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「夫から、確実に取ってください。慰謝料と養育費を」
よくある離婚調停だ。依頼者は、僕とほぼ同じ年の女性だが、5歳の子供がいる。
「5歳の息子を私が引き取って育てていくのですから、養育費は月10万円は必要です。それと、慰謝料を1000万」
「夫の給与からすると、それだけの支払能力はないでしょう」
「子供を確実に育てていきたいのです。教育するにも、何か病気でもしたときにも、まとまったお金は必要です」
離婚の相談に来る人はたいてい、今後の生活についての「確実性」を求める。
しかし、誰であれ「確実」な人生なんてありえないのだ。結婚するときには、そのことはわかっているはずなのに。
その日の夜7時半、心斎橋筋の書店「アセンス」でミカと待ち合わせをした。多くの女性が待ち合わせをしている中でも、ミカが立っていればすぐにわかる。
抑え目にしているとはいえ、服と化粧は普通の女性とは少し違う。
――やはり、夜の世界の女性なのだ。
彼女の店に行くまであまり時間がない。バーで軽く飲んでからいこうと、東心斎橋のバー「オールドコース」の扉を開け、カウンター際の、やや大きすぎる贅沢な椅子に腰を落ち着けた。
最初は、バーというよりサロンのようなこの店の様子にちょっと戸惑ったが、今は、この大きな椅子にすっぽり収まって飲む酒がとても心地よい。
ミカと飲む夜は、これくらいに綺麗なバーがいっそう似合いだろう。
マスターの川崎さんは以前、北新地のバーに長年勤めていたが、少し前にこの店に移ってこられた。今ではもうすっかりこの店の顔になっている。
「こんばんは。最初はハイボールで」
「私は、ロブロイ」
「え、一杯目からロブロイ? 今夜の仕事に差し支えない?」
短大を出てすぐミナミのラウンジで働くようになったミカは、今年で25歳になる。小柄だけれど、5年間の夜の仕事のせいか、年齢よりはずいぶん大人っぽくみえる。
彼女と出会ったのは、先輩弁護士に連れられていった宗右衛門町のラウンジだった。隣に座った彼女と妙に気があい、何度か、一人でその店に行った。ミカはその後店をやめて、東心斎橋のラウンジ「彩文」(さいもん)に移ったのを、僕が追いかけた。
「オールドコース」で軽く食事をして、デザートがわりにマスターの得意な甘いカクテルを2人で飲み、夜8時30分、同伴出勤の子が店に入る時間ぎりぎりに、「彩文」に着いた。
ミカは、肩を出したドレス姿に着替えて、ソファ席で僕の隣に座る。
僕はマッカラン12年をストレートで、ミカはそれにチンザノロッソを混ぜて、ロブロイを作って飲んでいる。
ミカにロブロイを薦めたのは僕だった。「水割りはおいしくないから嫌い」というミカに、水じゃなくてチンザノロッソを混ぜてみたらと薦めてみた。
「あ、ほんと、嘘みたいにおいしくって飲みやすくなるのね」
それ以来、僕はいつも、スコッチウイスキーに加えて、ミカのためにチンザノロッソを店にキープしている。
「私ね、先生とだけは、ほんとに会えるのが嬉しいのよ。先生と会うときは、お仕事とは思ってないわ」
もちろん、心底そうは思っていないのだろう。本当に仕事と思っていないなら、何も同伴出勤する必要なんてないのだ、と僕は頭の片隅で冷静に考えている。
しかし、それでいいのだと思う。店内のきらびやかな装飾も、女の子の衣装も、その囁く言葉も、虚構と知った上で、その中に身をゆだねてしまうのが、こういった世界でのすごし方なのだと思う。
「本当にそう思ってくれる? 僕もそう。お店に来たら、君がついてくれてるだけでいい」
小一時間ほど、他愛のない会話をしていると、店内が賑わってきた。僕は早々に勘定をしてもらう。
「えっ先生、もう言ってしまうの? 今度はいつ? また早いうちに、会いたいなあ」
「何だか今夜は、リップサービスが過ぎるね」
「うん、早く自分の店を持てるように、営業がんばらないといけないし」
「なんだ、やっぱりリップサービスか」
店を出るとき、ミカはビルの出口まで送ってくれる。
「早く店を持てるといいね。そうなったら、僕も接待で使えるかも知れない」
「あら、先生も営業なの。たいへんね」
ビルから出て行こうとする前に、一瞬、沈黙が流れた。僕が口を開こうとしているのを、ミカが待っている。
――今夜は何時まで? と聞きたいと思うのを、いつも聞けないでいる。
このままドレス姿で話しこんでいてはミカも寒いだろう、店内では他の馴染みの客がきっと待っているのだろうと、そんなことを考えてしまう。
「あ、いや別に。じゃあまた来るから」
と僕はビルから去った。
帰り道、戎橋に立って道頓堀川を眺めていた。
――ああほんまー、ああほんまー・・
橋のたもとの、茜丸のどら焼きの人形から、コマーシャルソングが流れてくる。
――まんざら、嘘でもないのかな、ミカとのことは、
と一人思いながら、橋の上を通り過ぎる。 |
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つづく・・・
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