、つまり水割りとロックの中間のような割り方です。どうせ飲料会社の宣伝に過ぎないのだからそんなものに踊らされるまいと思っていたのですが、やってみたら意外においしかったです。僕としては、水でなくてやはりソーダで割ることをお勧めしたいです。
 文中の「イエガーマイスター」は、薬草系のリキュールでして、このソーダ割りも好き。
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to be continued





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