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連載小説「373−2S」

連載小説 [373-2S]
■ 第4話【ロブロイ虚々実々】その3
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「すみませんでした。僕に経済力がないもので。これ、とりあえず慰謝料として、受け取っていただきたいのですが」

離婚調停の相手方の夫が、突然、事務所を訪ねてきた。慰謝料の内金として、100万円を持参している。
「お互い弁護士がついてるのですから、弁護士を通してもらわないと・・」
「僕の弁護士は解任したんです。あの先生、ことを荒立てようとばかりしてるような気がして。僕はそんなつもりじゃなかったんですけど・・」

僕は依頼者に連絡した。
「やはりそうだったんですか。私は夫を信じていました。昔から夫は、筋を通す人で・・」
と、先日とは全く違うことを言っている。
「ところで、そんな立派な夫と、離婚するんですか」
「はい、その点は変わりません」
お互い、離婚意思には変わりはないらしい。僕はそれ以上に問わないし、考えもしない。

僕は事実に解釈を加えない。
仕事柄、男女関係の不可解さ、曖昧さは飽きるほどに見てきた。
いろんな事実を、一歩引いたところから、客観的に見てきた。
――そして、自分自身のことも、一歩引いて見るクセがついたように思う。


その日の夜10時ころ、ラウンジ「彩文」に行った。
「1か月ぶりね。もう来てくれないのかと思ったわ。ピンキーリング、今日もしてるよ」
ミカが小指を見せながら横についた。
今ここで、この前の話の続きはしたくない。ミカもそのことはわきまえていて、努めて明るい顔で無駄話をしてくれた。
夜の11時になって、勘定をしてもらうとき、僕はミカにこっそり言った。
「今夜は何時までいるの? そのあと、僕と付き合ってほしい」
「いいよ。12時に終わるわ」
「じゃ、『OTIS』で待ってる」


僕は「彩文」を出て、玉屋町筋を北に歩き、バー「OTIS」(オーティス)の扉を開けた。
「いらっしゃい。ああ、今日は遅いですね」
マスター藤谷さんの朗らかで大きい声が響いた。若手バーテンダーの眞鍋さんも、いつもどおりにこやかにカウンターの向こうに立っていた。

バックバーには、いつもどおり、ボトルが溢れ出さんかのように並んでいる。前に来たときから、また少し増えたようだ。
元はラウンジだったらしい店内は、壁面に鏡を用いて、少しだけ艶っぽい雰囲気がある。
そんな店内で、見たこともないリキュールで、聞いたこともないカクテルを作ってもらって飲んでいると、一瞬、ここが大阪ミナミであることを忘れそうになる。
そして、マスターの快活な声で、やはりミナミであることを思い出す。

12時を少し回ったころに、普段着に着替えたミカがやってきた。
「さっきはごめんね先生。気遣わせて。あ、私ロブロイを。ウイスキーはマッカランでね」
ミカは陽気に言った。勤めを終えた開放感と、この店の空気が、彼女の気分を明るくさせるのだろう。


「どうなったの、実家に帰る件」
「うん、仕方ないのかな、って考えてる。こっちに残れないのなら、帰るしかないよ。結婚する相手もいないし、自分の店を持つほどお金もたまってないわ」
そう明るく言ってから、少し間を置いて、ミカは付け加えた。
「先生が、面倒みてくれるのなら、話は違ってくるんだろうけどねっ」
ミカが本気でそれを言っているのかどうかは知らない。しかし、もしここで僕が、面倒をみると言ったらどうするのだろうとも考えてみる。

でも同時に、僕は自分でもあきれるほど冷静な頭で、答えを出している――たしかにミカのことは好きだったかも知れないが、今の僕が、彼女の一生に責任を持ってやるなんて、できはしないのだ。
「うん、たしかに、そういうのは考えたことなかったね」
僕も努めて明るく言った。深刻な話ほど、明るく言うほうが、お互いが傷つかない。

「もちろんそうよね。鳥取に帰るね、私。お店は今週いっぱいで『上がり』なの。再来週に帰る予定よ」
「えっ、そんなすぐだったの・・」
「最近、先生も忙しくて、お店に来てくれてなかったものね。今日、会えてよかった」

2人でロブロイをもう一杯ずつ頼んだ。ミカはほとんど一気にそれを飲み干した。
「先生と最後の一杯かも知れないね。鳥取に、こんなカクテルを作ってくれるバーはあるのかなあ」
グラスの底に残った赤いマラスキーノ・チェリーを、彼女はいつまでも転がしながら、その酔眼で眺めていた。

「OTIS」を出たのは2時過ぎだった。僕もミカも相当酔っている。僕は道頓堀の西のはずれのほうに、ミカを連れてきた。
「ほら、ここが『吉田バー』。大阪で一番古いバーだ」
当然、店はとっくに閉まっている。僕はミカと手をつないだまま、その隣にあるホテル「sala del ray」へと入った。

部屋に入るなり、僕とミカはベッドに突っ伏していた。
ミカは僕の耳元でいう。
「薬指のリングをねだったらよかったな。・・ねえ先生、一緒になってよ」
「考えたことないよ。ごめん・・」
薄れていく意識の中で、ミカの声を聞いていた。
「クールなのね・・」


朝になって、僕とミカは服を着たまま寝ていたことに気づいた。
「ごめん。・・時間だから、行くね」


朝の8時をまわっていた。地下鉄の入り口までミカを見送ってから、オフィスへと向かう。
「ひどい夜だったな、これで最後かも知れないのに」
出勤時の人ごみの中で僕はつぶやいた。朝日がまぶしかった。
つづく・・・

カクテル一口メモ
ロブロイ(3):
 ロブロイやマンハッタンには、砂糖漬けのチェリー(マラスキーノ・チェリー)が沈められています(店によってはそれがないところもありますが)。そのチェリーにカクテルの味が染み込んだあたりに口に入れるとこれまた格別の味わいです。マティーニのオリーブと同様、ロブロイのチェリーはカクテルの素敵なアクセントです。
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