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「被告人を懲役1年に処する」
判決言い渡しが終わって、健一は、傍聴席で両親が見守るのを背に、手錠・腰縄を付け連行されていった。
「先生、今回も精一杯してくださって、感謝してます」
両親に頭を下げられた。もちろん、弁護人として、できる限りのことはしたつもりだ。
彼はこれで更生してくれるかも知れないし、またやるかも知れない。
またやったら、これまでと同じように両親が依頼にきて、これまでと同じように僕が被害者と示談に行くのだろう。それが刑事事件の弁護人の役割だ。
でも、「後始末」ばかりでなく、彼の人生を、何らかの形で良いほうに導いてやることはできないのだろうか。
弁護士にできることって何だろう。刑事事件をやるたびにいつも考える。
悩みは消えないけど、とりあえず、ひとつの区切りができたところで気分を変えたい。
難波から地下鉄に乗って、久々に北新地へ出た。
西梅田から、新地本通りに出て、まっすぐに東方向に歩く。
同伴出勤のホステスが、男性客を連れて店に入っていく。華やかに着飾ったホステスを横目に、さらに東の端、「バー中野」は、そこにある。
マスターの中野さんは、「酒司にむら」のチーフバーテンダーをしていたころから、新地本通りで自分の店を持つのが目標だ、と言ってたが、見事果たされた。
一見シンプルな店の作りに見えて、凝り方が半端じゃない。
壁やカウンターが実際の樽材でできていて、店の奥には樽庫がある。
マスターの、ウイスキーに対する強い愛情が静かにほとばしり出ているようだ。
何年後、何十年後、この樽材が年月とともに色合いを深めていくと同時に、マスターも味わいを深めていくのだろう。そのころ自分はどんな弁護士になっているだろうか。
やはり今夜もマティーニを飲んでいる。そのとき・・
「中野さん、お久しぶりです」
女性が入ってきた。
その声に聞き覚えがある・・ナオだ!
「ああ、こないだミナミでお会いしましたよね。お久しぶりです」僕は声をかける。
「あ、どうも・・」
遂に会えた、という僕の興奮の割にはそっけない返事だが、それも当然か。僕が一方的に会いたいと思ってただけで、彼女は僕に何の興味もないのかも知れない。
マスターをはさんで3人で話した。「洋酒壽屋」で初めて会った夜、何を話してたのか、僕の記憶のとんでる部分を彼女から聞いた。
実は、ナオというのは彼女の名前ではなくて、彼女が振られたという彼の名前、ナオトの愛称だった。僕は「洋酒壽屋」で、「ひどい彼だ、僕が嫌がらせしてやる」と彼女に言い、彼女も「じゃ、彼にイタズラ電話してよ」とナオトの番号を教えてくれた、という次第。言われてみるとそんな会話をしたような気もする・・すっかり忘れてしまうとは、あの夜よほど飲んだのだろう。
「ナオトさんと別れちゃったんですか。素敵な彼でしたのにねえ」
マスターが言った。きっと、彼と二人でよく「酒司にむら」に行ってたのだろう。
「ホント、素敵な彼だったなあ。私には生きがいだった。ナオと別れて、私、生きてる意味あるのかな、とか考えちゃったけど、今はもう平気。ナオ以上の素敵な彼をみつけるようにがんばるわ」
『生きる意味』なんて言葉がでてきたので、僕は健一のことを思い出して、聞いてみた。
「で、今は何をもって『生きる意味』だと思ってるんですか」
「生きる意味かあ・・」彼女は首を傾げて少し考えてから、言った。
「別にないんじゃない? 生きる意味なんてなくても、私はいま現に生きてるんだから、とりあえず毎日楽しく生きていこうと思ってるの。人生なんてマティーニのレシピと同じで、実は単純なものなのかなあって、だったら小難しいこと考えないで生きてこうって、ミナミのバーでマティーニ飲みながら考えてたの。気持ちが整理できたから、今日、彼と別れて以来、久しぶりに北新地に来たのよ」
彼女は気持ちいいくらいにさばさばと言った。
なるほど、生きる意味なんて、あるのかないのか、それはどっちでもいい。生きてる現実がある以上は生きていこう、それも楽しく、ということか。
マティーニにオリーブが付いてる理由なんて考えたことなかったけど、オリーブが付いてる以上、酒に浸したり、かじったりして楽しんでる、それと同じ・・強引な結びつけかな?
健一が出所したら、マティーニ飲みに連れてってやるか。でも、酒場で暴れるなよ。
マスターと3人で遅くまで話した。
翌朝、自宅で目がさめた。また蛍光灯とテレビを付けたまま寝ている。
自分の手をみた。
「スリーマティーニ 090−△△△△―△△△△」
彼女の番号だろう。ベッドにもぐったまま、昨日の話を思い出している。
「ナオ」は彼女の名前じゃない、だから携帯電話の電話帳は書き直しておかないといけない。本当の番号もわかったし、で、彼女の名前は、と、ここまできて、重大なことに気づく。
・・・彼女の本名を聞いていない。
カッコいい酒飲みになるにはまだ遠い。 |
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第1話 了
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