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連載小説「373−2S」

連載小説 [373-2S]
■ 第1話【スリー・マティーニの女】その1
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「うちの健一、今度は人を刺したんです」


気の重い依頼だった。
健一は22歳。少年時代からケンカばかり、1年前も居酒屋でケンカして相手をケガさせて傷害罪に問われ、父親からの依頼で弁護を引き受け、僕が執行猶予判決を取った。
今度は執行猶予期間中の犯罪。実刑は免れないだろう。
「あ、先生、またやっちゃいましたよ。でも、相手の腕をちょっと刺しただけなんですよ。命には別状ないです。そのへん考えてやってますから」
警察署で面会したときの健一の明るさが却って気を重くさせる。


仕事帰り、事務所のある難波から、心斎橋に向けて歩いた。
御堂筋から西へ通りを1本隔てるだけで、街の様子はがらりと変わる。
出世地蔵の横を通り過ぎて、西心斎橋まで至る。いつも、仕事帰りに飲みにいくルートだ。
弁護士になりたてのころ、出世地蔵に時々手を合わせた。
弁護士として立身出世できますようにと、単純に祈ってた。
今、弁護士3年目。出世地蔵は願いをかなえてくれただろうか。
収入は増えたが、やることは日々同じことの繰り返し。
同じような事件を、同じように片付けていく。今日の刑事事件だってそうだ。
発展とか、出世とか、無縁の日々。


三ツ寺会館の看板が見えてきた。
この会館のうさんくさそうなたたずまいと、紫色の看板の妖しい光を見ると、僕の心は躍ってくる。
今夜もここで、いろんな人生が渦巻いているような。今夜も楽しいことが起こりそうな・・・
地下1階の「洋酒壽屋」は、うさんくささや妖しさとは無縁だ。
マスターも常連客も、陽気な人ばかりで、どんな日もここに来るとホッとする思いだ。
今夜、客はまだいない。僕はカウンターの端に落ち着いて、今夜の1杯目の思案に入る。
カッコいい酒飲みを目指している。
いつも凛として、何杯飲んでも決して酔いつぶれたりしない。
マスターや客にからんだり、女性客を口説いたりしない。
寡黙だけど存在感のある客、そんな酒飲みに、いつかなれるだろうか。
洋酒壽屋のマスターの大谷さんは、僕と同じ31歳。この店のマスターになって3年目。僕の弁護士のキャリアとほぼ一致する。
この店が歴史を重ねていくにつれて、僕も、弁護士として、酒飲みとして、年季を重ねていくことができるのだろうか。
「マスター、マティーニください」

1杯目を飲み終わったころ、ドアが空いた。若い女性の一人客だ。
カウンター中央の椅子に腰掛けると、迷いなく言った。
「マスター、マティーニください」
女性もマティーニを頼んだ。
しばらく沈黙が続く。
マスターは初めての女性客でもすぐに仲良くなってしまうのだが、女性がきりりとした姿勢を崩さないから、間合いをはかっているようだ。
「お強いんですね、いきなりマティーニなんて」
マスターが話しかけた。
「ええ、好きなんです、マティーニ。ジンは何を使っているんですか」
ジンの銘柄を聞いてきた。お酒の話ができる客だ。マスターは嬉しそうに説明を始める。
「ジンはブードルスです。ノイリー・プラットと相性がよくて――」
マスターが一渡り説明を終えたころ、女性は言った。
「もう1杯いただけますか、マティーニ」
ペースが速い。僕の驚いた視線に気づいたのか、彼女はこちらを見て会釈してきた。
目に力がある。仕事のできるキャリアウーマンなのだろうか。
「僕も今、マティーニ飲んでましたよ。この店でお会いするのは初めてですよね」

その女性から聞いたのは・・・堂島界隈で商社勤めをしていること、バーが好きでよく彼氏と行っていたが最近振られたということ、彼とは北新地のバーによく行ったが、彼と別れてからミナミのバーに1人で来るようになったこと、そして、好きなカクテルはマティーニだということ・・・しかしその後の話はあまり覚えていない。


翌朝、自宅で目が覚めた。
蛍光灯とテレビを付けたまま寝ている。また「洋酒壽屋」で飲みすぎて、酔っ払って帰ってそのまま寝てしまったらしい。
顔を洗おうと手を見ると、ボールペンで何か手に書いてある。
「ナオ 090−〇〇〇〇−〇〇〇〇」
昨日の女性の名前だろう。電話番号まで聞き出してたのか。情けないことに覚えていない。
嫌な予感がして自分の携帯を見た。リダイヤルしてみると、
「発信1 ナオ 090−〇〇〇〇−〇〇〇〇」
早速電話している。しかも覚えていない。
カッコいい酒飲みになるにはまだ遠い。
つづく...

カクテル一口メモ
マティーニ(1):
マティーニは辛口カクテルの代表格で、ジンに少しだけベルモットで甘みをつける。もっとも、ほとんど甘みをつけずに辛口にするほど「通」だとされてるらしい。文中の「ブードルス」はジンの銘柄、「ノイリー・プラット」はベルモットの銘柄です。
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