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「先生、もうすぐ裁判ですね。だいじょうぶですよ、裁判官の前では反省してそうな顔を見せますから。あっ、ホントに反省もしてるんですよ。両親や先生に迷惑かけてばかりで。でも僕ってどうして何度も同じことやってしまうんでしょうね。刑務所出ても、またやってしまうのかなあ。なんかこんなこと考えてると、自分って生きてても仕方ないのかなって、生きてる意味なんてないのかなって、思っちゃうんですよね。自分の人生を大切にできないから、他人の人生も大切にしてやれなくって、傷つけちゃったりするんでしょうね」
裁判を間近に控えて、拘置所で最後の面会をしたときの健一の言葉だ。 客観的に自分を分析できている。聡明な青年には違いないのだが・・
その日の夜。 事務所から、三津寺を横目に通り過ぎて、東心斎橋に至る。バー「Cooper」に向かう。 ビルの4階にあがると、エレベーターをでてすぐに、「Cooper」のフロアが広がっている。 いつもエレベーターを出た瞬間に、カウンターの向こうに立っているマスター寿川さんと目があう。 エレベーターのランプが4階に止まった瞬間から、マスターは客を迎える準備をしているのだろう。 バックバーにボトルが整然と並んでいる。 ボトルのなで肩が照明を反射して、光の海のようだ。 すべてシングルモルトのボトルだそうだ。 「日本で手に入るシングルモルトの銘柄はすべて揃ってます。いや、そんなに大変なことじゃないんですよ。100程度ですから。ワインを揃えることに比べたら、断然少ないです」 シングルモルト好きには、宝箱のような空間だ。
この小さいビルの中に、こんな宝箱があることを、通りを行く酒飲みたちのうち、いったい何人が知っているのだろうか。
今夜もマティーニを頼んだ。 最近、1人で飲むときは、マティーニを飲むことが増えた。 理由もないけど、もう一度ナオに会ってみたいと思う。
よく知りもしない人に幻想を抱いて一方的に惚れてしまうのは高校生までの恋愛だと思っていたが、自分にもまだ、他の女性に幻想のヴェールをかけるほどの空想力が残っていたのか・・
ふと自分の幼さに気づいて、顔をあげた。 マスターはさっき出したゴードン・ジンのボトルを傾けて、残量を確認している。
マスターも顔を上げて、僕と目が会った。 「いや、今日はジンがよく出るなあと思ってね。ついさっきまで女性が1人で飲んでたんですが、マティーニを3杯飲んでいったんですよ。その人、ここ最近で何度かうちに来ましたが、いつも1人でマティーニを3杯ほど飲んでいかれるんです。僕は心の中でその女性のことを『スリー・マティーニの女』と名づけてます」 ・・・ナオのことだ。ついさっきまでここにいたのだ。残念ながらすれ違いか。 それにしても、『スリー・マティーニ』・・・。 昔、ニューヨークのビジネス街のランチタイムに、マティーニを3杯つける『スリー・マティーニ・ランチ』なるものが流行ったとかいう話を聞いたことがある。 『スリー・マティーニの女』なんて、魅惑的な響きだ。
マティーニのあと、クラガンモアを飲んだ。シングルモルトの甘さを味わいながら一人想う。 ナオはここに来ていた。それも最近何回か。そしてつい先ほどまで。 もしかしたら、今も近くで飲んでいるかも知れない。 つい、たまらなくなり、携帯を取り出した。こないだ聞いた番号にかけてみる。 自分から女性に電話をかけないというポリシーを破った。もちろん、酔っていたせいもあるだろう。 ナオは電話に出なかった。呼出し音のあと、留守番電話にかわった。何も言わずに切る。 こんどはスプリングバンクを飲んだ。すでにかなり酔いがまわっている。 携帯が鳴った。取り出してみると、 「ナオ 090−〇〇〇〇−〇〇〇〇」 ナオからだ・・! 僕は酔っているのがバレないよう、極力声のトーンを落として、冷静を装って電話にでた。 「もしもし」 「さっき俺に電話くれたみたいなんだけど、どちらさん?」 男の声だ。なぜ!? 「あの、どうしてあんたがこの携帯持ってるんだ?」 「はあ? なんでって、俺の携帯なんだけど。あんた誰?」 「失礼、間違えたみたいだ」 電話を切った。 ナオの携帯を誰か他の男が持っているのか、僕が番号を間違えているのか、それとも、ナオがウソの番号を僕に教えたのか・・・
酔いはすっかり醒めた。「Cooper」を出た。 もう1軒行こう。もっと酔っ払いたい。 何か飲みたい。マティーニ以外なら何でもいい。 |
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つづく...
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