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その後、あの依頼者から電話はかかってこない。
会社はきっと、彼にきちんと給料を払ってくれたのだろう。
依頼者は、うまくいっているときには電話をしてこないものだ。
これで、この件もひと段落だ。
一日の仕事の終わり、コーヒーポットの下にたまった苦いコーヒーを飲みながら、夕刊を開いた。
ここ最近の新聞は、司法改革の話題でやかましい。
「ロースクール卒業者の大半を司法試験に合格させ、弁護士の数を増やす――」
日本版ロースクール制度が開始された。全国の大学で、法科大学院が開校した。
僕が司法試験を目指すことを友人に明かしたときのことを思い出す。友人は言った。
「司法試験なんてやめとけよ。友達を失うぞ」
僕自身は司法試験を受けることによって、友達や、他の何かを失ったとは思っていない。
でもユキは、自分の意思によってであるとはいえ、恋人を失ったのだ。
ロースクール制度の世になれば、何かが変わるのだろうか。
受験生たちはロースクール生活の中、「恋愛の自由」を謳歌できるのだろうか。
僕は夕刊を閉じた。
この週末も、心斎橋に向けて歩く。
三津寺筋を越えて八幡筋に出て、「コールバー」に着いた。
厚い扉を開くと、バックバーの階段状の台座が輝きを放っている。その上に、色とりどりのボトルが並んでいる様は幻想的ですらある。
「ラスティ・ネイルをください」
「どんな感じにしましょうか」
「あの、例のやつを・・」
マスターの室田さんの大柄な体格は、一見、このきらびやかな店には不釣り合いなようにも見えるが、この人の柔らかい言葉使いと繊細なカクテル作りをみて、やはりこの店はこのマスターでないと、と思う。
この店で、夜7時にユキと待ち合わせをした。ほどなくユキはやってきた。
「彼女にも、同じものを」
マスターはユキにラスティ・ネイルを出す。
「飲んでみて。気に入ると思うよ」
僕に促されて、ユキはそのラスティ・ネイルを口に含んだ。
「あっ、これ・・! 涙の味がする!」
アイラモルトで作ったラスティ・ネイルだ。だからかすかに潮の香りがする。涙の味、といえないこともない。
アイラモルトで作るラスティ・ネイルはマスターのお気に入りだ。
「君が3年前に飲んだのも、きっとこのマスターのラスティ・ネイルだよ。このバー、少し前に仏蘭西館からこの場所に移転してきたんだ」
彼はおそらく知っていたのだろう。このマスターの作るラスティ・ネイルの味を。それでユキに振られたとき、あんなキザな演出をした。
3年経って彼女のことが忘れられなければ、またこのカクテルを飲ませて悲しみを演出し、せまってみるつもりなんだろう。
「お酒のことに詳しい彼なんだね。きっとこのバーがここに移転したことも知ってると思う。約束の7時半はもうすぐだね」
僕はユキをおいて、一人でコールバーをあとにした。
あとは、彼に任せよう。
そしてこの週末も一人、次の扉を探して歩く。
―――その後、彼はユキの前に現れたのかどうか、僕は知らない。
あれからしばらく経つけど、ユキから電話はない。
だからきっと、彼は現れて、今ごろ2人はうまくやっているのだろう。
うまくいってるときには、電話はしてこないものだ。
僕は一日の仕事を終え、コーヒーポットの下にたまった苦いコーヒーを飲み下した。
今夜、しばらくぶりに、コールバーに行ってみよう。マスターが、話の結末をこっそり教えてくれるかも知れない。 |
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第2話 了
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