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連載小説「373−2S」

連載小説 [373-2S]
■ 第2話【ラスティ・ネイルは涙の味】その2
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「先生、給料がまだ振り込まれてこないですよ。何とかしてくださいよ」

依頼者の催促の電話が連日かかってくる。
「仕方ないですね、強制執行に踏み切りましょう。会社が給与振込みに使っている銀行はどこですか。会社の預金を差し押さえます」
大きい金額ではないが、任意に支払わない以上、強制執行しかない。
面倒だが仕方ない。明日から取りかかるか。


夜、西天満の弁護士会館にいった。新人研修の講義を受けるためだ。
弁護士3年目で新人研修もおかしいが、1年目で受けるべき研修を僕がさぼっていたのだ。
講義を聞くでもなく、明日から取りかかるべき強制執行の段取りを考えている。
昼間は数万円の事件に奔走し、夜は半人前あつかいで新人のための講義を受ける。
僕はいつになったら一人前の弁護士になれるんだろう。
いつになったらもっと大きな仕事を手がけられるんだろう。
ふとユキのことを思い出す。ユキは今ごろ県庁で、何億円単位の仕事をやっているのだろうか。
何となく物憂くなって、講義を聞くのをあきらめ、窓の外の中之島公会堂がライトアップされていく様子を眺めていた。


退屈な講義が終わり、西天満から御堂筋を越えて、堂島まで足を伸ばした。
「パブリックバーS」の扉を開ける。
「いらっしゃいませっ」
いつもどおり、マスター天野さんの元気な声が響く。
以前、お初天神通りのわき道にあった店が、最近、北新地のはずれのこの場所に越してきた。場所は変わっても、マスターの威勢のいい声は変わらない。
船室のような店内は、先代のマスターが船好きだったことによるものらしい。
先代が亡くなられた後、その息子にあたる今のマスターが店を継いだ。
先代が亡くなったことをしばらくして人から聞いて知り、この店に駆けつけた。そのとき、マスターが僕に教えてくれた。
「パブリックバーSの『S』は、親父の好きだったsea、ship、sailor(海、船、船乗り) の頭文字で、親父の名前の『茂』のイニシャルでもあるんです。僕は親父から、sea、ship、sailorと、それからもう一つの『S』、spiritsを継ぎました。親父の精神と、親父の酒を」
僕はこの店にくるたびいつもその言葉を思い出して、カウンターの前で背筋を伸ばしたい気持ちになる。

「ラスティ・ネイルをください」
こないだのユキをまねて、オーダーしてみた。
ユキとよく顔をあわせていた司法試験受験生のころを思い出している。

受験時代は、予備校帰り、仲間と一緒に梅田の安い居酒屋によく繰り出した。
何度かはユキを誘って、2人だけで食事にも行った。
予備校仲間たちにとっては格好の話のネタで、「2人はデキている」とよく噂された。
僕自身は、受験生に「恋愛の自由」はないと思っていた。女性にうつつを抜かす暇があれば、勉強すべきだと。
でも、ユキとの噂はここちよかったし、噂でなく現実であればよいとも思った。

そして、司法試験の受験を終えた夏――合格発表を待つ辛い日々が続いた。
ある蒸し暑い夏の午後、僕はユキに言った。
「付き合ってくれないか」
ユキの答えは
「ごめんなさい、彼がいるの」
だった。


その年の秋、僕は司法試験に合格した。ユキは不合格だった。
「おめでとうございます。私も早く追いついて、同じ業界の後輩になりますから」
それ以来、ユキは僕を先輩と呼ぶようになった。そのクセがまだ治っていない。
あれから5年。僕は司法研修所を出て弁護士となり、ユキは三度の受験に失敗した後、転向して地方公務員となった。

「今日は、お食事はすまされておいでですか」
マスターの声で我に返る。
マスターが出してくれた付き出しがそのままになっていた。
今は、昔のような感情をユキには抱いていないと思っていたのだが・・。
「あ、いえ、食事まだなんです。いつものホットサンドもお願いします」


「パブリックバーS」を出て、酔い覚ましに少し歩く。
堂島アバンザのたもと、ガラスに覆われた堂島薬師堂を眺めながら、夜風に当たってみる。
携帯が鳴った。ユキからだった。
「あの、先輩。また今度・・会ってくれませんか」
つづく...

カクテル一口メモ
ラスティ・ネイル(2):
 ウイスキーとドランブイの混ぜ方はいろいろで、ロックグラスに2つのお酒を直接注いで混ぜるという方法が多いようです。他にも、マティーニのようにミキシンググラスでステアする方法も。僕はたまに、シェイカーでシェイクして作ってもらうこともあります。
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